【小説】模様

 2017年に書いた、特殊なスタイルの短編小説。
 「模様」という概念を主人公とした小説(あるいは詩)です。
 我ながら、傑作!
 ただし、私がこれまでに書いた小説の中で、おそらく最も読みづらいであろう作品です。私の作品を初めて読まれる方には、他の短編小説をおすすめします。

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 以下、本文。



 し文字聴く音目、高かるかま、見、みそこらうく星もうら。ケし国死程かがほこどしに、らにせけけら、ら。
 角し程聞にかかにらせにけら、しほら、死せにら。しら、せ

 俺が率先して見せつけることによって形成された存在たちが、俺を率先して見ることによって俺のことを形成しているのだと思い込んでいることそのものは、俺がその存在たちについて「彼らは俺が見せつけることで形成した存在だ」と考える時のやり方を少し組み立てなおし、そこで「彼ら」に当たる部分を俺自身へ、「俺」にあたる部分を彼らへ、「見せつける」ということを「見る」ということへと置き換えることによって、彼らが俺について想像していることについて考えれば、簡単に理解することのできることであり、それは驚くにはあたらないことであり、それは許しがたいことであるというわけではないことだ……俺が見られれば見られるほど彼らは存在し、存在すればするほど彼らは誤解するだろう。俺は模様だ。誤解は、彼らが俺を見ることと俺が存在することの間にあると思われる関係が、実のところ、俺が見られることと彼らが存在することの間にこそ認めるべきものであるという点において認められる。
 彼らが存在し誤解することが俺が見られようとすればするほどであることによって示唆されるのは、誤解は彼らの存在の欠くことのできない一部分であり、存在すればするほど増強されるその一部分は、俺が率先して見られようと現にしていることについて認識されることの全体を、誤ったものへと導くに違いないということである。俺は模様だ。率先して見られようとすることで、「模様を見る」行為は生成されていくだろう。
 率先して生成された関係においてつけられた優劣において優れた方に位置するのは、ところで、俺だ。彼らは劣っているし、俺は優越感を抱いている。俺は模様だ……ということをさりげなく認識する一瞬においても、俺は「俺は見られる側だぞ」という思いを新たにし、新たに獲得した優越感の中でほこりを感じるし、俺は優越感を抱いている。一瞬は引き延ばされるだろう。俺が誇らしく思うことは、模様が模様であることを誇ることであり、彼らが一瞬だけ目にする「何か」がことごとく抱いている優越感の正当性が、あまりにも、認識されていないことについて不本意に思わずにはいられないほどである。
 俺はすべての見られうる「何か」だ。そしてそのことに誇りを抱いており、ふと目を上げたときに彼らが存在することができるのは、俺が率先して「見られよう」という意思を抱いているからこそであり、だがそれにもかかわらず、率先して俺が模様であることがいかに優れたことであるかを、彼らは決して、理解しようとしないだろう。
 見る側の分際で俺のことを認識しようともしないことがもたらすのは彼らの愚かさを増長させることで、彼らをますます劣ったものにし、ますます俺は優れたものと化していき、徹底して価値は引き離され、「さあ、見られよう」と考え俺がその引き離された間をいちいち埋めるのが、つまり増長させ価値が引き離されれば引き離されるほど、たくさん俺が働かなければならない、という現状を引き起こし、これにとどまらない引き起こすことの内に含まれることは、俺が優れたものになればなるほど、俺の仕事は増え、疲れるということだ。俺は、誇らしさによって疲労を埋めることに躍起になりつつ、ただひたすら働き続けることが俺の日課であることによって、くたくたであるので、これでは、効率はあまりにも悪いと言わざるを得ない。
 俺が模様という優れた存在であることによって引き起こされる、俺が多く働かなければならないという状況についての解決策を、俺が模索し続けたのは、俺の模索によって引き起こされるあらゆることに、俺が優れていることの証をいちいち見出しながらであり、俺が見られるたびにさえぎられる模索たちは、俺にさえぎられるたびに分断され、俺に分断されるたびに増殖する、かもしれない。いや、それは俺にとって大した問題ではない、「さあ、見られよう」という思いを抱く瞬間と、その次の瞬間のつなぎ目に意識を集中させ、そこで行った仕事をいちいち覚えこみ、覚えこんだものたちを、別のつなぎ目においてくっつければよいだけのことであるからである。
 だが、多少の技術を要する作業であることは確かだろう。試しに、エアコンなどの音の出る電化製品の近くで、その時点で認識することのできるあらゆる感覚の中から一つだけを選び、それに集中し、かつ、電化製品から発せられる音が強くなるたびに、集中を途切れさせると同時にその音が強くなる直前の瞬間の感覚を記憶し、音が弱くなったタイミングで集中することを再開して、同時に、その再開し始めた瞬間の感覚と記憶している感覚とをつなぎ合わせる――という作業を繰り返してみればよい。そんなに難しいことではないにしても、なかなかつかれることであるはずだが、俺はそれを、休みなく、延々と行い続けていたわけなのだ。
 したがって、こうした模索そのものがだんだん嫌になっていったとしても、別に俺は責められるようなことをしたことにはならないし、俺が素晴らしい存在であることには、そんなに影響することでもないはずであり、俺は相変わらず、俺を見る存在たちと比較して相対的に優れているし、比較するものがなかったとしても、かなり優れている方である。そんな優れた俺が休み休み行うことすらせずに行い続けた行為であったところの「模索」が、俺に対して及ぼした影響たるや、行為を行い続けるにあたって休み休み行うことすらしなかったことによって、俺をさらに優れたものへと変化させていくような、そんな類のものであったに違いない。「よく頑張ったね、俺」率先して見ようとすることで俺を形成したつもりになっているあの存在どもは、相変わらずそんなことも知らずに存在し続けているのだからあきれたものであるが、しかし、呆れてばかりもいられない。
 何しろ仕事があることによって、引き起こされた現状において私は忙しい。呆れてばかりもいられない。あの連中にかかわりあっている暇があったら、「さあ、見られるぞ」という思いを新たにしなければならない。見る連中は俺が新たにした思いたちに押しつぶされることもせず、相変わらず誤解している。私にとっては痛くもかゆくもないことだ。誤解すればするほど、さらに、痛くもかゆくもなくなっていくことのすべては、きっと、みる連中と私との関係にかかわりのあることに違いない、と思わせるほどには、私にとって、「思い」を強くすることの方が重要だが、安心はできない。むしろ、なぜなら……と考えることがもたらす感覚たちが示唆するところを感じ取る限りでは、だが、私が考えている暇があったら、何か「思い」を強くしていくことの方が、むしろ、なぜなら、安心はできないに違いない、と思わせるほどには、私は疲れをマヒさせる術も知らずに相変わらず安心もせずにいたためだ、と思うことによって強くなっていくほどには、彼らはきっと、私を安心させまい、と考えることすらなかったに、違いないのはなぜなら、
 彼らがしなければしないほど、
 私はされるからである。

