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too fast to live,too young to die(生きるにはあまりに…

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too fast to live,too young to die(生きるにはあまりにも速く、死ぬにはあまりにも若い)

記事一覧

春になって君は

数年前、ずっと興味があった英語の勉強をして、その後につなげてみたい、と彼女は言った。 それを聞いた時、いつか、お互いのいる場所が離れる時が来るかもしれないな、と…

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1年前
1

白い鳥青い箱の向こうで君は輝く

20代からTwitterを始めた。 趣味に分けてアカウントは色々持っていたけれど、今も使っているアカウントは一つだけ。 その頃から相互フォローの方と、最近交流があった。 …

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2年前
2

誰も知らない

「誰も知らない」という映画があった。 幼い少女が死に、兄とその友人がそのこを埋めた事件を題材に、長い時間構想が練られ作られた映画だった。 その事件の背景には親のネ…

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2年前
7

River is like a life,sometimes hard,sometimes slowly(川は人生のようだ、時々激しく、時々穏やか)

ある夏、ドイツの田舎町に行った。 そこには台湾人の友人が、ドイツ人の夫と暮らしている。 この時、私には、この2人の大切な友人のところに、どうしても行かなければなら…

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2年前
4

わたしは言語を手に入れた

私が英語を学んだのは、英語が好きだったからでも、英語が話せるようになりたかったからでもなかった。 ロンドンで暮らしていくためには、英語ができなければならなかった…

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2年前
33

そのストーリーに君は

「どんなモノにも、ストーリーがあると思うんだ」、と友人は言った。 彼女とは、ずっと若い頃に知り合った。 何かの話をしていたとき、彼女が、冒頭の言葉を言った。 仕事…

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2年前
3

母国語を使う

わたしのパスポートが眠りについてから久しい。 会いに行けない代わりに、海外の友人達とは、オンラインで会うようになった。 そんな日常に慣れた春、Yoonaの父親が亡くな…

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3年前
11

帰ってきた、と私が思う風景

高校時代、バス通学だった。 キリスト教育を取り入れた女子校で、スクールバスが市内を走っていた。 自転車で通った時期もあったけれど、 疲れるし、日に焼けるし、受験勉…

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3年前
1

日本人としてのアイデンティティ

Eunmiは、韓国人の友達だ。 ロンドンの語学学校で、私がPre-elementaryクラスの時に入校した。 私より少し年上で、イギリス人と結婚し、ロンドンで暮らしていた。 中国語も…

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3年前
12

未完成の完成

この記事は、リプライだ。 親しくなるほど避けられない話題は、歴史と家族の話だと思う。 日本人同士でも、異国の友人でも、そう思う。 長い、過去の私の時間の中で、 ど…

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3年前
4

その瞬間はいつ

ロンドンで語学学校に通っていた。 英語が分からなかった私は、初級クラスからスタート。 そこでできた初めての友達が、ブラジル人のJoelsonだった。 話した内容は覚えて…

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3年前
21

わたしの幸運とエンターテイメント

「ああ私は運がよかった」と思うことがある。 一つの事象には様々な角度があって、角度を変えれば見方は変わる。 角度をどう変えるとどんな見方ができるかは、なかなか気づ…

utayako
3年前
1

忘れてはまた、思い出す

アジア人差別、アジア人女性への差別。 私がそれに出会ったのは、やっぱりロンドンだった。初めはそれに気づかなかった、それが差別だと。だって、日本にいた時は経験した…

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3年前
3

わたしと日本語と英語

26歳でLondonに行って、27歳の時に盛岡に帰ってきた。 英語は使って生活していたけれど、たくさん話せるわけではないし、暮らしている間、私はずっと英語が下手な日本人だ…

utayako
3年前

「何もできなくていいから、ここにいてちょうだい」と言った人

昔、保育士をしていた。 大学を卒業し、取得した資格の一つ。 保育園で働こうと思ったのは、「本当に助けなければいけない人は、地域の中にいる」、そう思ったから。 だか…

utayako
4年前
7
春になって君は

春になって君は

数年前、ずっと興味があった英語の勉強をして、その後につなげてみたい、と彼女は言った。
それを聞いた時、いつか、お互いのいる場所が離れる時が来るかもしれないな、と思ったけれど、言わなかった。言ったら、その日がすぐに来てしまいそうな気がしたから。
少し時間が過ぎて、まだ何も起こらないことに少し私は安心した。彼女と会って話したり、何かを計画したり、楽しい時間を一緒に過ごすことが、本当に大好きだったから。

