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その瞬間はいつ

ロンドンで語学学校に通っていた。
英語が分からなかった私は、初級クラスからスタート。
そこでできた初めての友達が、ブラジル人のJoelsonだった。

話した内容は覚えていない。
そもそも、英語が話せないから会話ではなかったと思う。
でもなぜ仲良くなったかはよく覚えている。
きっかけは課題だ。
語学学校だから、みんな英語の勉強をする。
初級クラス担当のKellyが、今からやる課題を説明して、
みんながそれに取り組む。
内容は、プリントだったりペアワークだったり、まあ色々。
私とJoelsonは、同じ頃に入校し、同じくらいの英語レベルだったが、
その説明を理解することができる段階ではなかった。
だからKellyは、いかにも分かっていない私とJoelsonを呼んで、いつも説明をした。
英語に慣れるまでは、その説明も理解できなくて、
席に戻ってからも何をする分からなかった。(Joelsonも)
でもただ座っているわけにもいかないから、
私もJoelsonも周りがやっているのを見たり聞いたりして、
それを持ち寄り、お互いのプリントを力を合わせてやったり
その時周りがやっているような感じのワークを、なんとなくやったりした。

(会話レベルの)英語を習得する前、
英語の文法は分かってもヒアリングが本当に本当に本当に苦手で、
私は「分からない」とつぶやいてばかりだった。
相手が言っていることが本当に分からなくて、でも
英語ができなければ、あの国で生きることも
私がやりたいこともままならなかった。だからやるしかなかった。
と言っても、すぐにできるわけもなく、
私があまりにも分からないというものだから、
Joelsonは I don’t knowよりも先に、「分からない」を覚えた。
方や私は、クラスメイトやKellyに質問に行く時、
いつもJoelsonが「vamos」と言うから
「Let’s go」や「Come on」を自然に使えるようになる前に
ポルトガル語のvamosを使えるようになった。

私たちのやりとりは、いつの間にか初級クラスのルーティーンになった。
Kellyが説明をする。
みんなが課題に取り組む。
Kellyが私とJoelsonを呼ぶ。
vamos(行くよ)と言って、説明を受け
説明を受けた私達は席に戻って、課題に取り組む(または、ワカラナイと言い合う)
英語を話し始める前に、確かに私達は友達だった。
0歳児も1歳児も2歳児も、流暢な言語を習得する前に、友達になれる。
それと同じだ。
英語が話せなくても、Joelsonには、話しかけることができた、
まだ自信がない、覚えたての英語を。
「Morning(おはよう)」「How was your weekend?(週末はどうだった?)」
「Did you understand this(これ分かった?)」

いつの間にか私達は英語で会話をしていた。
バイトが決まった、新しい友達ができた、次のアクティビティには参加する?
そろそろ上のクラスに行けそう、新しいフラットを探している、
夏は学生が多いね、生まれた国のことを教えて。
彼は私よりも10歳近く若く、アルバイトに忙しかったから
私が遊ぶグループのメンバーにはいつも入っていなかった。
でも同じクラスの時は一緒にワークをし、
クラスが変わってからも、廊下で会えば話をした。

私が帰国を控えた、語学学校最後の日。
アルバイトで大忙しだった彼は、偶然その日学校にいて、
ラッキーと思った私は、大きな声で彼を呼び止め、
コース終了と帰国を伝えに行った。
そういう時の挨拶は、定形文的なものもたくさんあるのだけれど
Joelsonと話したことはとても印象的で、よく覚えている。
「自分達は、初めは会話ができなかったね。だって英語が分からなかったから。
俺は日本語(ワカラナイ)を先に覚えたし、Yasukoはスペイン語を覚えた。どうやって話していたんだろうね。今思い出してもめちゃくちゃ面白いな。
でも、今俺達は会話ができる、それも英語で。帰国の報告?Upper intermidiateクラス(中上級レベル)コースを終了?Yasukoが?信じられないだろうな、ワカラナイと言っていた過去の自分達は。その間に、あの時同じ初級クラスのみんなは、自分の国に帰ったね。Yasukoも遂に帰る時がきたか。日本に帰っても、Yasukoなら何だってできるよ、そのpersonarityを俺達はよく分かっている。my oldest classmate(僕の1番長いクラスメイト)、よい人生を。そして、幸せでいて」
涙が出そうだった。
話してくれた内容ももちろん嬉しかったのだけれど、なぜそんな気持ちになったか、その時は分からなかった。
Joelsonや自分の成長に感動したのか、英語がワカラナイと言っていた初夏からあっという間に過ぎた時間に、少し感傷的になったのか。
今思えば、長くも短くもないロンドン生活の中で、運よく良い友人と巡り会えた幸運を実感したのだ、私達が獲得した母国語以外の言語から。
私も、まだまだ若い彼と彼の未来を褒め称え、ポルトガル語とスペイン語、そして笑顔で何度も助けてくれたお礼を言った。結局、アルバイトや年齢の問題で、最後までパブで乾杯できなかったから、次に会った時はビールで乾杯しようねと言って、ハグをした。また会おう、と。

最近、この話を友達にしたらいたく気に入ってくれて、
私もいい友人のことを思い出してとても楽しかったので、忘れてしまう前にここに書くことにした。
いつから友達だったかは分からない。
ロンドンで、英語でつながったたくさんの縁があったけれど、
言語だけが人をつなぐわけではないと、Joelsonを思い出す度に思う。

帰国してからSNSで知ったのだけれど、柔道をやっていたらしい。
知っていれば、1回くらい組んだのに。
アルバイトではなく仕事をするようになって、好きなものが増えて、
大切なものが増えて、今話をしたら
また面白い話がいっぱいあるのだろうと思う。
ヨーロッパで働いているようだから、近くまで行った時は
遊びに行こうかな。そして、あの時できなかった乾杯をしたい。

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