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帰ってきた、と私が思う風景

高校時代、バス通学だった。
キリスト教育を取り入れた女子校で、スクールバスが市内を走っていた。
自転車で通った時期もあったけれど、
疲れるし、日に焼けるし、受験勉強時間に響くので、途中からバス通学になった。

スクールバスといっても、車体も運転手さんも県交通、
普通だった。
おじさんが運転して、小学生から高校生までが一斉に使っていて、普通だった。
テスト期間中、普段は部活の生徒も使うと、急に平日ラッシュの山手線みたいになることはあったけど。

大人になると、当時は知らなかったことも知る。
求人の給料、ちょっと安くない?とか
シフト勤務って大変だな、とか
土日祝、お盆も年末年始も働くんだな、とか。
私が住む土地は、高齢化が早く進み、20年前から高齢化率全国平均を上回っている。お年寄りが多いバスは、運転にも気を遣うだろうな、とか。
思い出してみると、席に座る立つのアナウンスがやたら多い。
乗ると「発車します」と言われ、道中ではバスが停車してから立つように言われ、走行中に立とうものなら、割と注意される。
停車する直前、こちらが立ち上がるのを見透かしたかのように、
「ただいま停車します」と言われることもある。

県外から友達か来る時、私は必ずバスを一度は使う。
好きな風景があるからだ。(立つ座るを牽制するアナウンスではない。)
バスとバスががすれ違う時、運転手同士が軽く手を上げて挨拶をする。
これは私が高校の時からだけど、今も同じ。
仙台やロンドンから帰ってきて、それを見たとき、ふるさとに帰ってきたんだなぁ、と思った。旅行から戻った時も、いつも思う。
物凄く笑顔で手を挙げあっている運転手もいれば、
だいぶめんどくさそうに手を挙げている人もいて、慣習なんだろうなと思うけれど、私はこの風景が大好きだ。

最近新しく気づいたことは、雨の日、出口のところに傘が何本もかけてある。
晴れてる日もそうなっているバスもあって、基準はよく分からないけれど、そう言えば、その傘貸してもらったことがあるな。

形あるものはいつかは変わるし、コロナで色んなことがガラリと変わったように、時代の流れと共に変わるものもある。
それでも、このバスの風景は、できるだけ、できるだけ長く続いてほしいなと思っている。
そしてまた、遠くから訪れた友人達に、わたしの街を走るバスの素敵なところと、乗客の安全に厳しいところを、こっそり解説したい。
早く、そういう世界に戻るといいな。

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