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AIは罠にかかった妊婦を抱っこしてあやす|ノンフィクション短編小説

罠にかかった妊婦
安定期に入り安堵した。
安産祈願で腹帯を頂き、家計に少し痛い金額を納め、その2週間後に私は死産した。
私のことはどうでもいいが、おめでとうと言ってもらえないこの狂った空間を理解するのに時間がかかった。

「まだ動いてる」
医師が赤ちゃんを抱っこしながら、独り言のように呟いた。
でも、そのほんの数秒後、私の横に寝かせてくれた時にはもう動いていなかった。
私は泣き叫び、罠にかかった獣と化する。
錆びついた檻の中でされるがまま、そこに私の意思などない。

「他の赤ちゃんの泣き声が聞こえてしまうお部屋じゃない方がいいよね?」
一瞬で体重が軽くなってしまった私は小さく頷く。
さっきまで檻の中に一緒にいて、私の手を握り、共に泣いてくれた女性の助産師さんだ。
分娩室から移動して、病室へ案内してくれるようだ。

どうしてこの人はこんなに優しくしてくれるんだろう。
甘ったるく柔らかい声で、空っぽになった私に砂糖をまぶして甘やかしてくれる。
お仕事だからとはいえ、寄り添おうとしてくれる姿勢に感激した。あまりにも尊い仕事を目の当たりにし、「ありがとうございます」を異常な程に連呼する。
今までに何千人、何万人もの泣き声を吸収した白い壁に、私の湿った幼稚なお礼も吸収されていく。

冷たく乾燥していて、静寂に包まれた病室。
私にはやることが何もなかった。
ただただずっと泣いていた。
朝も昼も夜も夜中も。


7cm
「子宮筋腫合併妊娠です」
医師からそう告げられて、無知な私には、この身に何が起こっているのか分からなかった。
どうやら事態は深刻なようで、
「7cmです」
という医師の言葉が、毒ガスのように診察室に充満している。

子宮頸がん検診は定期的に受けていたので、私の子宮に不穏な肉片が棲みついているなんて、夢にも思っていなかった。
私の子宮筋腫は7cm。大きさや場所によってリスクが異なる。子宮筋腫合併妊娠でも問題なく出産している妊婦さんは大勢いるが、流産や早産のリスクについても説明を受けた。リスクのある妊婦さんはこちらの病院では対応出来ないとのことで、大きな総合病院を紹介された。

粘度のある汗のせいでベタついた冷たい手で、私は紹介状を握りしめる。
「リスクのある妊婦」という称号を、ヤギのように反芻していた。

病院から戻った私は、リスクのある妊婦になったことを息継ぎもせずに伝える。
すると、
「赤ちゃんにはルームメイトがいるんだね」
と目の前の男は笑顔を創る。
私は、子宮筋腫の存在が憎いし、こんなに大きくなるまで気が付かなかった自分も憎くて仕方がなかったのに。

不安を抱きながらもユーモアを忘れず笑う、そんな目の前の見慣れた顔の男は、いつもと別人に見えた。頼もしくて誇らしくて、心からお父さんにしてあげたいと思った。

「お部屋が狭くてごめんね」
7cmよりもずっとずっと小さい、数ミリの赤ちゃんに、私は謝った。


尿が出ない
妊娠発覚から1ヶ月が経過した頃、夜中にトイレに行きたくて目が覚めた。
しかし、いざ用を足そうとしても、全く出ないのだ。
そんなはずがない。確かに尿意はあるのに、どこに力を入れても出ない。そこからトイレで粘ること2時間ほど。時刻は夜中の2時になっていた。
どんどん膀胱が痛くなってきて、お腹に石を詰められた狼を思い出す。
怖くて冷や汗をかきながら、急患で病院へ行くことにした。

医師によると、この現象は「尿閉(にょうへい)」と言い、妊娠後期に子宮が膀胱を圧迫することで尿が出づらくなることはあるが、妊娠初期ではあまり耳にしないとのことだった。
私の場合には子宮筋腫が尿道を圧迫している可能性があるようだ。
今後も同じ状況になった場合に、自分でカテーテルを扱えるようになる必要がある。
先ほど看護師さんが処置した通り、尿路にカテーテルを挿入し、尿を排出させる一連の流れを、素人の私がやるだなんて。
なんだか難しそうだし、痛そうだし、そんなこと私にできるだろうか。
医師と相談し、こまめにトイレに行くことで様子をみることになった。
病院から出ると、眩しい朝日が私の目を捉えて攻撃してきて、私はこの世界に歓迎されていない気がした。

