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自論②⑧:「わたしの哲学⑴ ~善事と悪事~」  

世の中には良いことと悪いことがある。

良いことをすれば天国に行き、菩薩の世界へ行くことで、人助けができる。

悪いことをすれば地獄に行き、反省するまで天上へ上がることができず、閻魔大王から舌を抜かれることさえある。

これが死後の世界である。

生きとし生ける世界では、自由と自由の相剋によって悪は発生する。

なので、みんなが幸せになっていくように自助努力をしていくことが大切である。


そして、わたしはこう考えた。

人間には3つの指向的法則性があることを。

それは自分にもあるし、他人にも影響されるということを。

一つ目は、「興味の有無」である。

人間とは関心があることに関心を寄せるので、人間は一定の興味があるとその方向へ思考がおもむく。

煩悩を捨てて、無私無我でもって人生を輝かせることが大事だと思う。

二つ目は、「明性のあり方」というもので、

人は明るい心を持てば明るい人がやってくるし、波長が低い心を持てば低周波の人がくる。(波長同通の法則)

人生を明るく生きることが大事であり、

そして、何より、互いに愛し合い尊重し合う、「仏性」相等しきを喜ぶことにこそ幸せがあることに気づいた。

三つ目は、「論倫想」である。

これは、世の中のルールを守り、人間として当たり前のことを当たり前にすること。(倫理観)

これに基づいて、考えながら行動することにある。(論理観)

この両者を併せ持つことで、より良い人となることができる。

こうした3つの観念があることに対して、2つの弱点というものがある。

ひとつは、「一点論」で生営することで、蟻のようになってしまう。

だから、大鷲のような心が大切だということだ。

もう一つは「物事論」であり、人は唯物論のように考えてしまうからして、目に見えるものが全てと捉えがち。

だから、「霊的人生観」でもって、この世もあの世も全て仏の光で出来ていており、人間は目に見えない霊体が本質であると意識して生活することにある。


この一つ一つのことを高校生の時に考えた。

宗教教育をかなり勉強したからだと思う。

そして、今から述べる、この【わたしの哲学】は、『現法』と称して、⑴〜⑽まである。

これは、どこのHSの本にも、一般の本にも載ってない、自分で考えた哲学であり、自分自身の心の考案である。

ただ、もし、この今まで考え続けてきた【わたしの哲学】が無間のものであるならば、その心を修正しなければならない。

したがって、私は神の心を心として、主の教えをどこまでも学び続ける。そして、心を練り続ける。

《完》





どうも、丸々です!ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス



こんなこと、書いてみました((ヾ(*ゝω・*)ノ☆゜

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では、ばいじゃદ=๑๑( ੭ ε:)੭ु⁾⁾


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