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未完成の完成

この記事は、リプライだ。

親しくなるほど避けられない話題は、歴史と家族の話だと思う。
日本人同士でも、異国の友人でも、そう思う。
長い、過去の私の時間の中で、
どんなことも、一部分だけを切り取れば、面白く話せた。
まるで普通の話に。
まるで素敵な話に。
本当を嘘のように。
これは、もう私がそれをしないと決めた話。

18年間の子ども時代は、私をいつまでも未完成にする。
けれど、それがあって私に巡ってきた人や決断、考え方は確実に私を幸せにしていて、もう手離すことはできないものになっていた。
永遠に埋まらないその欠損が、私という人間を完成させていたこと、随分長く気づかなかった。欠損を含めて構成された自分を、もう私は否定することも嫌いになることもできない。
これを、仙台で一緒に過ごしていた人達が聞いたら嬉しくて泣くだろうな、と思うし、同じ思いをして生きた友人達は、最高だ、と笑うと思う。

自分のルーツに関心を失い、自分の手でつくる人生を始めてから、長い長い時間が過ぎた。
そうすることで、私は与えられたものより自分で得たものが、たぶん人より多い。その分、分からないことも。
子ども時代に一つも見つからなかった答えを探し続けて、
人より長く、少し苦しんだけれど、知らない答えを探すことを、いつか辞めた。
そして、自分のために生きることを決めた。
だから、時折される質問、例えば私の子ども時代やそこにいた私以外の人間について、答えを持っていなくて困ることもある。
聞かれた時、探したくなる、あの頃探し続けた、私のものにはならなかったピースを。
聞かれた時、知らなければいけないような気持ちになる、ありもしない普通らしいものを。
そうして心が騒めくけれど、私はもう知っている。
それが、私の全てではないこと。
私は自分の答えや、私を構成するものを選べること。
違うことそのものに、傷つく理由はないこと。
だから私は、何も答えることはできず、変わることももうない。

話しても伝えても理解しようとしてくれても、理解されないことをとうの昔に知っている。
理解したい、やありのままに受け入れることが、私がもらえる最大値だと思っているから、そう思い続けてくれたらいいな、と思う。
もしかしたら、これこそ理解されない気持ちかもしれないけれど。

お金を稼いで、自分の安全な場所で、好きなものを食べて、好きな人達に会って、きちんと眠る。
ずっと私が望んでいた生活は、私を毎日幸せにする。
それで充分だったのに、神様はなぜか私に人々を準備して、
私を理解する人と、理解しようとする人を、今日まで次々と私に巡り合わせた。
自分以外の人の気持ちを知って、大切にすることやされることを知って、
私は人間になっていった。

2度と取り戻されない時間や愛情の代わりに、私に巡ってきた時間や人や、成り立った自分自身があまりに尊かった。与えられて、人間になった私。
最初から持っていたものが少なかったから、何かを悔やんだり、妬んだり、後悔することがなく、それによって残った人と、去った人がいた。
人は勝手にストーリーを作る。イメージやエピソードをつなげて、どんなものも勝手に作られる。どうラベリングされても、これは私のストーリー。
今の私を見ていてくれる人達に、
いつか上手に話したいと思うけれど、その方法が今はない。
理解できないと知っているからではなく、
どうしたら、私が望むように伝わるのか、分からないのだ。
でも、もう一部分だけを切り取って、面白そうに普通そうに、見せることはしない。それは私のストーリーではないから。
幼かった私が無意識に身につけた生きる術を、私はまた一つ手放す。そうしてまた、なりたかった大人になっていく。私が手放した過去に、今の私につながる何かが、良いものも悪いものも、どちらも確かにあったのだと思いながら。
面白くせず、関心もよせず、いつか普通に話すから、
それまで、私に向けてくれた「理解したい」、を
柔らかな陽のあたるいいところに、優しく置きおいてくれることを願って。

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