その日から、1時間おきにアラームをかけてトイレに行くことにした。
私のスマホにはアラームたちが群がり、大行列をつくっている。耳障りな警告音を鳴らすための順番をじっと待っているのだ。
もちろん、夜中も鳴り続ける。
1時間おきに、私にカテーテルをチラつかせながら叩き起こしてくる。
けれど、何も苦ではない。
ただただ数ミリの命が心配で、子宮筋腫が尿道と共に赤ちゃんも道連れにして潰してしまうのではないかと不安で仕方がなかった。
アラームの効果は抜群で、こまめにトイレに行けば、尿閉を防ぐことができたのでほっとする。


部屋割り
赤ちゃんが大きくなるということは、ルームメイトである子宮筋腫も大きくなるということだ。
どちらも、私の食べる栄養でぐんぐん大きくなっていくという皮肉。
エコーを見ると、右側に子宮筋腫、左側に赤ちゃんという部屋割りになったようだ。
話し合いは難航しただろうか。
これから約10ヶ月の間、仲良く暮らせるだろうか。

妊婦健診の度に、子宮筋腫が悪さをしないでくれと祈り、手と足が震える。
血圧は毎回130を越えてしまい、妊娠高血圧症候群を疑われてしまった。その為、家で毎日血圧を測るよう医師から指示を受けたが、家では何も問題ない。不安や恐怖のせいで心拍数が暴走していたのだ。

ヒヤヒヤしながら忍び足でマタニティライフを送る私は、妊娠3ヶ月になった。
まるで赤ちゃんに、子宮筋腫の存在がバレないように振る舞う忍びのようだ。

子宮筋腫は10cmほどに膨れ上がり、お腹が大きくてすでにワンピースしか着られない。
毎日お腹がチクチク痛む。筋腫が根付いている部分は、皮膚が伸びにくい為、お腹が大きくなるにつれて、引きつったような痛みを伴う。投げたら爆音を伴いながら割れる水風船のように、パンパンに張って苦しい。歩くのもやっとという感じで、先が思いやられる。それでも、健診の度に「筋腫は心配だが、赤ちゃんは順調」と言われると心から嬉しかった。

「なーんだ。私、心配しすぎていたのかも。全然大丈夫だ!」
子宮がぐつぐつと煮えたぎり、悪い妄想が常に溢れ出していたが、壊れたピエロのように笑って蓋をする。大丈夫だと無理やり言い聞かせて、見苦しく鼓舞しながら毎日をやり過ごした。

チクチクした痛みは日に日に増していた。
医師からは、
「現時点でできることは何も無い」
とはっきり言われていた。

痛いだけなら、私が耐えればいい。
大丈夫。
妊婦も飲むことができる弱い痛み止めは、ぶくぶくと膨らんでいく子宮筋腫の痛みを和らげることはなかった。
それでも大丈夫。
痛みのせいで、横になって眠れない日が続いた。
それでも全然大丈夫。
座ったまま、朝が来るのを待てばいい。
長すぎる夜も、お腹の赤ちゃんと2人なら怖くなかった。

今の私はなんだってできる。
赤ちゃんの為なら、母親は無敵になれるのだ。


誕生日が命日となった日
安定期に入り、安産祈願を無事に済ませた。
とにかく安心したかった。
縁起が良さそうなことは見境なく何でもしたい衝動に駆られ、やっとここまで来たことを噛みしめる。

まだまだ気が早いけれど、可愛い洋服を見つけたので赤ちゃんの為に買ってしまった。信じられないほど小さい、お人形遊びで使うようなサイズの服を、生まれて初めて買った。
性別も分からないのに、分厚い名前辞典も購入して浮かれた。スマホのメモ帳には候補の名前がずらりと並ぶ。
妊娠や子育てに関する雑誌も買い漁り、赤ちゃんの心音が聞きたくて聴診器まで買った。ベビーカーはどれにしようか、搾乳器も必要だろうか。今度、幼稚園や保育園も見学しよう。

全て無駄だと知らず、愚かに、浮かれた。

破水してしまう4日前から体に異変は起きていた。
信じられないくらいお腹が痛い。
慌ててすぐに病院に行ったが、赤ちゃんは無事。
痛み止めだけもらって帰宅したが、痛すぎて帰宅途中に何度か座り込んだ。

そこからは激痛との戦いが始まる。
とにかくお腹と背中と肛門付近が全部痛い。
手の指紋が無くなるんじゃないかと思うほど、
自分で自分をさすって、誤魔化して慰めた。
大丈夫。
大丈夫。
そう何度も言い聞かせた。
他にやれることは無い。
痛みに耐えることしか、私にやれることは無い。