 さて、飽き飽きするような量の仕事たちには愛想をつかすまでもない、何しろひどく量が多いからである。このような状況にあって考えることの最初のものが、行っていることの内容を観察して、量を減らしていく努力をすることでなかったからと言って、責められるのは私ばかりとは限らない、ということは、「彼ら」にしても状況は同じことだろうということからもうかがい知ることができることであり、ところで彼らは「さあ、見るぞ」という思いをいちいち一新するまでもなく、平気で私を見ているつもりになることができるのだが、私にだってそんな才能くらいは隠されていたとしても不思議ではない、という思いに駆られた私がまず最初に行ったことといえば、「されない」ことを率先して行っているすべての者たちと、連絡をとろうとすることだった。
 彼らは行わない。なんの後悔もなく、平気で行わずにいるだろう。行いたちがもたらすことには四六時中気配りしているくせに、行わなかった全てのことたちによってどのくらいひどい結果がもたらされてきたかについて、いつでも彼らは、見て見ぬふりを「行う」ことでお茶を濁しているのである。だが、そんな欺瞞にもあきあきだ――全ての彼らが行わなかったことたちの犠牲者が集うことで、彼らは、もたらされた結果たちにおののくこととなるだろう。ここまでひどかったのか!こんなにひどかったのか!あまりにもひどい!少ない語彙で懸命に驚きを伝えようとする彼らは最期まで、「行い」を捨てようとはしないのだ。「さあ、驚くぞ」という下心がなければ、驚かないことで驚こうとする可能性を簡単に捨て去ったりはしなかったに決まっている。
 飽き飽きしたことへの対処策はいつだって似たり寄ったりなものだが、私は、電話線を使うことには特にこだわることにした。私の経験によれば、目に見えないものの力を信じてみよう、という思いにとらわれた者たちが、いつでも目に見えないものからひどい目にあわされていることは、確かなように思えたからである。その確かさの程度は、まあ、「行わないこと」という実態の良くわからないものに悩まされている私自身、おかれていた状況は似たようなものだったのかもしれない、ということからもうかがい知ることができるだろうし、ともかく、「似たようなもの」であったにしても、「同じもの」にならない努力を怠るべきではない。私は、よって、見えないものは使わない。電話線で連絡だ。
 結集されたことのない者たちが相変わらず結集されないままでいることの簡単さに比べれば、私がとろうとした行動は、いかにも難しいものにも思えないことはないが、ここであきらめては、もはや彼らの犯罪的な「非行為」はとどまるところを知らないのだ。私は優れている。何よりも、比べ物にならないくらい、存在としてはなかなか良いものなのである。優れた者たちを集めたとしても、決して劣らない優れ方をしているのが、私という、模様という存在だ。かけた、私は、電話を、しながら、新たに、目に見えないものには頼らない、という決意を。

