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【読書ノート】11「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源」ダロン・アセモグル, ジェイムズ・A・ロビンソン

1) 本書によると、現在先進国と言われている経済的に繁栄している国は包括的な政治と経済が存在し、破綻国家などと呼ばれている貧困に苦しむ国には収奪的な政治と経済が存在する。この包括的な政治・経済とは、「多元的価値観」「富と権力の分配」「財産権の保障」「公平な市場」などを意味し、収奪的な政治・経済とは、「専制的政治」「富と権力の集中」「独占市場」「確固たる財産権の不在」を意味する。そのため国家の持続的な成長には包括的制度の確立が必要であり、収奪的制度の国は衰退したままでいる。

2) この包括的な政治・経済制度は自然発生するものではなく、政治経済の変化に抵抗する利権既得者とそれらの権力を制限したいと望む人々のあいだの、争いの結果である。その結果、既得者の支配力が弱まる一方で対抗するものの力が強まり、多元的社会を形成するためのインセンティブが生じる。歴史上で包括的制度が現れる例はイギリスの名誉革命や北米におけるジェームズタウン植民地の創設などで、イングランドにおいて産業革命が名誉革命の数十年後に始まったのは、包括的な政治・経済制度の確立に帰したものであり、決して偶発的に発生したものではない。

3) 収奪的制度の国ではごく一部の人が国富を支配しており包括的な政治経済制度によるイノベーション、創造的破壊や富の公平な分配は、支配者層を政治的、経済的敗者へと追いやることになる。そのため為政者の変化への恐怖が強い独占と支配を強化し、結果として集積された富がそれを奪い取ろうとする人々を生み出し内紛、革命、クーデター、内戦をまねく。

4) 民主主義は必ずしも包括的制度を生み出さない。例えばベネズエラやコロンビアなどは民主主義の国だが収奪的な政治・経済のもとにある。また収奪的制度の国でも経済的に大きな発展を遂げることがある。スターリン下のソ連や鄧小平以降の中国などがその例である。しかし現在の中国の成長はしばらく続くかもしれないが、長期的に見て持続的成長には繋がらないだろうし、将来自主的に包括的制度に移行するわけでもない。

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国際協力に携わる一人としてこの著書で最も興味深いのは、下巻の最後の方に描かれている国際機関などが長年に渡って破綻国家(収奪的な政治経済の国々)に対して行ってきた対外援助はほとんど役に立っていないという考察である。

「1つ目は、国際通貨基金のような国際機関が支持することの多いやり方で、低成長の原因は劣悪 な経済政策と経済制度だと認めたうえで、国際機関が貧困国に採択させたい改善策のリストを提示する(ワシントン・コンセンサスによって、そうしたリストの1つが作成される)。そうした改善策が 追求するのは、マクロ経済的安定といった理にかなった事柄や、政府部門の規模縮小、柔軟な為替レート、資本勘定の由化など、一見魅力的なマクロ経済の目標だ。また、よりミクロ経済的な目標も追求する。 民営化、公共サービス提供の効率化、そして、腐敗をなくす措置を重視して国家そのものの機能を向上させるといった提案もあるかもしれない。そうした改革の多くはそれ自体、理にかなったものかもしれないが、ワシントン、ロンドン、パリをはじめ世界各地の国際機関の手法はいまだに誤った考えに縛られ、政治制度の役割も、制度が政策策定に与える制約も、認識しないままだ。国際的学術組織がより良い政策と制度を貧困国にむりやり採択させて経済成長 を設計しようとしても、うまくいかない。なぜなら、 貧困国の指導者は無知だという以外、そもそもなぜ悪い政策と制度がその国にあるのかを説明する準備をしないからだ。その結果、政策が採択も実施もされないか、あるいは形だけ実施されることになる。」(3740 -3749)

「繁栄を設計する2つ目のアプローチのほうが、いまではずっと時流に乗っている。そのアプローチは、国家を一夜 にして、あるいは数十年で貧困から繁栄へと引き上げる簡単な解決策はないことを認めている。けれども、良い助言さえあれば修復できる「ミクロ市場の失敗」が多いのだから、政策立案者がそれらの機会を利用すれば繁栄が生み出されるはずで、そのため にはやはり、経済学者などの助力と先見の明が必要だとされる。このアプローチによれば、小さな市場の失敗は貧困国ではいたるところにあり、たとえば、教育システム、医療の提供、市場の構成などに見られる。それはまぎれもなく真実だ。だが、問題は、それらの小さな市場の失敗は氷山の一角であって、収奪的制度下で機能する社会のもっと根深い問題の症状にすぎないかもしれないことだ。貧困国のマクロ経済政策が貧弱なのは偶然の一致でないのと同じように、そうした国々の教育システムがうまく機能しないのも、偶然の一致ではない。それらの市場の失敗は無知だけのせいではないかもしれない。善意 の助言に基づいて行動するはずの政策立案者と官僚も問題の一部かもしれず、 そうした非効率性を正す多くの試みが裏目に出かねないのは、まさにその任にある人々がそもそも貧困の制度的原因に取り組まないからだ。」(3783-3784)

「それによって気づかされるのは、ミクロ市場の失敗の多くがたやすく修復できそうに見えるのは錯覚かもしれないということだ。市場の失敗を生む 制度的構造は、ミクロレベルでインセンティヴを増やそうとする介入の実践をも阻む。問題の根本原因である収奪的構造 とそれを温存する政治に立ち向かわずに繁栄を設計しようとする試みは、実を結びそうにない。」(3812-3815)

「アフリカのサハラ以南、カリブ海沿岸、中央アメリカ、南アジアの貧困問題を解決するために富裕な欧米諸国が多額の「開発援助」をすべきだという考えは、貧困の原因についての誤った理解に基づいている。アフガニスタンのような国が貧しいのは収奪的制度のせいだ。そうした制度があるせいで、所有権も、法と秩序も、まともに機能する法律制度もなく、国のエリートや、もっと多くの場合、地方のエリートが政界と財界に厳然と君臨するようになる。同じような制度上の問題のせいで、対外援助は略奪されたり、届くべきところに届かなかったりして、効果を発揮できない。最悪の場合、対外援助が、そうした社会問題のまさに根源である政権を支えることになる。持続的経済成長に包括的制度が必要だとすれば、収奪的制度の上にあぐらをかく政権に援助を与えるのは、解決策にはなり得ない」(3859-3866)

「国家が貧困のサイクルから抜け出すには、包括的な政治・経済制度が必要だ。対外援助はその点ではほとんど役立たないことが多く、とくに現在組織されているようなやり方では絶対に役立たない。世界の格差と貧困の根源を認識するのは、偽りの約束に望みをつながないためにこそ大切だ。そうした根源は制度にあるため、対外援助は、受け入れ国の既存の制度の枠内では持続的成長を促さない。第2に、包括的な政治・経済制度の整備がカギとなるため、現在提供されている対外援助の少なくとも一部をそうした整備に使うのは有用だろう。…対外援助の利用と管理によって、従来は権力から遠ざけられてきたグループや指導者が意思決定 プロセスに参加できるように援助の仕組みを整え、国民の幅広い階層に権限を委譲するのがより有望なやり方だろう。」(3893-3901)

もと世銀職員で「傲慢な援助」など批判的な著書のある開発経済学者のウィリアム・イースタリーの「The Tyranny of Experts: Economists, Dictators, and the Forgotten Rights of the Poor」には、恐らくここに述べられている欧米諸国のエコノミストたちの貧困国での経済アドバイスがまるで機能していないことを描いていると思われるが、未読なので近いうちに目を通したいと思う。

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(2020年5月3日)


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