数日痛みに耐えてきたが、さすがに耐えられないほどの痛みになってしまった。
今思えばこれが陣痛だったのだろう。
病院に着いたが、痛みでもう歩くことが出来ず、車椅子を借りることになってしまった。

診察室に入り、車椅子から立ち上がったと同時に、足下には生温かい血の海が出来ていた。
私が創ったのだろうか。

医師が私の肩をそっと抱き、耳もとで甘く優しく、私に砂糖をまぶしながら言う。
「赤ちゃんが出ようとしてるの。赤ちゃんはまだ生きているけれど、きっとダメだと思う。逆子だけど、小さいから頑張ってこのまま産んでみよう」

致死量の砂糖をまぶしてもらった私は、分娩室という檻に閉じ込められ、押さえつけられる。

体重350g
身長25cm
小さな小さな女の子
妊娠22週0日
安定期という罠にかかった妊婦は死産した。

子宮筋腫は新生児の顔ほどの大きさになっていて、直径12cmの笑顔で私を嗤っていた。

日本の医療において、妊娠22週0日は流産と死産の境い目として設定されている。
私が昨日産んでいたら流産と呼ばれる。
今日は死産だが、もしも奇跡が起きて赤ちゃんが生きていたら早産と呼ぶ。たとえ早産だったとしても、生きた前例はほぼ無いのが現状だ。生きることができても、重篤な障害が残ってしまう可能性が極めて高い。


不可逆の闇
入院中、助産師さんから「赤ちゃんに手紙を書いてあげたらどう?」と言ってもらえて、今の自分に出来ることがあって本当にびっくりした。
泣いてもこの声はどこにも届かないし、食べた栄養も、もうどこにも届かなくて、私には何も役割がなかったから。
目の前には、助産師さんが持ってきてくれた可愛らしい便箋がたくさん並んで、こちらを見ている。

私は丁寧に時間をかけて、慎重に便箋を選び、
ペンを握った。
けれど、1文字も書けない。
言いたいことは山ほどあるのに、なぜか1文字も書けない。
「ありがとう」とか「一緒に生きていきたかった」とか「元気に産んであげられなくてごめんなさい」とか、浮かぶ言葉は全て正しくて、全て間違っていた。
何を思っても、何を書いても、今さら本当に取り返しがつかなくて、不可逆の闇の中にいた。

「お風呂に入れてあげる?」
「足型や手型をとることもできるよ」
「パパとママの写真を箱に入れてあげる?」
助産師さんは次々と提案し、私に役割を与えようとしてくれた。

ママになれなかった人間なのに、
ママになる資格がなかった人間なのに、
ママだなんて呼んでくれて感謝してもしきれなかった。
それに、信じられないほど冷たい赤ちゃんを、まるで生きているかのように大切に扱ってくださる姿にも、尊敬しかない。

抱っこしている間も、赤ちゃんにずっと話しかけてくれている。何度も何度も、こちらが恥ずかしくなるくらい、かわいいねと褒めてくれる。
着る服なんてないほど小さいのに、助産師さん手作りの、ガーゼでできた服を着せてもらっていた。お腹にリボン結びまでしていて、おしゃれさんだ。
「女の子なのに裸のままじゃ、きっと恥ずかしいだろうから」と笑う。

彼女のサポートがなかったら、私はどうなっていたかと思うとゾッとした。

お別れの時間は、残酷な速さでドタドタと不快な足音を立てて近づいてくる。心の準備など出来ないまま、事務的な届け出もたくさんしなくてはならない。

私は小さな箱の中に、夫婦2人の写真を入れた。そして、赤ちゃんの為に1着だけ買ってあった洋服も入れた。サイズが大き過ぎて着ることができないから、お布団みたいにかけてあげた。
本当は手紙も入れたかったけれど、本当に1文字も書けなくて断念してしまった。

いよいよお別れだ。
優しい医師と助産師さんと、甘ったるい香りがする葬儀屋さんに私は囲まれる。
みんな、お砂糖みたいに甘くて優しい。

泣きじゃくる私の背中をさすりながら、助産師さんは言う。
「きっと早くお母さんに会いたかったんだね」

それなら仕方ない。
私も早く会いたかったから。
待てなかったなら仕方ないよ。
さすが我が子だ!

