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River is like a life,sometimes hard,sometimes slowly(川は人生のようだ、時々激しく、時々穏やか)


ある夏、ドイツの田舎町に行った。
そこには台湾人の友人が、ドイツ人の夫と暮らしている。
この時、私には、この2人の大切な友人のところに、どうしても行かなければならない理由があった。

彼女とはロンドンで出会った。
修道院が経営する女子専用のゲストハウス。学生というより、圧倒的に留学生が多い女子寮だった。
アジア人留学生には、共通する悩みが多い。
英語の発音、時差や母国と違う気候による体調変化、明らかに異なるアジア人の外見に対する無意識または意図的な差別、食文化の違い、とか。
そのどれだったか、全部だったか、私達は少し話をし、共感したり涙したりしながら、慣れない外国で一緒に美味しいものを食べたり楽しいことを見つけ、スペイン人のAnaとドイツ人のMorenaと、よく4人でいるようになった。(これはまた別の話)

彼女は私が渡英した2か月後には帰国する日程だったから、フランスに続く大きな駅まで見送りに行った。
初めての台湾人の友達との別れに涙したけれど、その後も縁は続き、Germany、Taiwan、Kyoto、Shanghai、世界のいたるところで再会した。たまの再会とメッセージのやりとりの中で、私達はいつもお互いの話をした。人生は決断の連続だから、話すことはたくさんあった。
お互いの決断を尊重しリスペクトし合える友人は、会う機会が少なくても、私の人生に重要な人間になっていった。

あの夏、彼らには自分達の決断ではどうしようもない、受け入れ難いことがあって、それを1週間前に知った私は、絶対に会いに行こうと決めた。
楽しい旅行にはならないかもしれない、でも私達はYasukoに会えたら嬉しい、そう言われて、私は楽しい旅行をしたくて行くわけじゃない、いつものように人生を分け合い、共に生きるために会いたいのだ、と言った。

再会した夜、長い長いハグをした。次の日から、ドイツやスイスを周りながら、その時思っていることを少しずつ話した。
スイスの滝を見に行った時に、水の勢いがすごくてまっすぐ立っていられず、「I may put and flow by this water(私もこのまま流れていくかも)」と私が言うと、彼女は笑った。
その土地の1番高いところに登って、滝や流れる水を見下ろした。流れが早く勢いが強すぎて水しぶきしか見えないところ、ゆるやかで水の色がわかるところが見えて、
「River is like a life,sometimes hard,sometime slowly(川は人生のよう。時々激しく、時々穏やか)」、そう言うと、彼女はそのとおりだと言ったあと、「What happened suddenly(急にどうしたの?)」と笑った。帰宅してからも、夫に私の真似をしその場面を再現して、爆笑していた。

5日後、別れ際にまたハグをして、「いつも味方でいる、あなたの人生が激しくて流されそうな時は、私のボートで迎えに行くから。ボートがなかったら、泳いでいくよ」そう言って、別れた。後から送ったメッセージには、2人分乗せるボートの準備には時間がいるから、辛くなるまえに呼んでいいよ、という冗談も添えて。

あれからもうすぐ2年が過ぎる。
2年前、私達がそれぞれ直面していたものはもうない。または、形を変えて違うものになった。
私が、滝と川を見ながら題名の言葉を言った時、彼女は「but it keep going (でも続いていく)」とすぐに続けて答えた。
私達は知っている。流れは止まらないし、時間を止めることは誰にもできず、進み続けるしかない。
いい時も悪い時も、繰り返しながら続いていった。過ぎた時間は、私達に何かを伝えたり、伝えなかったりする。
あの夏、私はいつもより多く、生きることと死ぬことについて考え、それに少しだけ触れた。どんなことが起こっても生きている限り、but it keep going、全ては続いていく。

この夏、オリンピックに熱狂した彼女から、困難な状況下でオリンピックを開催した日本への賞賛と、新しい知らせが届いた。その長いメッセージの中では、「東京オリンピックはまさにYasukoだね、現実に向き合い、再び人々にエネルギーとパワー与える、そうして、もう一度強くなれたように感じさせる。本当にそう思うよ」と書いてあった。
日本語に直訳すると少しわかりにくい、英語特有の表現が散りばめられたこの英文が、なんだかとても嬉しかったのは、たぶん、私が彼女にとって、そういう友人であり続けたかったから。あの夏からずっと。
「それを聞けてとても嬉しい、私はあなたにとってそういう友人でいたかった。私にとってのあなたが、そうであるように」、そう返した。

見知らぬウイルスによって、去年から国内外にいる友人達に、今までのように会えなくなった。また会おうと言った日は、どんどん遠くなっていく。
それでも「また会おう」、そう思い続けることが、戦争も暴動も飢饉もない時代の日本に生まれた私が知る、希望というものなのかもしれない。
流れ続ける時間の先に、あの日から望んでいる再会があることを、心から願う。
その時きっと、彼女達は、新しい家族を連れて私の街にやってくる。

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