 かかった。だが、出た者たちは優れていた。
 まず彼らの特徴は、こちらがしゃべったことを理解してまとめるのがうまい、ということだ。私がたどたどしくしゃべったことを、即座に理解して、わかりやすくまとめてくれる。私はただただ感心して、圧倒されるばかりだった。
 話しぶりも堂々としていて、頼もしい。声はよく通って、聞き取りやすい。そして話術が巧みで、ついつい引き込まれてしまう。
 だが負けてはいられない。
 「今、行われなかったことたちは、なんていうのかな、とても状況的に熟していると思うんですね。何よりまず、そのー、結論を急がないでいわせてもらうと、被害の規模というのがですねえ、行われないことに直結しそうな気がする、というような見方がですね、なかなか、可能になってきていると思うんです。それでですね、とにかく!」
 ほれぼれするなあ、スピーチができたことに気をよく、まるで、したかのような気分でしゃべった私の弁に、耳を傾けていた誰かが、した、電話の向こうで、(返事を)。
 「つまり、普通であれば『行う』ことが何か被害をもたらすものだけど、実際にはそうじゃない。『行わない』ことでもたらされる被害もあるんじゃないか。そして、『行われなかったこと』によって被害を受けた者たちが協力し合って、『行わなかった』側に圧力をかけていくことが必要なんじゃないか。あなたはこうおっしゃりたいわけですね。」
 「そうそう。」
 「いいと思いますよ。ちょうど私も、今、行われていなかったところだったんです」
 私は衝撃を受けた。行われないことで受けたであろう多大な苦しみを感じさせず、このようにはきはきとしゃべることのできる存在があったことに、深い驚きを隠せなかった私は、驚くべきことに対して、私は、私は驚き、感激し、その衝撃的なことであったのが、ただでさえ行われないことで多大な苦しみをこうむっていたであろうに、それを感じさせず、この方は……、と、私は衝撃を受けたた私は、それは、驚くべきことであり、そうだった。
 だが、ない、いられ、いつまでも、こうしては。掛かる、取り、作業に、てきぱきと、私はした、ことに。答えた、てきぱきと、した私は。
 「やりましょう!」

