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母国語を使う

わたしのパスポートが眠りについてから久しい。
会いに行けない代わりに、海外の友人達とは、オンラインで会うようになった。

そんな日常に慣れた春、Yoonaの父親が亡くなった。
Yoonaは、ロンドンで知り合って以来、日本と韓国をお互い行き来しながら、
会ってはお酒を飲んだり美味しいものを食べたり、日常を報告したり大事な決断を共有し合う、大切な友人の1人。彼女が言うところの、precious friendだ。

その知らせはインスタのメッセージで届き、初めて彼が闘病していたことを知った。
少し会話をし、彼女は、それでも父は、ずっと幸せそうに見えたと言って、私は、そう見えたなら、きっとそうだったよと返した。

葬儀は静かに執り行われ、でも良い時間を持てたようで、渡航できなかった私は、SNSでその様子を知った。
葬儀の後、彼女は、自分はきっと父のように、これからも幸せに生きていけるとSNSに書いていた。
出会ってからこれまで、話す中で知り感じていた、彼女の生き方や考え方は、確かに彼女の父親から受け継がれたものがあることを知り、私が最後まで彼に会えなかったことは、ただただ残念だった。
私よりも若い友人が、気持ちを整えて家族を大切にしながら、また日常に戻ろうとする姿を見て、労いたい気持ちでいっぱいになった。

文化が違うから、私が使おうとしている言葉や労いが、相手の文化にとって無礼にあたらないかを調べたりして、メッセージを作り始めた。
英語で作る文章には随分慣れたけれど、私が普段使う言葉で、英訳できないものも多い。「大丈夫?」とか、「おつかれさま」とか、「微妙だ」とか。
私が感じたことや伝えたいこと。結局のところ、それは日本語で構成されているから、必ずしも英語に訳せるものではない。
特にアジア人同士では、英語に訳すと表現しきれない振る舞いや、微細な感情が多くある。今の私の感情は日本語でできているのだけれど、友人を労い、今の彼女を支える一助となるよう、私が考えたことを伝えたかった。
どうするのが、1番いいだろう。そう思った。

その時、唐突に思い出したことがあった。
そう言えば、私を励ますために、日本語のある言葉を覚えて、一生懸命伝えてくれた友人がいた。
コロンビア人のRegis。
留学時代の友人だ。
その頃、私は英語がなかなか伸びずに悩んでいた。
ヒアリングに苦労するということは、スムーズなコミュニケーションがとれないということ。コミュニケーションがとれないということは、理解することもできず、理解されることも望めない、誰にも。
同じクラスだったRegisは、私が悩んでいるのに気づいたのか知ったのか。
前日に私が暗い顔をして、担当の先生と話していたから、何か聞いたのかもしれない。
その日の朝、Regisは、50代の日本人のクラスメイトに何かを聞いたり書いてもらったりしていて、休み時間に私のところにやってきた。
彼は、一生懸命に慣れない音を発音しながら、日本語で
「きみは、ひとりじゃない」、と言った。
その後、辛い時は母国語で伝えた方が、Yasukoに伝わると思って、と言って、思っていることを、今度は英語で、一生懸命話してくれた。
ここにいる全員、英語の課題を抱えている、みんな、英語下手だよ、言いたいことが伝わらないこともある、みんな、やりたいことをやるために英語を勉強しているし、若しくはこの国で生活するため、みんななんとかここにいる、Yasukoは誰も私を理解しないと言ったけど、英語が伝わらなくても、そのもどかしさは、みんな分かるよ。Yasukoのこと、僕達は分かってるよ、もし、英語が伝わらなくてもね。
自分の国を離れて生活するのも大変なことだよ、ここはロンドン、誰も助けてくれない。物価も高いし…今この学校に日本人は少ないし、孤独を感じるかもしれないけど、Yasukoは1人じゃないよ。友達だろう?困った時は僕達を頼って。1人じゃ頼りない、英語が不自由な留学生でも、みんないるよ。Yasukoも僕達も、1人じゃないよ。僕達はclassmateだ。Yasuko、絶対に忘れないで、どんな時も、この国に1人だと君が思っても、君は1人じゃない。

自分よりずっと若い友人が、私を励ましたくて言ったことと、私の母国語を調べてまで、伝えようとしたこと。
彼が伝えたかったyou are not aloneは、とてもシンプルな言葉のはずなのに、彼が考えてした全てのことで、私に深く充分に伝わった。
私はとっても嬉しくて、泣きながらうなづいた。
クラスメイトが、なぜ泣いた、どうしたのYasukoと言って、かたいティッシュや食べ物をくれた。
英語ができなかったから孤独を感じていた、でもみんなと話したいから頑張る、と涙を拭いながら言ったら、トルコ人のErenは、「Yasukoは努力しているだろう、何が問題なんだ」、と言って、中国人のXinxinは、「僕の英語よりみんなに伝わってるからno problem」と言って私を笑わせた。
私が笑ったのを見て、Regisも他のみんなも嬉しそうにしてくれて、英語が上達したわけでもないのに、私は少し元気になって、また努力を続けることにした。
その日の帰り、これを忘れないようにしようと思い、Regisが一生懸命練習した日本語が書いてあるメモをもらった。

ああ、英語に訳さなくてもいいんだ。
あの時の、Regisの気持ちがよく分かった。
相手が、1番理解できる言葉で、伝えたい気持ちを、伝えたいと思うこと。
それ自体が、充分に気持ちを伝えてくれる。
私はもう、それを知っていた、そう思って、
私は初めて韓国語を書いて調べて、メッセージを打った。

「수고하셨어요」
おつかれさま、で始まる文章は、途中から英語になって、
それでも、わたしの気持ちにぴったり合ったメッセージになった。
彼女に送るメッセージに、最近ずっと考えていたことを書いて、I hope your life is going very well with your dad spirit(あなたの人生が、あたのお父さんの精神を受け継ぎながら、良く進んでいきますように、わたしの自慢の友達)、そう結んだ。
彼女からの返信の中に、
「私達の国籍は違うし言葉も違うけれど、あなたの言葉は、いつも私を慰め励ます。必ずまた会おう」とあった。
国籍が違う、文化が違う、言語が違う。
国籍や言語で括ってしまえば、単純で、分かりやすくなるように思える、たくさんにことがある。
それでも、彼女からのメッセージは、話すことで私達は出会い、共に生きることができるのだ、と実感させた。

Regisは今、masterdegreeのため、Yoonaの国にいる。
あの時、私の母国語で励ましてくれた友人が、
今私が同じことをしたい思った友人と同じ国にいるなんて、すごい偶然だ。
もらったものを誰かに返すこと、または、別の誰かのつなげること。
それは、やろうと思ってつなげていくのではなく、唐突に思い出して、確かにあった経験値として、私を動かす。
1人じゃない。Regisが私に言ったことは、真実だった。
私がYoonaに言ったことも、彼女にとって真実になればいいな、と思う。
見方を変えれば、何もかもが変わる。
どんな時もどんな状況でも、素晴らしく美しい角度で私は大切な人達を見て、美しいね素晴らしいねと、言い続けたい思った。

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