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誰も知らない

「誰も知らない」という映画があった。
幼い少女が死に、兄とその友人がそのこを埋めた事件を題材に、長い時間構想が練られ作られた映画だった。
その事件の背景には親のネグレクトがあり、母親が帰らなくなったアパートで、一緒に暮らす幼い3人の弟と妹を、1番上の兄である少年が世話していた。まだ、義務教育さえ終わっていない年齢の少年だった。

お金も、生活能力もない子ども達だけの生活の中で、長男は外の世界と出会い、初めて友人ができる。
その友人との出会いによって冷たくなった妹を、埋めたのだ。事件の発覚は、それから数ヶ月後だった。

悲しい事件だった。
母親さえいれば起こらなかったとされ、最終的に、罪を犯したとされる子どもには、福祉的措置がとられたことを覚えている。高校か大学の頃、その裁判の内容の記事を読んだ。
そこには、兄である少年が、妹の死や母から言われた家族の世話をできなかったことを悔やみ、自分の行いを後悔している言葉があった。その言葉は、父親や母親、子ども達を知っていた数少ない大人達が存在しているはずの世界で、唯一彼だけが、起こった全てに精一杯の責任を感じているように思えた。彼もまた、本当は守られる側であったはずなのに。

何も与えられなくても子どもは親を愛するから、虐待は残酷だと思う。

今探しても、その記事は見つからない。当時はiPhone もIPad もなかったし、紙ベースじゃないと残っていないのかもしれない。
それくらい昔から、こういうことはあった。父親にならない父親と母親になった自分から逃げるしかない母親、自分以外のもののせいで、子どもとして生きられない子ども達。

今でも時々、当時のその少年が、今は誰か頼る人がいればいいなと思ったりする。
悲しい事件は、誰も頼る人がいないことで、ますます悲しい事件になっていく。

今年の夏、妹を死なせた兄も、同居の母親に連絡したり誰かに頼るのではなく、事故を擬装するしかないほど、あなたの周りに大人はいなかったのか、と思った。
あなたはまだ子どもだから頼っていいと、誰の言葉もいつの環境も、あなたに伝えなかったのか、と。
子ども時代を、子どもとして生きられない人間が、この国にはどれだけいるのだろう。
綺麗な建物綺麗な道路、店がたくさん並ぶ先進国で、子どもの姿で制服を着て、幼い顔立ちをして、それでも、子どもとして生きられない人間が、どれだけいるのだろう。

高校の時、習い事の帰り夜のコンビニ。いくつかのお酒の名前と、氷、と書かれた白い紙を持って走ってくる、7〜8歳の女の子。大学時代のバイト先で、母親とその恋人が家にいて今日帰れないから泊めてほしいと言った、女子高生。
通勤途中にある児童センターに通う、夏休み中に朝挨拶だけする男の子が、「親が離婚するから引っ越す。もうここに俺は来ない」と言った時。急に近づいた車の中から老人に話しかけられ、困った顔で振り向いた少女。
何が真実かは分からない。でも、気になったら、声をかけた方がいい。
話した方がいい。
あの時声をかけていれば、あのこは、と後から思うよりずっといい。
真夜中のコンビニにきょうだいを連れて行ったことがなくても、その気持ちや状況が分からなくても、声をかけることは、誰もができることじゃないかと、思う。大人としてできることを考えることも。
見知らぬ人が助けようとしてくれたことが、絶対何かにつながるから。
そうして何かがつながり続けて、私は生きてこられたから。
私は返せているだろうか、他人が私にしてくれたことに。私はなれただろうか、誰も知らない子どもを助けられる大人に。

引き寄せるように、時々見知らぬ子どもや若者は私の前に現れて、その子の安全や心が心配になることを言って、私はいつもハッとする。
あの時望んだ大人になっているか、なりたくないと思った道を選んでいないか、いつも考えさせられる。
どうして私にはこういうことが起こるのだろうと思いながら、これからもずっと現れてほしいとも思う。
私が他人からしてもらったように、私が見知らぬ子ども達にできることを、ずっと考え続けたいと思うから。自分がしたことの答えなんか、でなくていいんだ。

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