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わたしの幸運とエンターテイメント

「ああ私は運がよかった」と思うことがある。
一つの事象には様々な角度があって、角度を変えれば見方は変わる。
角度をどう変えるとどんな見方ができるかは、なかなか気づかないし、それを知る機会は人間によるところが大きい。
だから私は、運がよかった、と思うことができたわけだけど。

子どもに対して、家族や親の大切さや重要性を説く人は多い。実際、そのとおりなのだと思うし、時代が進んでも、それは変わることはないとも思う。
でも、当時14歳の私にとっては全く関係ない話で、それを言われれば言われるほど、世の中の感覚と自分の環境は、随分違うようだと思い知るばかりだった。
その頃、自分で申し込みをして通った塾の事務に、27歳の女性がいた。
普通の人で普通の苗字で、顔も朧げにしか思い出せないのだけど、私はこれまでも今も、彼女のことを時々思い出している。
この人に会えたことは本当に運がよかった、私にそう思わせた1番最初の人。

ある時その人から、他の大勢が言うような一般的な話を説かれた。家族とか親とか、教えられながら出来上がっていく子どもの成長とか、そういうもの。
その頃、世の中の感覚と自分が生きてきた環境や感覚の違いに、私は分かりやすく絶望していて、色々なことがどうでもよかった。
もうたくさんだな、と思ってた私は、「私が直面していることは、そういう種類のことではない。けれど、言っても普通の人には分からないから、話す気にもならない。理解されないことを、私はもう知っている」、ということを言った。
彼女は、しばらく黙った後、「分かった」と言った。
そして、彼女の家族の話をして、10代の頃に感じていたことを話し、20代後半になってからの変化を教えてくれた。
「今は分からないかもしれないけれど、大人になれば色々なことが変わる。いつかきっと分かるから、だから、諦めないで」
そう言った。

その後、彼女と特別親しくなったわけではなかったけれど、自分を心配したり理解しようとする大人が新鮮だった私は真面目に塾に通い続けた。彼女が言った「諦めないで」、が何を諦めないかは分からなかったし、変わる、が何のことかも分からなかった。
でも、自分の高校受験の合格祈願をしてくれて、自主勉強をしていると温かい飲み物を入れてくれるキレイな大人のお姉さんの応援が嬉しかったから、私は黙々と勉強して、無事に高校に合格した。
大学でも、就職し盛岡で暮らし始めた時も、ロンドンに行ってからも、帰国し盛岡に住み始めてからも、彼女が言ったことは、事実だったな、と思い続けている。

人も環境も変わる。それは自分も含めて。
歳を重ねることで変わることもあれば、年齢関係なく、変わることもある。
たくさんの変化は、14歳以後の私を救い続けた。
そして、あの時彼女が諦めないでと言ったのは、私自身のことなのかもしれないと、当時の彼女と同じ歳になる頃に思った。
諦めないで、はまるで呪いのように、これからもたくさんの良い人々に巡り会うことができるし、いいことがたくさん起こると、いつも私に思わせる。

何がかは分からないまま、「諦めなくてよかった」と思わせる人間に多く出会いすぎて、当時抱いていた気持ちを、今の私は思い出すことさえできない。
他人事のように、「運がよかったな」と思うくらいに、苦しんでいない。
随分前、運よく出会った人々があまりに私を大事にしたり、理解しようと考える姿を見ながら、私はいつか、あの頃の気持ちを忘れるかもしれないな、と思った。そうなったら、幸せだな、とも。
仙台でもロンドンでも盛岡でも、そう思う瞬間は何度もあって、繰り返すうちに私は本当に忘れた。家族や環境、そこにいた自分に抱いていた憎しみや絶望を。
そうして、どんどん時間は過ぎていった。時々私を追い越しそうな速さで。

誰も私を理解しないと強く思っていたのに、私はもう、自分を理解したり、理解できなくてもそれをし続けようとする人がいることを、知ってしまった。
「大人になればきっと分かるから、だから諦めないで」
今会うことのない人が言ったこの言葉は、時間が経つにつれ、ジワジワと私に効いて、自分を好きになる気持ちに姿を変えた。それはもう、全く違う別の物に。会うこともない他人の言葉を、何年経っても思い出したり助けられたりする経験。
それは、福祉の仕事に対する今の私の考え方に直結している。

福祉の仕事は生活を支えたり、日常に寄り添ったり、そういう類であって、華やかなエンターテイメントとはほど遠い。
でも、窓口でも廊下でも相談室でも、どこでも、
相手に伝わるその一瞬を逃さなければ、2度と会わない人間の一生も、変えたり支えることができる、エンターテイメントに負けないくらい、とても夢のある仕事だと私は思っている。
彼女は私が今も自分を思い出しているなんて考えもしないだろうし、私も自分が出会った相談者が、どんな風に考え立ち止まったり進み出すか、そこに自分が何か助けになったのか擦りもしなかったのか、知ることはない。
でも、どこかで誰かを奮い立たせたり進ませたり、何かが起こったり。
それがつながったり巡り巡っていくと思うと、とてもワクワクして、これぞエンターテイメント、と思う。

人との出会いも、自分を幸せにできる考え方も、私が運良く手に入れたもの。
いつか去ってしまうかもしれないけれど、できるだけ長く側にいてくれたらいいなと思う。
幸せな時間はものすごいスピードで進むけど、できるだけ長くこの速度でいられたらと思うし、これからも私が出会うだろうたくさんの幸運に、そろそろ何か返したいな思う。それがどういう形になるかは、まだ分からないけれど。

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