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白い鳥青い箱の向こうで君は輝く

白い鳥青い箱の向こうで君は輝く

20代からTwitterを始めた。
趣味に分けてアカウントは色々持っていたけれど、今も使っているアカウントは一つだけ。

その頃から相互フォローの方と、最近交流があった。
彼女は私より10近く若くて、会ったのはライブ会場だったドームで一瞬だけ。
控え目に笑う、とてもかわいいこだった。
お互いTwitterを使う時期には波があったから頻繁に交流はなかったけど、TLではいつも見かけていた。
初めの頃は

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誰も知らない

誰も知らない

「誰も知らない」という映画があった。
幼い少女が死に、兄とその友人がそのこを埋めた事件を題材に、長い時間構想が練られ作られた映画だった。
その事件の背景には親のネグレクトがあり、母親が帰らなくなったアパートで、一緒に暮らす幼い3人の弟と妹を、1番上の兄である少年が世話していた。まだ、義務教育さえ終わっていない年齢の少年だった。

お金も、生活能力もない子ども達だけの生活の中で、長男は外の世界と出会

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River is like a life,sometimes hard,sometimes slowly(川は人生のようだ、時々激しく、時々穏やか)

River is like a life,sometimes hard,sometimes slowly(川は人生のようだ、時々激しく、時々穏やか)

ある夏、ドイツの田舎町に行った。
そこには台湾人の友人が、ドイツ人の夫と暮らしている。
この時、私には、この2人の大切な友人のところに、どうしても行かなければならない理由があった。

彼女とはロンドンで出会った。
修道院が経営する女子専用のゲストハウス。学生というより、圧倒的に留学生が多い女子寮だった。
アジア人留学生には、共通する悩みが多い。
英語の発音、時差や母国と違う気候による体調変化、明ら

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わたしは言語を手に入れた

わたしは言語を手に入れた

私が英語を学んだのは、英語が好きだったからでも、英語が話せるようになりたかったからでもなかった。
ロンドンで暮らしていくためには、英語ができなければならなかったし、私がその国でやりたいことをやるためには、英語は不可欠だった。
イギリスで、英語を喋れない人間は、限りなく弱者だった。

語学学校に通っても、少し話せるようになっても、まあさっぱり分からなくて、習得には時間がかかった。
渡英前に申し込んで

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そのストーリーに君は

そのストーリーに君は

「どんなモノにも、ストーリーがあると思うんだ」、と友人は言った。

彼女とは、ずっと若い頃に知り合った。
何かの話をしていたとき、彼女が、冒頭の言葉を言った。
仕事で他人の家を訪れる機会が多かった彼女は、その家にある写真ひとつ、カップ一つに、必ずその人だけの物語がある、という話をしてくれて、その話を聞いて、出会った頃からずっと、彼女がモノを大切に買ったり使ったりする理由を、ほんの少し垣間見た気がし

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母国語を使う

母国語を使う

わたしのパスポートが眠りについてから久しい。
会いに行けない代わりに、海外の友人達とは、オンラインで会うようになった。

そんな日常に慣れた春、Yoonaの父親が亡くなった。
Yoonaは、ロンドンで知り合って以来、日本と韓国をお互い行き来しながら、
会ってはお酒を飲んだり美味しいものを食べたり、日常を報告したり大事な決断を共有し合う、大切な友人の1人。彼女が言うところの、precious fri

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帰ってきた、と私が思う風景

帰ってきた、と私が思う風景

高校時代、バス通学だった。
キリスト教育を取り入れた女子校で、スクールバスが市内を走っていた。
自転車で通った時期もあったけれど、
疲れるし、日に焼けるし、受験勉強時間に響くので、途中からバス通学になった。