小さな箱の中に、私は自分の顔を突っ込んだ。
この箱の中に一緒に入れないことが憎らしかった。

絶対に渡したくなかったけれど、
小さな箱を葬儀屋さんにそっと渡した。

どうか痛くありませんように。
どうかよろしくお願いします。
どうかどうか大切に扱ってください。


選択するということは、腹を括るということ
勇気がなくて、赤ちゃんをお風呂に入れるのを断った事と、「夜中でも、いつでもいいから、赤ちゃんに会いたくなったらナースコールしてね」と言ってくれたのに、助産師さんたちのお仕事を増やしてしまうんじゃないかと遠慮してしまった事に、今さら後悔している。
もう、3年前のことだ。当時36歳だった。

ふとスマホを開くとカメラロールに「赤ちゃん」という見覚えのないフォルダがある。
スマホのAIが勝手に判断して作ったものだった。
実は、入院していた時にスマホで赤ちゃんの写真を撮っていたのだ。

あの時、私の目の前には、確かに存在している赤ちゃんがいた。ひんやり冷たいけれど、柔らかくふわふわで、確かに触れることができる。この先、もう2度と会えないのなら、触れることができないのなら、せめて写真に収めたいと思った。もちろん心の中で一生一緒に生きていくけれど、目に見える形で何か欲しかった。赤ちゃんに関する破片を、ほんの数秒でもこの世界で生きた証を、手当たり次第に集めて宝箱にしまいたい。けれど、ひんやりとした赤ちゃんの写真なんて撮っていいのか悩んだ。なんだか不謹慎な気もしたからだ。すがる想いで助産師さんに相談してみると、「もちろん!」と、あっけなくひとつ返事でOKだった。あの時、勇気を出して聞いてみて良かった。

入院中、私はたくさんの選択に迫られた。

へその緒はどうする?赤ちゃんとお母さんとお揃いのリストバンドは持って帰る?何日も寝ていないから眠剤を飲む?棺に何を入れる?葬儀業者はどこにする?死産届はいつ出す?

やっと決断したと思ったら、休む間もなく次々と選択は続いていく。
退院後、子宮筋腫はどうする?手術はする?手術の方法は?薬物治療は?妊活は?

私たちはたくさんの選択に迫られ、日々苦悩しながら生きている。1人で抱えきれなければ、誰かに相談するのもよいが、最後に決定を下し、選択をするのは私自身だ。責任は全て自分にある。決めたなら、自信を持って、胸を張って、堂々とその選択と共に生きていきたい。時には後悔もしてしまうけれど、選択するということは、腹を括るということだから。


AIが抱っこしてあやしてくれる
私のスマホの中で眠る赤ちゃんは、皮膚はまだ血管が透けていて赤っぽい色をしていたけれど、形はしっかりと赤ちゃんだ。
まさに赤ちゃんのミニチュア。
さすがに髪の毛は生えていないし、目も開いていなかったけれど、本当に愛おしい。
非常に厚かましいが、口の形は私にそっくりで、富士山のような形をしている。

AIには、赤ちゃんが眠っているのが一時的なものなのか、永遠なのか区別がつかない。
AIの視点からすると、大差など無い、どうでもよい情報なのだ。
私は何にこだわっていたのだろう。

AIに、この画像は赤ちゃんなんだとしっかり認識してもらえていて、私は久しぶりに泣き笑いした。本当に可笑しくて嬉しかった。
まるで、AIが私を抱っこしてあやしてくれているみたいだ。

小さい小さいもみじの形をした手。
スマホの画面越しに、
大きい大きい私の手を重ねる。

画面が、手の脂と涙で滲んでゆく。

あの時病室で、手紙を1文字も書けなかったから、今書いてみます。
3年も待たせてしまってごめんなさい。

「貴方が命を閉じた時、自分の体の一部がもぎ取られたような感覚がしたのを覚えている。なりふりかまわずに、もっとたくさん貴方を抱きしめればよかった。貴方に会えるたった一つの手段なのだとしたら、この身が尽きることなど怖くない。私の寿命を貴方にゆずることができたなら、どんなに良かったか。何の価値もない、何の意味もない、残されたこの命を、せめて貴方に誇れるように生きていく。貴方無しで生きる罰を受けながら」


あとがき
退院後、私の子宮から赤ちゃんはいなくなり、忌々しい子宮筋腫だけが残りました。
子宮は、鶏の卵ほどのサイズしかないので、私の子宮の中身はほとんど筋腫が占領しているということになります。
疲弊し消耗し切った私にとって、とても受け止めがたい現実です。医師と相談し、子宮筋腫の手術に向けて準備をしなければなりません。ついさっきまで妊婦だった体から、一気に擬似的に閉経させていく手法を取ります。手術の話について、現在続きを書いています。
ほんの少しでも、どなたかの参考になりましたら嬉しいです。そしたらきっとこの経験も、ただ致死量の砂糖をまぶした物語で終わるのではなく、泣いている誰かの空腹を満たす美味しいお菓子になれるのかもしれません。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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