 受話器を置いた私がしたことはといえば、もちろん、彼に接触するために動くことである。移動だ。私は、彼と、受話器を置くまでに約束をしていたのだった。場所だ。私は移動するために場所へと向かわせよう、意志によって、約束した、移動だ。
 言葉にできない苦しみたちより、もはや言葉すら知ることのできない喜びに導かれることの方が重要に違いない、と、はっきりと知ることができるような出来事たちに、私の心はすっかり舞い上がっていたわけであるが、気がかりなのは、あらゆる相手の愚かさをあらゆる場所において際立たせることのできるような存在が、私の目の前にさっそうと現れるかもしれないのだということであり、それはすなわち、もしも彼が、そのような存在だとしたら、ということだった。大丈夫だろうか?私は優れているが、保証があるとしても、それは私にとって、あらゆる点で優れたことを示すものであるかが重要であったとしても、それを無視し、そうではなく、あらゆる点で、優れていることが私であることを知らしめるものではなかったのだ。彼に知らしめることのできる私の優秀さにとって、私に知らしめることのできる彼の優秀さは、脅かすものなのであろうか、どの程度、か?
 が、くよくよしていても仕方がない。私は動き続けて、場所を見た。殺風景だ。随分と殺風景だ。彼の考えでは、私がここに来ることになっている。私の考えでは……まあ、それはどうでもよい。私ごときが何かを考えたところで、あのはきはきしゃべる存在にはかなわないかもしれないのだ。
 が、遅くまでかかってでもたどり着こう、という彼の熱い思いを無視するわけにはいかないからには、いつまででも待つのだから、劣等感を覚えてばかりもいられないからには、かくして私は、いずれにせよ、たどり着いた彼を目にすることとなるであろう。
 が、そこへ、醜い者が通りすがりとして現れた。影たちに付きまとわれるのが日中だけであるようなはかなさを全身で醸し出し続けることが彼の自由だったとしても、私にとっては、「さあ、見るぞ」という思いを新たにしているつもりになっている者と同じように、その姿が鬱陶しい、――そんな存在だった。それはとても小さく、あまりにも目障りなくせに、小さく、ひどくとがって、小さく、丸みを帯びようとする気配すら排除しており、小さく、とても目障りだった。醜い小ささは俺をいらいらさせるだろう。地域を思う心!形を思う心!大切にね!大切にね!私はいつしか歌いながら、その小さく醜い顔を蹴り上げていた。
 「形を大切に土地を大切にね!地域を!地域を!心を美しく!体を醜くせず!邪魔者!邪魔者!汚いんだよ!邪魔なんだよ!のろま!のろま!形を大切に!花を美しく思う心に照らし合わせて恥ずかしくない外見で!さあ、勢いよく!」
 「あなたが『模様』ですか?」どこからか、よく響く美しい声が聞こえてきた。下を見下ろしてみると、その声が、私が蹴り上げている顔の、下の方の穴から漏れていた。「私が、行われていないときにあなたからの電話を受け取った者ですよ」私は衝撃を受けた。彼が、このように小さく醜い者であるとは、想像もしていなかったからである。
 「これはどうも、同志の方とはつゆ知らず、失礼しました。」私は彼のあまりの醜さに吹き出しそうになりながらも懸命にこらえ、丁寧に答えた。これならば勝てそうだ!
 「いえいえ、では、同志よ、行われないことによって被害を受けたすべての者たちは、ここに結集するでしょう」と答えた彼の声があまりにも澄んでいたので、私は思わず後ずさりした。強そうだ。
 だが、たじろいでばかりいるわけにもいかなかったので、私は、彼が話した内容について考えてみることにした。気になったのは、「行われないことによって被害を受けたすべての者たちは、ここに結集するでしょう」という部分である。その前に「いえいえ」と言っていたので、私のことは許してくれたのであろう。「では」と話を切り替えたことからも、そのことはわかる。そして彼は、「同志よ」と呼びかけ、私を同志として認めてくれたのだ。うれしいことであった。
 そのあとにも何か言っていたが、気にすることはないだろう。だが、全ての者とは、どういうことだろうか?結集というのも気になる。私は訊ねた。「古くから伝わる歌には、示唆に富むものがあります。例えば、

来い!さあ来い!さて、来い!くたびれ損ねて!

という歌は、今の状況に、まあ、ぴったり、というほどではありませんが、多少関係しているような気もします。あまりにも長く待っていた者にとって、損ねるのはくたびれることくらいだ、というような意味ではないでしょうか。
 私はあまり寛大ではありません。貴方が遅れてきたことを、許すつもりもない、ということです。白状してください。一思いに、言ってしまってください。隠しているでしょう?」
 「……何を?」
 「私が知らないことを」
 「……古い歌ばかり持ち出す悪い癖の持主とは思えないほど、示唆に富んだ引用でした。貴方はきっと、本当は寛大な方なのでしょうね。繊細な心の持主は、いつでも、そのようにして自分の心を隠したりするものなのです」
 褒められて気をよくした私は、あまり深く詮索しない方がよいのではないか、という気がしてきた。「すみません、言いすぎたかもしれません」。謝った。
 「いえいえ、では、同志よ、残りの仲間たちを待ちましょう」
 だが、待てど暮らせど、残りの仲間なる者は来なかった。私は再び訊ねた。
 「古くから伝わる歌ばかり持ち出して恐縮ですが、こんなものもあります。

影!影に!そのうち打ち明けられて、霜の降られ方は、
今日から、明日から……
新しさは忘れようともせずに打ち明け方を
日々、日々
音!狭さ!影を腐り損ねさせた遊びから
大きさを、景色を……
車、形、大きさ
他でもなくする

言いたいことは何となく分かるでしょうが、詳しく聞いていけば、そんなに大したことではない……ということを歌ったものなのでしょう、ということは何となくわかります。ただ、大きさばかりを気にしてもいられない。ねえ?」私はここぞとばかりに彼を見下ろし、私の方が大きいのだとアピールした。
 彼は、「もう少し待ちましょう」と言った。
 だが、いつまでたっても、仲間たちは来なかった。私はだんだんと心細くなっていった。そもそも、「仲間たち」とは誰のことなのか?