スクールバスといっても、車体も運転手さんも県交通、
普通だった。
おじさんが運転して、小学生から高校生までが一斉に使っていて、普通だった。
テスト期間中、普段は部活の生徒も使うと、急に平日ラ

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日本人としてのアイデンティティ

日本人としてのアイデンティティ

Eunmiは、韓国人の友達だ。
ロンドンの語学学校で、私がPre-elementaryクラスの時に入校した。
私より少し年上で、イギリス人と結婚し、ロンドンで暮らしていた。
中国語もできて、韓国以外の国でも働いたことがあって、たぶんすごく頭が良かった。
私達のクラスは朝からだったので、いつも朝食を作ってきていて、よくサンドイッチやフルーツを私にくれた。
お金がない留学生だったから、いつも喜んでもら

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未完成の完成

未完成の完成

この記事は、リプライだ。

親しくなるほど避けられない話題は、歴史と家族の話だと思う。
日本人同士でも、異国の友人でも、そう思う。
長い、過去の私の時間の中で、
どんなことも、一部分だけを切り取れば、面白く話せた。
まるで普通の話に。
まるで素敵な話に。
本当を嘘のように。
これは、もう私がそれをしないと決めた話。

18年間の子ども時代は、私をいつまでも未完成にする。
けれど、それがあって私に巡

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その瞬間はいつ

その瞬間はいつ

ロンドンで語学学校に通っていた。
英語が分からなかった私は、初級クラスからスタート。
そこでできた初めての友達が、ブラジル人のJoelsonだった。

話した内容は覚えていない。
そもそも、英語が話せないから会話ではなかったと思う。
でもなぜ仲良くなったかはよく覚えている。
きっかけは課題だ。
語学学校だから、みんな英語の勉強をする。
初級クラス担当のKellyが、今からやる課題を説明して、
みん

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わたしの幸運とエンターテイメント

わたしの幸運とエンターテイメント

「ああ私は運がよかった」と思うことがある。
一つの事象には様々な角度があって、角度を変えれば見方は変わる。
角度をどう変えるとどんな見方ができるかは、なかなか気づかないし、それを知る機会は人間によるところが大きい。
だから私は、運がよかった、と思うことができたわけだけど。

子どもに対して、家族や親の大切さや重要性を説く人は多い。実際、そのとおりなのだと思うし、時代が進んでも、それは変わることはな

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忘れてはまた、思い出す

忘れてはまた、思い出す

アジア人差別、アジア人女性への差別。
私がそれに出会ったのは、やっぱりロンドンだった。初めはそれに気づかなかった、それが差別だと。だって、日本にいた時は経験したことがなかったから。
そして自分達が差別される側であることも、自分自身も人種や国籍に対して差別していることも、私はずっと知らなかった。

目を横に引っ張り細くして、アジア人の容姿の特徴を真似する行為をされたとき。「嫌な感じだからやめて」と言

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わたしと日本語と英語

わたしと日本語と英語

26歳でLondonに行って、27歳の時に盛岡に帰ってきた。
英語は使って生活していたけれど、たくさん話せるわけではないし、暮らしている間、私はずっと英語が下手な日本人だった。
英語以上に、相手を理解しようとする気持ちと、「わたしはわたし」、とどう思われるかを怖がらない気持ちばかりが育って、帰国した。

それでも、その後の生活で英語や英語で考えた時の日本語にはない思考、それらをツールとした人間関係

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「何もできなくていいから、ここにいてちょうだい」と言った人

「何もできなくていいから、ここにいてちょうだい」と言った人

昔、保育士をしていた。
大学を卒業し、取得した資格の一つ。
保育園で働こうと思ったのは、「本当に助けなければいけない人は、地域の中にいる」、そう思ったから。
だから、子どもが大好き!とか、子どもと遊ぶのが大好きこんなことをしたい!とか、そういうものはまだ持っていなかった。

1年目は散々だった(2年目も3年目も散々だったけれど)。
同期の中では、たぶん困った新人だった、他の先生達から見たら。
それ

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