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自論②④:「物とは何かを考える」

これは宗教から学んだものではなく、人から教わったものでもなく、
自分が根に持っているオリジナリティそのものであり、自分で悩んで想い続けた考案でもある。


物は不動であるが、人間と同じような精神性を持っているのではないかと考えられる。

それを魂魄の魄と言っていいのか、似た表現で「官」と呼ぼう。

その精神性は、人間が思考する能動性とはちがって、

物の精神性は受動的。


当時、物とは、”念力”という超能力を使って、物を浮かせたり、飛ばせたりして、自由自在に動かせることができていたのに、

今では、それが使えないでいるのが現代的なこの世の壁のように思える。

これは、ポルターガイストによって、物が勝手に動くことを推奨している訳じゃない。

人間が物の可能性を信じて操ることができたということを言っているのであって、そこには物自身の同意が必要である。

例えば、ネットのサーバーのようなモノも、物の全てにあまねく”官”の機能の一つであるし、

物は人体の中にも影響するので、人間の心の働きを感受して静動しているのである。


世は、人と物のあいだには、人知れないほどの鵜呑みにするほどの静寂なコミュニケーションが成立しているのであって、

それが釣り合ってない場合は、物との衝突における事件事故につながることもある。


すべての物、ゆえに、万物には、「津の原理」が施されており、

人と物の間には、ピンのような支点もあると言えよう。

”物”とは人心からくる感謝の総称体であり、

それはその物をつくるたくさんの人の集合想念、つまり、組織的感受性であるところの”事”からくるものである。


物とは、人間とはちがって、機械的な植物でもあろう。

それは物事論の下のような考え方からくるものであろうか。


物は、「物法」に則って、自然の摂理の中で蠢いている。{ugome-}

それでも、物はそれを構成する”子”によって地上的に繋がっており単独さを失いつつも、霊的にもその天上界におけるイデアがあってそれがこの地上に投影された産物であるとも言える。

ぼくはいつもそんなことを考えるときがある。


けだしこれは、唯物論を語っているのではない。

この宇宙から見た真実を探究したいと思って、僕は僕なりの考えで試行錯誤して語っている内容であるので、論拠自体は未熟なところもあるであろうと思う。

《完》





どうも、丸々です!ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス



こんなこと、書いてみました((ヾ(*ゝω・*)ノ☆゜

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では、ばいじゃદ=๑๑( ੭ ε:)੭ु⁾⁾






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