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「何もできなくていいから、ここにいてちょうだい」と言った人

昔、保育士をしていた。
大学を卒業し、取得した資格の一つ。
保育園で働こうと思ったのは、「本当に助けなければいけない人は、地域の中にいる」、そう思ったから。
だから、子どもが大好き!とか、子どもと遊ぶのが大好きこんなことをしたい!とか、そういうものはまだ持っていなかった。

1年目は散々だった(2年目も3年目も散々だったけれど)。
同期の中では、たぶん困った新人だった、他の先生達から見たら。
それまで、「できない」カテゴリにあまり入れられたことがなかったから、そういう意味でも私は戸惑っていたのだと思う。

春と夏の間くらい、主任保育士も経験したことがある、当時は年長を担任していた先生と、2人で遅番の日があった。

子ども達が降園し、保育園を閉める時、「最近はどう?慣れた?」と声をかけてもらった。
何と答えたかは覚えていない。
たぶん、なかなか上手くできない、とか、失敗ばかりで迷惑をかけてる、とか、ネガティブな内容だったことは確か。
そんな風には聞こえてこないよ、大丈夫誰でも最初は新人、などの言葉の後に
「何もできなくていいから、この保育園にいてちょうだい」、と優しく言われた。

まだ暑くない夜の、静かな時間だった。
けれど、強烈に覚えている。

彼女が言ったその言葉は、私が話したことのどの答えでもなかった。
私に必要だと思ったから言ったのか、ただそう思ったから言ったのか、分からない。
彼女は、新人が職場にいる意味、新しい人が入ってくる意味を笑いを交えて話しながら、駐車場まで一緒に歩いてくれた。

人を育てるって、ああいうことなのかなと、今も時々思う。
近くで見ていなければ、今のその人や考えていること、教えるべきことは、くっきりと見えない。
伝えたから良くなるわけでもない。
でも手を伸ばされることはある。
この人に必要かな?と思うことか、私が伝えたい、と思うことを言うしかない瞬間は、その後の私にもあって、そこにその人の本質が現れるといつも思う。

あの時彼女が言ってくれた言葉は、私の職業人生に大きな影響を与えている。
同じような瞬間が訪れるたび、いつも感謝する。あの言葉がなければ、後に続かないものがたくさんあったから。

最後まで私は、子どもが大好き遊ぶの大好きな保育士ではなく、子ども達の満たされない気持ちや気になる家庭に必要な支援の方に目が行きがちだった。
一般的にイメージする保育士らしさ、は持てなかった。
それでも、保護者の方や子ども達と良い時間を過ごし、保育士人生を悔いなく楽しく送れたのは、私が何者でなくても、同じ職場に入ってきただけの縁で彼女がかけてくれたあの時の言葉。
それが、保育士でい続けること、職場に居続けることに私を向かせてくれた。

今は保育士ではないけれど、いつかまた保育士として働くことがあったら、彼女みたいな保育士を目指したいなと思う。
彼女はいかにも保育士、のイメージを体現したような先生で、私とは資質が違うことも分かっているが、無理なこともやってみようかなと思わせる力が、信頼、なのかなと思っている。



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