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【日本の大学に進学しなかったワケ】


これは2011年前後の高校生の頃の私のお話し。


地方の田舎では学校数が少なく、選択できる学校が限られている。そんな地方で生まれ育った私の高校の選び方は「今、県内で一番と言われる進学校」だった。なぜそう考えたのか。
"話しの合う友達が増えるかも"
"県内で一番の学校に通うのに憧れる"
"ちょっと遠くの学校に通ってみたい"

そんな理由で、当時県内で一番の県立の進学高校に行った。

高校1年生の1学期末には、2年次の文系クラスか理系クラスかの選択を迫られた。将来の夢がある人は文系か理系か、さっと選択できるだろう。心に決めた夢が特になかった私には、高1の初っ端から進路に悩む日々がやってきたのだった。

結局私は、化学が苦手という理由で文系を選択した。

高2の文系クラスに入ると今度は大学選びが早速さと開始した。
ここからまた、地獄のように悩む日々がやってきた。

(今思えば、日々悩むなんて生真面目過ぎだが。)

私が日本の大学進学を選択しなかった経緯を説明しよう。

●日本の教育過程に対する疑問

戦後の日本が行ってきたのは「均一で良質な人材を大量生産する」こと。
経済成長を遂げた平成の30年間も、旧態依然とした昭和の教育システムのままだった。

私は、中学生の頃ぐらいから、集団の平均値に合わせた全体教育により多様な個性は失われているー社会から取り除かせようとしている、生きづらくさせている、そう感じていた

例えば、歴史が好きで歴史だけトップの成績、その他の科目は平均以下の子がいたとする。しかし学校では、何か一つに秀でていることより、どの科目も満遍なくできる子が優秀と見られていた。

何か一つに秀でているだけでも、とんでもなく素晴らしいことだと思うのに、どうして一つのことだけをさらに伸ばすという環境がないのか。私はクラスの子を見ながらそんなふうに感じたのを覚えている。

教育のアップデートをさぼった日本。そのツケは、GDP成長率、グローバル企業の時価総額ランキング、ユニコーン企業の数などを見れば明らかではないか。

とにかく、当時の私は「どれも満遍なく良く出来て優秀」という考えの学校教育、即ち日本社会に対する疑問でいっぱいだった。そこで他の国を見てみたい、と思ったことが海外大学進学に繋がる。

●高校教育過程までの科目と大学の専攻科目のギャップ

私は進んでみたい道が多かった。法律、心理、会計、建築、考古学…どれも魅力的だった。
悩んでいるとき、ふと気付いた。
心理学や会計学、その他多くの学部の内容は、今まで学校で学んだことはないではないか。そもそも学んでない科目を気軽に選択できるわけがない。その分野の触りの部分さえ知らないのだから。自分が本当にその分野に興味があるのか、向いているのかも判断がつかないではないか。

そしてさらに、ある事実を知って愕然とした。

日本の大学でリベラルアーツがあるのって…東大、ICU…あといくつか…ってごく限られた大学しかないではないか!
日本の大学で学部変更となると、なかなかハードルが高いとも聞いた。

これはもうリベラルアーツが一般的な外国の大学に行くしかない。そう思った。

●日本社会から出たかった

高校生までの人生、一度も海外に行ったことがなかった。私の場合、父が飛行機に乗れなかったことが影響しているだろう。旅行は車や新幹線でしか行ったことがなかった。

一度も行ったことのない海外を見てみたいと漠然と心のどこかで思っていたのかもしれない。

ただ、それだけではない。
私は、学校、家、地域、日本というコミュニティが息苦しかった。特に田舎の学校に通っていたためか、閉鎖的で檻に閉じ込められた感覚になった。

例えば、都会で見かけるようなコスプレの格好をして外を歩くなんてしたら、きっと本人も家族も住みづらくなるだろう、そんな環境だった。

とにかく、一人一人の個性をつぶしてしまうような環境にいる感じていた私は出て行きたかった。それが海外の大学に行くという選択肢に繋がったのだと思う。

●大学進学という選択肢しか見えていなかった無知さと成績不振

進学校に通っていたことと家庭環境が大きく関わっているだろう。その当時の私は大学進学が当たり前だと思っていた
もし今、高校生の自分に伝えることができるとしたら、「大学は何歳になってからでも行ける。行きたいと思った時、何かを学びたいと思った時に行きなさい。」と言ってやりたい。

また、大学進学の件で悩み過ぎた私は、勉強にあまり身が入らなくなっていった。高校入学当初は成績も良かったのだが、日々考えれば考えるほど、日本社会の地方の小さなコミュニティの学校という檻にいる自分がわからなくなり、勉強どころではなくなっていった。勉強自体は嫌いではなかったのだが、心が彷徨っていた感じだろうか。わけもわからないまま、一応センター試験全科目を受けた。本気で海外の大学に行こうと決めたのは、センター試験のあとだった。

●まとめ

日本社会に対しての疑問が溢れて、海外の大学に行く選択をした私は今、もう一度日本で生きている。大人になってからの日本は悪くないな、と思う反面、10代の頃の違和感や日本社会に対して思うことはより強くなった。

2021年に自宅をなくしてアドレスホッパー生活を始め、人口1万人以下を中心としたさまざまな地域を見て回る中で、10代の頃の思いを思い出すことも多い。

これから私は、この日本でどうするのか自分でもまだわからないが、今はもっと日本社会を見て聞いて感じようと思う。

数年後には日本を捨ててどこか異国で暮らす選択をしている可能性もなきにしもあらず。





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