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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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#書くこと

名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

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我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

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インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

先日、こんなことやるよーとnoteに書いた。

無事、先日7日に開始。小さな一歩を踏み出した。

わたしはTwitterの固定ツイートに、以前からこんなことを提示している。

1年と少しが経過した今も、わたしには書くことしかない。ここに「聞くこと」が加わってできたのがミチイロだ。



人のことをコンテンツのネタにする、ということに抵抗感がある。だから、基本的にわたしが個人で書くものは「わたし

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痛みや苦しみは必須じゃない

痛みや苦しみは必須じゃない

苦しさを乗り越えて到達した山頂からの眺めは格別だ。達成感が美しさを際立たせるのだろう。山登りは趣味ではないけれど、あの「やった、綺麗!」という感覚は身体が覚えている。

同じようなことなのか、誰かがハードルを乗り越えた先に何かを成し遂げることに、わたしたちはいたく感動する。投げかけられる「感動しました」「勇気をもらいました」の数々。

代表的なものはスポーツの試合や大会だろう。スムーズに実績を打ち

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潰しがきかない選択

潰しがきかない選択

昔から、何かと考えることが好きだった。レベルとしては、書くことと同じくらい。「考える」と「書く」はわたしのなかでワンセットだから、「書くことが好き」に「考えることも好き」が含まれるのだけれど。

高校時代、「そろそろ進路を考えなければいけません」、となったとき、わたしは希死念慮真っ最中だった。そのため、「進路」を考えられる余裕はなかったのだけれど、親に希死念慮志望をスルーされたため、無理やり「それ

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感動と甲子園と24時間テレビ

感動と甲子園と24時間テレビ

甲子園が終わったらしい。「らしい」というのは、実際には見られていないからだ。テレビをほとんど見ていないため、主にラジオで情報を得ていた。

得ようとしていたというよりも、ふだん聴いているラジオで話題になっていたから、が正しい。

野球好きらしいパーソナリティがもうひとりのパーソナリティ(無知)に説明しているのを聴いたのだけれど、熱量が伝わりつつわかりやすい説明だったなあ。ああいう、「好き」を伝えな

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誰かから、誰かへ

誰かから、誰かへ

そのノートは、交換しない交換日記だった。

取材帰りに、かねてより行きたかったカフェに立ち寄った。各テーブルにメニューと一緒に置かれていたのが、その交換日記だった。

片面1ページ、多いときは両面1ページ。びっしりと誰かが書いた文字が並んでいる。「交換日記」とされてはいたけれど、特定の誰かと誰かが交換するためのものではない。ときには同じ人の文章もあったのかもしれないけれど、基本は行って帰ってくるた

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親じゃない大人たち

親じゃない大人たち

叔母からメールがきた。「出産が迫る妹にお祝いをあげたいけれど、若菜ちゃんのときって何をあげたっけ?」とのこと。「本人に聞いてごめんねー。ばあちゃんだから忘れちゃって」軽快な文章が、叔母の声で再生される。

実家の親は、メールになると途端に「ど、ど、どうしましたか」とこちらが感じてしまうかしこまった文面になってしまうので、叔母の「そのまんま」な感じが楽しい。

叔母は社交的で朗らか。それでいて細やか

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深く潜り、浮上し、また前進する

深く潜り、浮上し、また前進する

久しぶりに小説を書いた。書き上げたことに満足しつつ、果たしてどこかへ届くんだろうかという想いも抱きながら、昨日noteにあげた。

効率性やスピードがとかく重視される世の中において、小説を読むことや書くことは、きっと真逆に位置している。

ノウハウやマニュアル、ハウツー本(やnote)が光を浴びがちなのは、最短距離で目的地や理想郷に辿り着きたいと考えている人が多いからだろう。その一方で、創作は瞬間

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お金は目の前ではなく先にある

お金は目の前ではなく先にある

お金が好きだ。でも、稼ぐのは好きじゃなかった。

物欲はそれなりにある。だから、お金は必要で、「生きていけるだけあればいい」とまでは達観していない。ノストラダムスの予言の話を友人としながら、「恐怖の大王じゃなくて札束降ってきたらいいのにね」と言っていた小学生だった。結局、札束はもちろん恐怖の大王も降ってはこなかったけれど。

いつだって、やりたいことやなりたい職業がお金と結びつけられなかった。「こ

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“書き頃”まで熟成させる

“書き頃”まで熟成させる

中学生頃から、何かを思いつくたびにメモをする習慣がある。学生時代は、そのほとんどが創作に関するネタだったけれど、今はnoteやブログに書きたいと思ったものの断片をメモすることも多い。

昔は手書きのノートだったけれど、今はほとんどがスマホに詰め込まれている。中にはnoteの下書きに直接入れられているものも。キーワードだけであったり、一文であったり、タイトルだけであったり、メモの形はさまざまだ。

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ペルソナ「アラサー」のイメージ

ペルソナ「アラサー」のイメージ

記事を書くときに大切なことのひとつが、ペルソナ設定だ。わたしは記事LPの仕事をすることがあるのだけれど、その際には、必ずクライアントから「何歳くらいの女性で、こういう人」という指示を受け、その層に向けて書く。細かいときには、収入や家族構成まで指定されている。

指示がない仕事でも、その記事が掲載される媒体には、ある程度の年代や性別が想定されているものだ。書くときには、同じ意味の言葉の中から、ペルソ

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「個人的な文章」の感じ方

「個人的な文章」の感じ方

「自分語りはいらない」という意見を見聞きしたことがある。「無名の人間が個人的なことを書いた文章は読む気にならない」という言葉も見たことがある。個人的には、そうした意見はわからなくはない。「え、うん。そうなんだ」としか感想が浮かばない文章は、確かにたくさん存在している。

けれども、わたしは「個人的な文章」が割と好きだ。別に読み手のウケを狙ったものではなくても、「いいな」と感じるものはある。作家個人

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うさ脳オンナの「書く」もの

うさ脳オンナの「書く」もの

ふわっとした雰囲気の文章が好きだ。“癒しオーラ”が滲み出る、昼下がりの陽だまりのような、北欧ナチュラルインテリアのカフェのような、そんな文章。

ないものねだりとはよくいったもので、わたしには書けないからこそ、憧れるのだろうなあと思う。

わたしの文章を読んでくれている人が、果たしてどのように感じているのかはわからないけれど、わたし自身では、わたしの文章は何とも堅苦しいなあと思っている。

性別で

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