SOUNDS LIKE SHIT
皆さんは,Hi-STANDARD(以下,『ハイスタ』)というバンドをご存知でしょうか。
日本に自主流通を行えるインディーズレーベルがまだ普及しきっていなかった1990年代に,全編英語詞のパンク・メロコアというジャンルの音楽を武器に,当時まだ日本には浸透していなかった「音楽フェス」という概念を作り上げ,国内外に大旋風を巻き起こした偉大なバンドです。
ボーカル・ベース:難波章浩(なんば あきひろ)さん
ドラム・コーラス:恒岡章(つねおか あきら)さん
ギター・ボーカル:横山健(よこやま けん)さん
それぞれに異なるバンドで活動していたこの3名が,奇跡とも言える出会いを果たし,PIZZA OF DEATH RECORDSというインディーズレーベルを立ち上げたことが,日本の音楽シーンに新しい風を吹かせたのです。
人生に衝撃を与えた出会い
私がハイスタの存在を知ったのは中学生の頃。
ミュージックステーションのアルバムランキングに,当時発売されたばかりの「MAKING THE ROAD」というフルアルバムがランクインしていました。
その頃の私はと言うと,ゲームセンターで対戦格闘ゲームにのめり込み,好きなミュージシャンはB'z,X JAPAN,LUNA SEA,GLAY,L'Arc~en~cielなどの王道ロックバンドでした。
そんなわけで,インディーズレーベルから発売された自分の知らないバンドのアルバムが,まさかミリオンセラーを達成していることなどつゆ知らず,「また新しい人達が出て来たんだなぁ」くらいにしか思っていませんでした。
ハイスタの音楽にのめり込んだのは高校に入学してからのこと。
同年代の音楽好きの友達は,当時訪れていたパンク・メロコアブームに中学生の頃からしっかりハマっていたのです。
上に書いたようなバンドの音楽しか知らなかった私が,友達から「ハイスタ知ってる?」と初めて聞かれた時には,「名前は見たことあるけど聞いたことは無い」という状態でした。
そしてある友達からCDを借りた時,大きな衝撃が襲います。
「俺は今までこんなにもカッコいいバンドを知らずに生きて来たのか…」
心からそう思い,この日を境に,既にかなりの盛り上がりを見せていた日本のインディーズバンドを聞き漁る日々が始まります。
私がハイスタをしっかり聞き始めた頃,BRAHMAN,HUSKING BEE,SCAFULL KING,BACK DROP BOMB,LOW IQ 01,SNAIL RAMP,GOING STEADY,MONGOL800といったミュージシャンが全国的に人気を博していました。
メジャーなレコード会社から発売されていた音楽しか聴いてこなかった私にとっては本当に衝撃の連続で,メロディーだけでなく「演奏のカッコよさ」に目覚めたのもこの時期でした。
ハイスタを聞いたことによって,好きな音楽の幅が大きく広がり,自分自身も小さな頃からの夢だった「友達と組んだバンドでライブをやる」ということを実現出来ました。
そんな私の人生に大きな影響を及ぼしたハイスタですが,2000年のマキシシングル「Love Is A Battlefield」発売を最後に,何の発表も無いまま活動を停止してしまいます。
様々な憶測が飛び交う中,その期間何と11年。
そして2011年の秋,彼らは我々の前に再び姿を現します。
この時の私は,復活講演の収録されたDVDを自宅で見て号泣し,復活を記念した彼らの特集番組を見てまた号泣するほど,彼らの復活を心底喜んでいました。
しかし,その裏側には,全く予想していなかった事実があったのです。
今回の記事タイトルは,そんな彼らの結成当初から現在までを収録したドキュメンタリー映画のタイトルを拝借しています。
放映している映画館が少なく,私の居住区からもかなり離れた場所でしか見られなかったため,私はDVDを購入してその全貌を確かめました。
この作品の見どころは,メンバー3人がそれぞれ単独でインタビューに答える形式で映像が繋がっており,過去から現在に至るまでの過程を各々の考えで発言しているのに,しっかりそれがリンクしていることと,重要な場面で挿入される歌詞の意味が,メンバーの想いを聞いた途端全然違ったものに感じられるという編集です。
先に申し上げると,お読みいただいたらうつを考えるヒントに繋がると確信して綴っています。それは,私とハイスタの皆さんにはある共通点があったからです。
当事者の方,そのご家族の方,ご友人の方は勿論,全ての方に是非読んでいただきたいと思います。
事の発端は,海外ミュージシャンのオープニングアクトなどを成功させ,ハイスタのライブ動員数が右肩上がりに推移し,いよいよ初の単独アルバムを発売しようとしていた1994年に遡ります。
実力と流通力
