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白い鳥青い箱の向こうで君は輝く
20代からTwitterを始めた。
趣味に分けてアカウントは色々持っていたけれど、今も使っているアカウントは一つだけ。
その頃から相互フォローの方と、最近交流があった。
彼女は私より10近く若くて、会ったのはライブ会場だったドームで一瞬だけ。
控え目に笑う、とてもかわいいこだった。
お互いTwitterを使う時期には波があったから頻繁に交流はなかったけど、TLではいつも見かけていた。
初めの頃は
River is like a life,sometimes hard,sometimes slowly(川は人生のようだ、時々激しく、時々穏やか)
ある夏、ドイツの田舎町に行った。
そこには台湾人の友人が、ドイツ人の夫と暮らしている。
この時、私には、この2人の大切な友人のところに、どうしても行かなければならない理由があった。
彼女とはロンドンで出会った。
修道院が経営する女子専用のゲストハウス。学生というより、圧倒的に留学生が多い女子寮だった。
アジア人留学生には、共通する悩みが多い。
英語の発音、時差や母国と違う気候による体調変化、明ら
わたしは言語を手に入れた
私が英語を学んだのは、英語が好きだったからでも、英語が話せるようになりたかったからでもなかった。
ロンドンで暮らしていくためには、英語ができなければならなかったし、私がその国でやりたいことをやるためには、英語は不可欠だった。
イギリスで、英語を喋れない人間は、限りなく弱者だった。
語学学校に通っても、少し話せるようになっても、まあさっぱり分からなくて、習得には時間がかかった。
渡英前に申し込んで
そのストーリーに君は
「どんなモノにも、ストーリーがあると思うんだ」、と友人は言った。
彼女とは、ずっと若い頃に知り合った。
何かの話をしていたとき、彼女が、冒頭の言葉を言った。
仕事で他人の家を訪れる機会が多かった彼女は、その家にある写真ひとつ、カップ一つに、必ずその人だけの物語がある、という話をしてくれて、その話を聞いて、出会った頃からずっと、彼女がモノを大切に買ったり使ったりする理由を、ほんの少し垣間見た気がし
帰ってきた、と私が思う風景
高校時代、バス通学だった。
キリスト教育を取り入れた女子校で、スクールバスが市内を走っていた。
自転車で通った時期もあったけれど、
疲れるし、日に焼けるし、受験勉強時間に響くので、途中からバス通学になった。
スクールバスといっても、車体も運転手さんも県交通、
普通だった。
おじさんが運転して、小学生から高校生までが一斉に使っていて、普通だった。
テスト期間中、普段は部活の生徒も使うと、急に平日ラ
日本人としてのアイデンティティ
Eunmiは、韓国人の友達だ。
ロンドンの語学学校で、私がPre-elementaryクラスの時に入校した。
私より少し年上で、イギリス人と結婚し、ロンドンで暮らしていた。
中国語もできて、韓国以外の国でも働いたことがあって、たぶんすごく頭が良かった。
私達のクラスは朝からだったので、いつも朝食を作ってきていて、よくサンドイッチやフルーツを私にくれた。
お金がない留学生だったから、いつも喜んでもら
わたしの幸運とエンターテイメント
「ああ私は運がよかった」と思うことがある。
一つの事象には様々な角度があって、角度を変えれば見方は変わる。
角度をどう変えるとどんな見方ができるかは、なかなか気づかないし、それを知る機会は人間によるところが大きい。
だから私は、運がよかった、と思うことができたわけだけど。
子どもに対して、家族や親の大切さや重要性を説く人は多い。実際、そのとおりなのだと思うし、時代が進んでも、それは変わることはな
忘れてはまた、思い出す
アジア人差別、アジア人女性への差別。
私がそれに出会ったのは、やっぱりロンドンだった。初めはそれに気づかなかった、それが差別だと。だって、日本にいた時は経験したことがなかったから。
そして自分達が差別される側であることも、自分自身も人種や国籍に対して差別していることも、私はずっと知らなかった。
目を横に引っ張り細くして、アジア人の容姿の特徴を真似する行為をされたとき。「嫌な感じだからやめて」と言
わたしと日本語と英語
26歳でLondonに行って、27歳の時に盛岡に帰ってきた。
英語は使って生活していたけれど、たくさん話せるわけではないし、暮らしている間、私はずっと英語が下手な日本人だった。
英語以上に、相手を理解しようとする気持ちと、「わたしはわたし」、とどう思われるかを怖がらない気持ちばかりが育って、帰国した。
それでも、その後の生活で英語や英語で考えた時の日本語にはない思考、それらをツールとした人間関係
「何もできなくていいから、ここにいてちょうだい」と言った人
昔、保育士をしていた。
大学を卒業し、取得した資格の一つ。
保育園で働こうと思ったのは、「本当に助けなければいけない人は、地域の中にいる」、そう思ったから。
だから、子どもが大好き!とか、子どもと遊ぶのが大好きこんなことをしたい!とか、そういうものはまだ持っていなかった。
1年目は散々だった(2年目も3年目も散々だったけれど)。
同期の中では、たぶん困った新人だった、他の先生達から見たら。
それ