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忘れてはまた、思い出す

アジア人差別、アジア人女性への差別。
私がそれに出会ったのは、やっぱりロンドンだった。初めはそれに気づかなかった、それが差別だと。だって、日本にいた時は経験したことがなかったから。
そして自分達が差別される側であることも、自分自身も人種や国籍に対して差別していることも、私はずっと知らなかった。

目を横に引っ張り細くして、アジア人の容姿の特徴を真似する行為をされたとき。「嫌な感じだからやめて」と言っても、ふざけているだけ、事実でしょう、と言われたら、何も言えなかった。
私はそのことについて、何も考えを持っていなかったから。
家に帰って、感じた違和感が何だったのかを考えながら、いくつかの単語を辞書で引いた。そして、discrimination、差別という単語をその時知った。

街で罵声を浴びせられたり写真を撮られても、急いで通り過ぎた。なぜ自分がそうしたのか分からなかったけれど、それが一番安全な方法だと感じたから。

同じアジア人なのに、どうして英語で話すのか、同じ言葉を使えばいいと言われた時、答えられなかった。私たちは同じアジア人でも、違う言語と文化を持っていて、お互いそれを大切にしているし、私はそれを知っているから、そう説明する友人の姿を後から見て、その通りだと思った。
でも私はそれまでそんなことを考えたことはなく、アジア人は皆同じ言語だと思っている人が世界に決して少なくないことも、知らなかった。

そういった場面に出くわした時、それをするのは女性のこともあれば男性のこともあって、年齢も色々。攻撃意思があることもあったけれど、無意識に行われる時ほど、逃げる術がないこともその時に知った。

黒人差別についてSNS投稿がたくさんあった時、私が感じた違和感はこれだったと今は分かる。
「私たちもだよ」
人種差別、女性差別は私たちの物語でもあるけれど、日本では誰もそれを言わないし、気づかないことさえある。
女性差別とアジア差別のintersection、それがロンドンで暮らす私だった。
もちろんそれは私だけではなく、今この時だって、同じことは起こっている。
色々なことが複雑に絡み合うことだけど、ここに書いたこれは、わたしのストーリー。

海外で私が出会ったアジア女性への差別。
その差別やイメージの全ては、必ずしも日本の外で生まれたものではなく、この国が重んじた習慣や性別役割、固定概念、もしくは女性の意思なく作られたイメージが一助となって、望ましくない形であの日の私に投げつけられた。
何も知らなかった私はそれをダイレクトに受けて、10年間、噛み砕き続けている。

神妙な顔をして「ヨーロッパに来てそんな思いをさせてごめん」となぜか謝った、普段は陽気なイタリア人の友達や、いつものグループでクラブに行き、その日はなぜか絡まれ続ける私から絶対に目を離さず、最後には私を連れて外まで一目散に走り出した韓国出身の男友達。
道で突然罵声を浴びせられた私に、「他人を尊重するべきだ」(アジア人も、とか女性も、ではなく、他人を)と相手との間に割って入った見知らぬ白人男性や、「見た目はインディアンだけど、私はNY出身よ」と笑顔で私に答えた、空港で隣になっただけのアメリカ出身の女性。

人種性別年齢言語に関わらず、相手を尊重する人や私の中にある差別を意識させる人は必ず現れて、いつも私に問いかける。
国籍や見た目ではなく、personalityを見ているか。
晒された差別にうなづいて笑うことで、次につなげてしまってはいないか。
忘れてはまた、思い出している。
どうであっても、こうして私がこの国に暮らし考えることに、多分意味はない。
相手に寄り添う、受け入れる、共感することを大切にするこの国で、相手を尊重するという言葉そのものが、曖昧だとさえ思う。
これを読んで、「大変な思いをしたんだね」と言ってくれる人がいるかもしれない。
でもその必要はない。大変なことだと感じたことはなく、ただの日常だったから。日本で思い出すと特別なことが、世界のスタンダードである時、「また私は忘れていた」と、思い出す。

かつての私が感じたことが、最近はメディアに載ることが多くて、ああこれが私が思っていたことだ、こういう名前だったのか、と思ったりする。
アジア人差別に対する著名なアーティストの声明の最後は、we will stand togetherで終わっていた。日本語では、「立ち向かおう」とか「共にある」と訳されていて、その通りなんだけれど、stand togetherのgoogle翻訳は「団結する」。
考えを共有することがstand togetherだと思っているから、私は今日、これを書いた。

#ジェンダー観 #アジア人差別

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