満を持してレコーディングが終わり,発売を記念して全国を回るいわゆる「レコ発ツアー」も各会場で盛り上がりを見せる中,出荷元にCDをプレスするお金が無いという憂き目にあう3人。
その時に声を掛けたのが,当時から大手レコード会社TOY'S FACTORYに所属している,横山さんの盟友でもあるCOCOBATというバンドのメンバーさんでした。
こうしてTOY'S FACTORYの傘下レーベルとしてのPIZZA OF DEATH RECORDSを立ち上げたハイスタは,音源を全国展開し,瞬く間にその人気を不動のものにしていきます。
しかし皮肉にも,この事がバンドに亀裂を生じさせる原因になりました。
そもそもが「自分達の手で全てを実現したい。誰かの力を借りるのはパンクじゃない。」という共通の想いのもとに活動を続け,ようやく単独音源を発売出来るまでに成長したのに,結局音源を流通させるためには大手レコード会社の力を借りなければならなかったという矛盾が,難波さんと恒岡さんの中に芽生え始めた一方で,横山さんはその部分を「方法論として仕方のないこと」と捉えました。
そんな中,1000人規模の講演が軒並み完売するようになったバンドは,人気の急拡大と共にファンの楽しみ方の質に悩まされます。
今ではライブ空間で危険行為として表向きには禁止されているダイブ。
観客の上に乗って転がるこの行為は,パンクバンドのライブでは盛り上がりを表現するために多用されている時期がありました。
ハイスタが精力的にライブを行っていた年代は,ステージから客席に向かって飛び込むという,今では考えられない方法が当たり前だったのです。
とあるライブで,観客のあまりの盛り上がりに危険性を覚えてしまった難波さんは,やんわりと注意したものの,本編終了後に座り込んでしまい,本来行われるはずだったアンコールを行わずに帰ってしまうという事件を起こしてしまいます。
当然メンバーは喧嘩をしてしまい,確執が生じ始めます。
挿入曲:START TODAY
ZOZOの創業者である前澤友作氏が,前身の会社名をこの曲のタイトルから付けたというエピソードがあります。
それはさておき,当時のメンバーの葛藤が表現されているような歌詞です。
自分達で全ての事を達成したいのに,結局はCDの流通は自分たちの手で出来ていない。
だから自分達の場所として大手レコード会社を選びはしたけれど,自分達は信念を忘れずに活動したい。
メンバーの心境を知る前と知った後では,全く違って感じられる内容なのです。
恐らくこの真意を理解していたファンは皆無だったのではないでしょうか。
そしてこんな自己矛盾を抱えたまま,遂に日本国内に革命をもたらすライブを開催することになります。
日本初のロックフェス,AIR JAMです。
伝説のフェスとバンドの危機
チケットを取れずに残念な思いをしているファンを,スタジアム規模の会場に集め,交友関係のあるバンドを複数呼んでライブを行うという形式は,当時前代未聞の取り組みでした。
結果的にこのフェスは大成功をおさめ,後の音楽フェスにその系譜が受け継がれることになるとともに,翌年も開催され,完売という偉業を成し遂げました。
しかし皮肉にも,この成功がバンドを更に追い詰めることになってしまいます。
ここまでの成功をおさめられれば,もうTOY'S FACTORYの力を借りなくても自分達の手でやっていけるはずだ。
今こそ満を持して独立するべきだという思いを,難波さんは強く抱き始めます。
ただここで一点大きな壁が生じます。
レコード会社には当然代表者が必要であり,「誰がやるの?」というこれまた当然の疑問が生まれました。
そしてなんと,そこにはバンドメンバーでもある横山さんが就任することになります。
会社の仕組みを全く知らない状態での代表取締役就任。
これが如何に大変な事なのか,私には想像も及びません。
それでも横山さんは,バンドの為にご自身の音楽活動と並行して社長業に取り組まなければなりませんでした。
練習のためにスタジオに入って最初に行うことは会社の報告。
ただただ音楽に集中したい難波さんと恒岡さんは,そんな話を聞きたくないとばかりに目を合わせない。
それでもバンドは熱狂的な人気を博し続けており,ライブは成功させたい。
そんな危うい状態の中,前述のフルアルバム「MAKING THE ROAD」が発売され,ミリオンセラーを達成,レコ発ツアーも各地完売と,更にバンドの人気に拍車をかけることになります。
しかしここからの映像には,明らかにこれまでとは様子の違うメンバーが映され始めます。
演奏中眉間に皴を寄せる横山さん,歌うことを途中で止め,上の空の表情でファンに歌わせる難波さん。
とある公演中にファンがステージに乱入して難波さんに接触したことをきっかけに,演奏をストップしてファンに激怒してしまう事もありました。
何とかツアーは終えたものの,既にギリギリの状態だったのです。