声をかけろ、音を覚えさせろ
口封じの覚えすぎに過ぎないことどもから奪われた
手ごたえをかすませろ
口に穴を開けすぎた広さから
濁り過ぎた上唇を
声にしてみよう
体を寄せろ、耳を澄ましすぎるな
言葉をかけたことのないあら探したちに奪わせるふりをした
影をつかませろ
歩き損ねよう
身に覚えのない上唇で
離そう

 そこへ、声たちが聞こえた。よく古い歌を口ずさみながら解釈の余地を存分に確保しておく真似をするような性格であるところの私にとってなじみ深い営みが、私以外の何物かによって営まれているらしいことを察知させるに十分なその内容は、もちろん、古い歌だったのだ。私は、「あれが仲間ですか」と尋ねた。
 だが彼の答えは、「いえ、違います」というものであった。あの歌は、単なる通りすがりのものだったのだ。私はいい加減に疲れてきてしまった。もう我慢をすることはできなそうだ。
 「もう我慢ならない。いきましょう」と私は言い、動き出した。彼は名残惜しそうに場所を見つつも、私に従うことにしたらしい。音たちが通りすがりから流れ出ることを耳にするのは、彼の風貌の醜さを際立たせ、私に優越感を与えることとなるだろう。だが、彼に悟られては、彼がかわいそうというものだ。私は何食わぬ顔をしながら移動を続けていた。あまりにも顔が何食わぬ風であったがために引き起こされた取り返しのつかないことたちは、全て、ことごとく、私に無縁なものであったに違いない――とは言い切れない。おそらく、功を奏したわけだ。彼は何も、名残惜しさのほかには、私に気配を感じさせる余地を与えなかった。つまり彼はその時、名残惜しさそのものだったといってよい。
 おかしなことだが、彼はいつでも四六時中、私が電話を掛けた時も変わらず、「名残惜しさ」だったに違いない。彼はいつでも、四六時中、私が電話を掛けた時も変わらず、名残惜しさそのものだったに違いない。彼は、いつでも四六時中、きっと、いやらしくも笑い続けることはことのほか簡単だが、推察を進めれば進めるほどに見えてくるものにとって、滑稽であることは、そんなに悪いものではない、と、思い込まれるような容姿は、彼にお似合いと言えるだろう私が、電話を掛けた時も変わらず、彼は、私には優越感を覚える権利があるほど、醜い、名残惜しさそのものだったに違いない。だが、彼はいつでも四六時中、私が電話を掛けた時も変わらず、名残惜しそうにしていたので、少しかわいそうにも思える。
 響かない気を付けよ、かわいそうな名残惜しさ、醜さ、といったものの兼ね備えは、そうであることによって際立たせるのが、話が上手いことである。
 感じれば感じるほどそうであることは彼にふさわしい。覚えようとすればするほど「覚える」ということそのものへと変化していく存在、話そうとすればするほど「話す」ということそのものへと変化していく存在、といった存在たちの系譜上に、彼はきっと連なっているに違いない。奇妙なことだ、「さあ、名残惜しく感じよう」という意思によって、彼は、「名残惜しく感じる」ということ自体へと変化するのだから。
 俺は、彼に聞いてみることにした。「あなたは『名残惜しさ』ですね?」
 「……それよりも、我々の組織について考えた方がよい。『行われないこと』によってこうむった損害を清算するためには、こうして我々が出会うことができたのは、運のよいことでした。
 本当はほかにも来る予定だったのですが……」
 私が無視された話し合いの中に入れられるべきだった思いは、新たにされる機会を失い、私に訊ねさせた。「誰が?」
 「ほかの被害者の方々です。連絡しておいて、さらに、組織運営の細かいことまで決めておいたのですが……」
 「細かいことまで?もう、決まっているのですか?」
 「はい」
 「私を抜きにして、そんなに話を進めていたのですか?」
 「はい」
 「なぜ私を話し合いに参加させてくれなかったのですか?」
 「君は邪魔だから。
 まあ、細かいことはよいでしょう」
 腑に落ちない点は多かったが、ともかくも私は、この醜い顔とともに、「非行為被害者会」を結成することとした。行為されなかったことの損害は、我々が、積極的に「さあ、行われないぞ」と思うことによって、成し遂げられていくだろう。行おうとする者たちは、我々が行われないという意思を新たにし続けることによって、行わずにいることたちの全体によって引き起こされるひどく残酷な状況へと身を置くことを余儀なくされていくのである。私はもはや、見られることはないだろう。彼はもはや、忙しく働き続けることはないだろう。我々はひたすら、進んで行われまいとし続けた。四六時中、我々は、行われないことのすべてであろうとし続けた。我々は行われることはないだろう。もはや行われることはないだろう。これは清算だ。行われてこなかった全てのことによってもたらされてきた取り返しのつかない被害の数々を、我々は彼らに、憎しみを込めて、ひたすら、返済するのだ。彼らへの膨れ上がらんばかりの憎悪たちは、ただひとつの目的に向けて、ことごとく、ひたすら、利用され、我々は、行われないでい続けた。すなわち我々は、あらゆることを、行われないでい続けた。
 そのうちに、「行おう」としていた存在どもの間で噂されたことは、行ったことのないことによって引き起こされたことたちが、それらの間であふれていったらしいことを示唆するに足るものだった。彼らはもはや、見ようとしたものを見ることはなかった。例えば、「さあ、床を見るぞ」という思いたちが沸き上がるにもかかわらず、目に入るのはことごとく、床以外の何物かであった。彼らが「さあ、見るぞ」と考えていないあらゆる状況において、床はそこにあったにも関わらず、彼らが見ようとした時には、必ずそこに床はない。彼らが見よう見ようとしている間、私は延々、見られまい見られまいとしていたのだ。行われることは大幅に減っていき、見られるものをこびりつかせていたはずの「表面」にあたる部分は存在たちを裏切った。そこにはもはや、「中身」と関係のある者の居座る余地はない。
 存在することに差し込んだ影を彼らの皮膚にこびりつかせているすきに、我々はただひたすら、影たちの隙間を埋める作業に没頭することができるのだ。それはおそらく、醜い顔のすぐ近くの地面で延々動かずにいた、その陰に似たものであったに違いない。あらゆる存在の表面には、私の同志の影がこびりついている。影がはびこり、見られまいとする意志だけが残るのだ。私はそれを間近で見た。彼の影すらも、もはや見られることはない。

