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自分を取り戻すための日記 52

2022.11.4 自分を取り戻すための試行錯誤11「なにかのせいにしない」

20年前に別れた元夫の夢を見た。
夢の中では私たちはまだ一緒に暮らしていて、
留守がちな私は夫の存在をまったく忘れていたことを思い出し、
深い罪悪感に陥っていた。

夢から覚めて、まだ意識が朦朧とする中、ふと元夫に連絡しようか、連絡して一言謝ろうかと思った。
でも、もう彼の連絡先もわからない。住所さえ知らない。
なにせ20年前別れたきり一度も会っていないし、所在確認をしたこともない。
もう連絡の取りようがないぐらいの薄い関係なのだ。

20年前別れたときは、まだ若かったし元気だったし、その先の希望と夢に溢れていて、別れたことを後悔したこともなかった。
自由な気分で晴れ晴れとしたし、後ろを振り返っている余裕さえなかった。
いま過去を振り返って謝りたいと思うのは、いまの自分が弱っているからだろうか、それとも過去に謝罪することでなにかを果たそうとしているのだろうか。

ふと「これはただの自己憐憫だ」と思った。
自分勝手で、ただの子どもっぽい自己満足、エゴだと思った。
自分が寂しくて侘しい気持ちを満たすために、ただの自己満足のために、他人を利用しようとするその気持ちが気持ち悪いと思った。
自分のために他人を利用するな。
自分の気持ちは自分でなんとかする、自分の気分は自分でコントロールする。
それが大人のやり方だ。

20年ぶりにいきなり連絡が来たら相手はどう思うだろう。
しかも勝手に家を出ていった相手。
一方的な別れを憎んだだろう。
理不尽さに泣いて恨んだかもしれない。
やっと忘れて自分の日常生活を確立した後に、再び相手の我儘な自己満足に付き合わされるのなんてまっぴらごめんだ。
私なら絶対会わない。

「謝りたい」という気持ちは、至極真っ当な正当な主張のようにも思える。
でも、それはただの自己満足だ。エゴだ。
相手を使った卑怯な自己満足の手段だ。
自分が気持ちよくなりたいだけの自分勝手なマスターベーションだ。

自分の犯した罪を自覚しているのなら、本当に悪いと思っているのなら、心から謝罪したいのであれば、
死ぬまでその罪を背負って、誰にも語らず、ずっと自分の中だけに重い荷物を抱えて、耐えて耐えて耐え続けるべきだ。
それは自分だけの罪なのだから。
相手に押し付けたり、相手を利用してその罪から逃れようとしたりしてはいけない。

私はずっと自分の気持ちを他人に委ねてきた。
自分の気分の上がり下がりを他人のせいにしてきた。
でも、私のいまの不幸も苦しい過去も、本当は他人には関係ない。
例え、その人たちから酷い暴力を受けたとしても(その加害者は厳罰に処されるべきだが)、
私の気持ちや気分にその人たちは関係ない。

私の感情や気持ちは私の精神状態は全部自分の責任だ。
私がコントロールして、私自身が選べるものなのだ。

夫とは色々なことがあった。
良いことも嫌なことも一杯あった。
別れることを選択したのは私自身。
その選択に後悔はしていない。
でも、いま自分が幸せじゃないことを過去のせいにしてはいけない。
他人のせいにしてはいけない。
あの時あんなことがあったから私はいま不幸な訳じゃない。
いま私が不幸なのは、私が私自身の考え方や感情や気分をコントロールできていないからだ。

いつでも私は選べるのだ。
幸せか、不幸か
自分を認めるか、認めないか
笑うか、泣くか
希望を感じるか、絶望するか
ポジティブか、ネガティブか
経験と捉えて前を向くか、被害者のままでいるか

親や夫や友人や会社や国や周りのせいにしていたら、一生私は幸せにはなれない。
幸せになれないのは自分のせいだ。
あらゆる経験はただの経験だ。
そこにどう意味をつけるかは自分自身にしか出来ない。
理不尽なことにはもちろんノーを言う。
大きな声でそれは違うと主張してもいい。
でも、それをどう捉えるか意味づけするかは自分の責任だ。

幸せになりたいなら、前を向くしかない。
これ以上傷を深くしたくないなら、自分で自分の傷を癒すしかない。
そこは誰も助けてくれない。誰も代わってくれない。
どんな酷い目にあっても体の傷はいつか癒えるし、その傷を勲章にして前に進むこともできる。
心についた深い傷跡はなかなか消えないけど、これ以上痛まないように、自分なりに創意工夫はできる。

なによりも大切なのは自分の感情と気持ちと気分のコントロール。
依存症患者がそのアディクションから抜け出すのは地獄の苦しみが待っている。
一定期間ただ耐えるしかない。
痛みに吐き気に渇望に耐えて耐えて耐えて、もんどりうって苦しんで、死んだほうがましと思うまで耐え抜いて、やっと先が見える。
真っ暗な長い長いトンネルを抜けて、やっと光が差してくる。
それぐらいの苦しみを抱えて耐えて、私たちはここまで生き延びて来たのだ。
そんな自分を褒めてやる。
誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めてあげる。

よく生き抜いた。
死なずにここまで生き抜いた。
もうそれだけでどんなに凄いことか。
自分は何も出来ない自分はダメだと否定ばかりしてきたけど、
自分はここまで生きてきた。
殺されずに自死せずにここまで生き抜けた。
もうそれだけでどんなに凄いことか。
それは私だけが知っている。

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