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自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その6

時代が平成?という年号に、いまだに”違和感”を感じる・・・令和になってもだ 

ここ数年、話題になっている”とある税制問題など規制緩和と新たな規制づくりばかり””実行する中途半端な権力者達へ「反骨精神」で立ち向かうと誓える事が、自分にとって”バブル崩壊”から実社会に出た証と言えると思う。

下町生まれ育ち、10代前半から音楽バンド活動とバイトも開始・・・といった事も、どこか”冷め切った都市の中の鍵っ子”は、大人社会へ完全に入る前から”受難”な人生ばかりを歩いてきていると感じる。

だが「充実できている時間と空間」がなかったわけではないのね。
それは何か?
「最大の自分の理解者」とのお付き合い
である事も、幼少期に実感できていた(小1の時から6年想い続けていた女の子)から、自分のようなハンディキャップ持ちには”同性よりも異性間とのお付き合い”の方が”息が長く付き合っていける”と、音楽も含めた芸術や芸事で実感できていた事が、精神性や心持ちを大人にしていたのかもしれないね。

生きていれば”良い事が実感できる時がかならずある! ”もっと!胸を張って、堂々としろ! 他人様に尽くす事!尽くせる事! おまえさんの持っている”エネルギー”を、その人達のために使え! おまえさんには”おまえさんの知恵と技術、そして芸事”があるだろ! もっと!自分を信じろ! 信念を持って”骨を強くして”みろ! 大丈夫だ!おまえさんなら!!」

この台詞・・・実は、似たりよったりだが、旧日本軍所属の軍人、兵隊さん達、兵隊に行っていなくても、学徒動員(たとえ小中学生であっても、工場などで働かされた人達)から言われた事!
食糧難、薬不足があたりまえの時代の人達から言われた事!
現代で”両親共々、戦後生まれ”から生まれ育ってきている世の中”になってしまったら、この時代の人達の”地獄の現実と事実”は、何だったのか?
常に考え、実感してきている事って?
(ちなみに、自分は、政治屋さん達が、よく使う右翼とか?左翼?ではない! それこそ”倭寇みたいな海賊”? 結局は”独創力”から生きてこないと!と主張したいだけ。どれだけ不器用な生き方をしてきても、言葉や台詞だけの”変な横並び”である多様性?よりも”本物志向と独創性に富む”方が良い!”と感じる。)

目先の”贅沢さを気取り始めているリーマン関係者達”に、まだ幼いながらも”色々な疑問点”は感じていた`80年代始めの頃の自分がいる

70年代後半に起きた第二次オイルショックが終結してきた時(80年代の始めぐらいだね)、自分は年齢が二桁ぐらいにならないか?いなかの時だったが、小遣い帳の付け方や書道、算盤ぐらいは習っていた事もあり、当時の”つまらない教員達や役人関係者達が(教職員達や役人達の使っている机上の”とある書類”の事)喜んでいる?事が、今となっても、あれが”バブル経済の到来”だったと実感している。

その時の彼らの台詞
「○○先生!私も要約、狭い官舎から抜けられますよ!この通り!これらから”月賦が組めるようになりました”から」
同僚の教員
「それは△△先生!おめでとうございます!羨ましい~!」

役所の窓口の奥に座って”貧乏ゆすりしながら”の役人も・・・
とある事で、そこへ出かけた時の事・・・
「□□さん、××銀行や○○信用金庫などからへ、この書類が出せますんでね。ホッとしているところです」

同僚の職員と笑いながら・・・”窓口に座り、庶民に応対している臨時職員”(この時、既に、パートやアルバイトを遣っている。民間委託は昭和時代から”公業界”、実施している)は”苦笑いと呆れ顔をしていた”なあ~

これって?一体?何の会話か?わかる?

こんなワープロ文字ではなかったけれど・・・万年筆で”バカ丁寧”に書かれていたっけなあ~
世界は、どこへ行っても○○ヤなど国際金融ギャング、マフィアと植民地支配国によって
いまだに”惑わされている”だけだわ!

”幾つか借用書”を提出できて、住宅ローン(さっきの月賦とは、一月単位の借金返済へ向けての事)が組めた!という話!
自分は、その幼い年頃で簿記の事も(自営の家庭だったからだな)わかってきていたから、「借用書」の文字も、話も、すぐ理解できてしまっていたのだ。

この後の”円高不況”期があっても`80年代は銀行が元気で融資(お金をしっかり返済しないといけないつくりの事だね)を金利を高くして、預貯金の商品もたくさんつくっていたから、自分は、その当時の公の関係者も含めて”資産運用に、かしこくない奴等”にまで、お金を流していた金融関係者達に対して、改めて、いまだに”不信感と嫌悪感”は、持ち続けてきているのは、この時の彼らの“自惚れ”行動が、平成二桁になっても続いているからであるから(100%予算を、その1年で使わないといけない。そうしないと、翌年、予算を減らされる)
こういうような”金銭感覚麻痺”で”幼い子供の小遣い教育”もできない世界が、あの公の世界なのである事を、改めて、そんな年齢二桁になるのか?いなかで実感してしまっていたのだから!

人という社会の中で、世の中の”根本の産業”(各種、省力機器開発などファクトリーオートメーション関連業)であって「国境や民族を越えられているから自営でやり始めた」だけ!にしかすぎない自分


国際競争と世界競争の工業材料、部分品メーカーの業界が、どれだけ努力しても”行政府、役所は助けてくれなかった平成バブル経済期弾けた原因”は、こんなところにもある!と断言したいだけ!!

(半導体工場を、ここ数年、今頃・・・???約30年以上も経って???建設計画?原材料である鉱物資源、化石燃料は、再生材料であっても、生産原価〔一番始めにつける価格という名の数字の事〕は、高くなる一方だし、手に入りにくいだけ)

その時から、工業材料に使う材料費は、上がりっぱなし!
バブル崩壊後は”嫌々、品質を落としごまかして売る商法”をやってきてしまっている各完成品メーカー・・・
(自分は、ここ数十年、ほとんどのビジネスで、日系完成品メーカーとは、付き合わなくなってしまっているので、”何を考えて、やってきているのか?!余計にわからない・・・)
中小零細企業に勤めていたり、個人事業主級の人達は、もうその時からでも「我慢と辛抱だらけ」な筈!

年号が明治時代の後半になって以降、家庭・生活環境に”電気エネルギー”が最低限度、克服していかないと、もはや世界中どこへ行っても生活が、かなりしにくい世の中・・・ガス、上下水道、そして通信技術設備確保も含めてだけれど・・・
これが実感できていない”飲み屋街の延長で、新興住宅村出身者達”が非常に多い現代!


だから、自分は、海外への移住も含めて、いまだに模索中なのである・・・


今回は、少し”難しい話ばかり”で恐縮!
これで、お粗末様!と致したい・・・!

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