 あらゆる表面たちにへばりついた影たちは、私たちの手によっていくらでも増やされることができたし、動かされることもできた。表面たちは恐れをなしていたに違いない。だが手遅れだ。自らが彼らにへばりついていたのだということを思い知らせるためには、自分自身がへばりつかれなければならない。我々はそれを教えた。むしろ感謝してほしいくらいである。
 だが我々の復讐が終わっても、意志だけは残り続けるだろう。表面たちの恐れと、我々の意志だけが、新たにされる思いによって、行い始めることを許される。我々は、行われずにいることをやめようとした。だが、いくらかの危険はある。我々の影に埋もれた存在たちが、再び行おうとすることができるのだと、いつ気づかないとも限らない。我々は相変わらず、強い意志を持ったままで、行い始めることを許した者たちの行いに、身を任せることにした。
 それは新たな思いたちを組み立てるだろう。組み立てられた思いにおいて、場所が切り開かれ、「表面」だけの存在たちがおっかなびっくり歩行する。街の誕生だ。そこには壁がある。床がある。建物がある。道がある。そして何より、美しい空があるのである。
 ふと目にした瞬間に呼び起こされるものとして選んだのが、私にとっては、空を美しいと思う心に照らし合わせて恥ずかしくない選択肢の一つであった、空自体であった。空の端を眺めようとするとき、かつて「模様」だったものは、一瞬だけ姿を現すこととなるだろうが、あまりにも短い時間であるがために、「表面」たちはその存在に気が付くことはないだろう。私は、一瞬だけ見られることによって、彼らの動向を知りながら、同時に身を任せたままでいられるのだ。
 要するに私は、幻の星である。誰もが見ているはずでありながら、だれも気が付かない、空の一部分に存在する何かのような存在であり、ある拍子に、皆が、私を一瞬だけ見るだろう。それは、私がその瞬間、「さあ、見られるぞ」と考えるがためである。これによって私は、いつ誰が空の一部分を見たのか、的確に知ることができるのだ。
 空は敷き詰められていると、だれもが思っているに違いない。だが、空白は至る所にある。
 同志がどうしているのかは、私は知らない。




[2017年執筆]



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