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モータースポーツを初めて知った時から・・・ その1


モータースポーツとの出会い それは”世界の人達と関わるためのきっかけづくりの始まり”であった!


今回の記事を書く時
幼い時から関わってきたものの一つである音楽も含めた「芸事」か?
それよりか?モータースポーツも含めたスポーツ、格闘技
武術、武道関係か?
アウトドア関係(縦走登山からサーフィン関係も含めた)を記事に
しようか?
考えた末・・・


まずは!一番!大好きなモータースポーツ
(特にモーターサイクルといった二輪を中心に)
に対する想いを書いていこうと思う。


一番上の写真、このモーターサイクルは、1970年代に造られた
スズキモトクロッサー、イエローカラーデザインを決定づけた
TM-400という規格のマシンでよかったと思うけれど
まだ4歳になるのかいなかの自分が
鈴鹿サーキットに当時あったモトクロス場で、走っていた
マシンの一つである。

まさかネット上で、載っている事が不思議な気がする・・・

「とっても!懐かしいなあ~!」

私自身は、当然!幼いし、バカっ速いこんなマシンを乗られるわけがない!
走らせていたのは、日本人ライダーやイギリス人ライダー、フランス人
ライダーなど欧米諸国からのライダーの中の何人か?だったかな?

起伏の激しいコースの中(ドロンコマシンだの・・・嫌味を言われたり・・・スーパークロスと呼ばれる、もっと!過激なコースのレース
も同時に、この時知った自分が、とても懐かしい~!)時速でいうと
約140㎞/h前後は出るマシンでもあり・・・幼い自分にとって!
胸の中を、心から熱くさせられる出会いであったのである。

モトクロッサーのリアタイヤ付近 
アウトドア派でオフロード好きは
先祖が山里の人達ばかりだったからだと確信できるねえ~ 
幼い自分がベテランのメカニックの兄さん達に言われ
「んしょ!んしょ!」と言いながら
これを運んでいたっけ(笑)!


「つくられた差別」を突きつけられ! 物心ついたばかりの年頃だった幼い自分・・・身近なモノに手を付け始める事も早かった! そんな自分が興味を持ったモノは”世界に通じているモノ”ばかりだった!




ここから先・・・少し話がずれるようだが・・・


その当時、市販されているモーターサイクルで
職人ばかりの親や、その兄弟、仲間の人達の
乗っていたマシンを紹介しようと思う。

あくまでも”クラシックマシン”ばかりであるからして・・・
あしからず・・・



スズキ バーディー50 
やはり、こういった50ccバイクばかりだったよね。 
荷台に道具箱と弁当箱を載せて
作業現場へ向かっていったからね。 


みなさん御存知 ホンダ カブ50 
亡き父も、これを当時
「初めて月賦で買った”俺のマイカー”だ!」
と自慢???
していたっけ(笑)


こちらは ヤマハ タウンメイト50 
こちらのマシンは
亡き父の兄弟子である人が
乗っていた事を
今でも、うっすらの記憶だが
残っている

よく似ているマシンばかりだけど・・・
下町に住んでいる若い職人達なんて(1950年代~1970年代のお話)
こういったマシンであっても”仕事用”、”レジャー用”、”買い物用”
となり、全部兼ねていて乗っていた時代だった筈だ。



ちなみに4輪の市販車では、自分の場合は”トラックぐらいしか”
乗らせてもらっていない!


ダットサン 1トントラック 
これに漆喰材料の石灰やセメント、砂などの壁の材料
 鏝(こて)、板など、左官屋の道具、工具を荷台に載せていたっけなあ~ 
大工の叔父貴は大工道具や柱だったりと・・・ 
こういった感じだった!


個人的に“大好きだったオート三輪” 
東洋工業時代のマツダが誇るマシン マツダ S-2000
材木問屋の社長さんや営業のお兄さん達に載せてもらっていたね
一文字形のハンドリングの頃も、よ~く!覚えているし
登り勾配のキツい坂道を曲がる時のテクニック・・・
かなり”難しい~”という事も教えられたね


それでは、今回は、この辺で・・・

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