見出し画像

日本人としてのアイデンティティ

Eunmiは、韓国人の友達だ。
ロンドンの語学学校で、私がPre-elementaryクラスの時に入校した。
私より少し年上で、イギリス人と結婚し、ロンドンで暮らしていた。
中国語もできて、韓国以外の国でも働いたことがあって、たぶんすごく頭が良かった。
私達のクラスは朝からだったので、いつも朝食を作ってきていて、よくサンドイッチやフルーツを私にくれた。
お金がない留学生だったから、いつも喜んでもらって食べた。今思うと、私が初めて食べたキンパは、Eunmiが作ったキンパだった。

ロンドンで暮らし、語学学校に通って知ったことは、私は日本のことを知らないし、考えたこともなかったんだな、ということ。
授業では、自分の国や街の紹介、自慢できること、美しいもの、美味しいもの、偉人や歴史なんかを話すペアワークがあって、英語以上に、その話す内容に私は毎回苦慮した。
ある時、自分の国の歴史的人物を発表するスピーキングの授業があった。
私は何を話したかも覚えていない。
でも、Eunmiが話し、その後起こったことは、私の考え方に大きな影響を与えた。
彼女は、自分の国の歴史上の人物の話をし、その中には少し日本が出てきた。あまりいい感じの登場ではなかった。
彼女は話しながら、少し泣いた。
感情が昂ると、声を抑えてsorryと言い、少し落ち着いてから話をまとめた。
そして、バッグからハンカチを出して目元を何度も拭った。

母国を離れ暮らしていると、自分の国や家族の話をしながら感情が昂る学生はこれまでもいて、それでも、
Eunmiが泣いたことに、私は衝撃を受けた。
歴史上の日本の話で泣いた、
良い友人だと思っていたけど、私はどうしたらいいんだろう、
そんなことを思ってみても、このことについて、私は自分の考えを持っていなかったことに気づいた。
でも、私の国が、今彼女を泣かせていることは事実だ、と思った。
初めての感情だった。
私はずっと、歴史がどうでも過去がどうでも、今ここにいるあなたと私、が何よりも大切なんだ、と思っていた。
親しい友人が、わたしの考えと相反する状況で泣いたことは、私が日本にいたら、おそらく思わなかったことを考えさせた。
彼女は、見知らぬ国で、同じアジア人として暮らし、気候やコミュニケーション、英語力、文化について比較的近い悩みを持ち、お互いの国の食や似た味付けを好み、英訳できない感情を、お互いの国の言葉で分かり合える友人だったから。
目の前の異国の友人が、私の考えを180ど、一瞬で変えた。
授業が終わってから、近づいていき、「私は何も知らないけれど、今あなたを泣かせているのが私の国であることは分かる。そんな思いをさせてごめん」、と言った。
彼女は、違うyasukoは何も悪くない、謝ることはない、と言って、首をふった。たぶん、本当にそう思っていたとも思う。
その後、私とEunmiは変わらず良い友人だった。
イベントに出掛けたり、お茶をしたり、クリスマスマーケットに行ったりと日常を楽しみ、私は彼女から韓国語のイントネーションでyasukoと呼ばれるのが好きだった。
でも、彼女が泣いたあの時から、歴史や国について自分自身との間にあった明確な境界線がなくなり、私が知らない何かも、確かに私達のこの今に繋がっているものとして、認識した。
考えて決めたのは、意見を持っていない、ということを、きちんと伝えること。

ある夏、韓国から別の友人が盛岡に来て、一緒に数日間過ごした。
わたしの部屋で、盛岡市内の産直で買った新鮮な魚やフルーツを食べながら、お互いの国の歴史の話を初めてした。
私はやっぱり、「ごめん、私は何も知らないんだ。だから、考えたことがないこともある」と言って、彼女は、「何も知らないと思っていることを知っている」と言った。「yasukoが悪いわけではない」、とも。
受けた教育も違うので、討論するには向かないのだけれど、私が話す相手は、政治家ではなくいつも友人なので、彼らが教育を通して学んだことを聞き、考えたことを聞き、私が知っていることや考えたことを話す。
そして、これからも互いの考えや感情を受け入れ、互いの国を行き来し、互いの文化を楽しみ刺激を受け、日常や考えていることを話していきたい、と言い合ってハグをする。
それは、互いの国の音楽、旅行、言語、SNSといった文化が当たり前に自分達の日常にある私達の世代になって、初めてできることではないか、とも思うのだ。
政治や教育のことは分からない。でも、自分のことなら分かる。私は、同じアジア人として出会い親しくなり、これからも同じ時間を過ごす友人達と、そうしていきたいのだ。
ロンドンでも韓国でも日本でも、国籍が違う友人だから特別なのではない。
話すことで出会い、私がまたつくられた。
パスポートがなければ会えなくても、またねと抱き合い肩越しに見える世界が、また会う時まで変わらずにあるようにといつも願う。

私の日本人としてのアイデンティティー。
それは必ずしも、日本という国だけでできているわけでは、もうない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?