そして遂に,決定的な事が起こります。
ツアー終了後に会社の事を考えていた横山さんが,後頭部に激痛を覚えた次の瞬間,視界がぼやけ始めました。
すぐさま通院した結果,抑うつ状態という診断を受けてしまったのです。
当時この事を我々ファンは当然知る由もありません。
順調にバンドが大きくなり,私を含めた若い世代から支持され続け,シーンの盛り上がりに熱狂していたあの時。
そんなことなど予想すらしていませんでした。
それぞれに後悔を抱え始めるメンバー。
しかし限界はとっくに超えていたのでした。
この事件が発生した後に開催されたAIR JAM2000でのライブをもって,一旦ハイスタの活動は休止せざるを得なかったのです。
私の周りにいた音楽好きの友人間では,このライブアクトは正直に言って酷評されていました。
当たり前です。横山さんがそんな状態だったのですから。
実際には,本番30分前まで出演を見合わせようと判断していたほどだったそうです。
しかし奇跡的に直前に回復し,何とか終えた,というのが事実だったのです。
挿入曲:STAY GOLD
ここまでの経緯を知ってから改めて見た途端,私は号泣していました。
この曲はファンの中でも絶大な人気を誇る曲なのですが,ほかでもなく当時の苦しんでいた横山さん自身を歌っていたんだとすぐに分かったからです。
自分のやりたい事を突き詰め,思った通りにバンドも大きくなって行ったのに,まさかその事が原因で心を壊してしまうだなんて。
その思いたるや筆舌に尽くしがたかったと思います。
そしてここで,もう一つあることに気付きます。
私も横山さんと同じだと。
勿論携わって来た領域は全く違いますが,天職だと思っていた仕事をもっともっと頑張りたいと思っていた矢先,それを突き詰めようとしたことでうつを発症しました。
だからこそ,この事実を知った瞬間,横山さんが他人ではないように思えたのです。
そしてこの後の展開に,私は更なる衝撃を何度も受ける事になります。
新たな歩み 新たな事実
ハイスタの活動が停止した後,横山さんはリハビリのためにBBQ CHICKENS(バーベキューチキンズ)というバンドを新たに結成します。
しかしここにはいきなりバンドの亀裂を大きくする原因がありました。
結成初期のメンバーに,恒岡さんはいたのに難波さんはいなかったのです。
ハイスタが止まっているのに難波さん抜きのバンドが動いている。
対外的にも,勿論難波さん本人にも,良い印象を持たれるわけがありません。
罪悪感から,恒岡さんはすぐに脱退してしまいますが,それでも横山さんが回復するためならと,2人はそれを受け入れ,待つ時間を過ごすこととなります。
ここからはバンドにとってとても良くない状態が続きます。
PIZZA OF DEATH RECORDSは横山さん不在によりガタガタ。
それでも病気である以上受け入れざるを得ない。
そんな中,難波さんは自身のソロプロジェクト,恒岡さんは別のバンドで活動しながら横山さんを待つのですが,横山さんはそんな2人の気持ちをよそにソロ活動を始めてしまうのです。
この事が大きな引鉄となり,さすがの恒岡さんも横山さんに苦言を呈し,難波さんはPIZZA OF DEATH RECORDSのロゴが入った服を見ることに恐怖を覚えてしまうようになります。
自分達の夢を叶えるために設立したレーベルのロゴであり,本来は自分達が誇れるもののはずなのに,それに脅迫されているように感じてしまったのだそうです。
そしてその頃から,難波さんは自殺を意識してしまうのです。
完全なうつでした。
自分の心身を癒すために,家族に支えられながら活動拠点を離れますが,ハイスタへの,PIZZA OF DEATH RECORDSへの思いは消えず,突然自身のブログで警告文を発しました。☟
当時は多くの批判を集めたこの文章。
しかし映像を見た後では,同じうつを患う私にとって,うつ状態の難波さんが発信してしまっても仕方ないと思えてしまいました。
うつ患者の特徴として,自分が苦しんでいる事を誰かに分かってもらいたくて発信するというものがあります。
精神科に通院していると,全く面識のない患者さんに話しかけられ,生い立ちや発症の原因,これまでどんな風に過ごして来たかなどを事細かに語られる事があります。
私以外の患者さんも,同じような場面に遭遇しているのを何度も見た事があります。
その事を知った私は,難波さんの行動を「理解出来ない」と思いませんでした。
しかしこれが決定打となり,難波さんと横山さんの確執はこれまでで最大のものとなります。
突然電話がかかって来たかと思えば,1時間思いのたけをぶちまけて一方的に切られたりということもあったそうです。
世間的には,難波さんがハイスタから脱退した事,ハイスタが活動停止状態である事をPIZZA OF DEATH RECORDSが発表し,横山さんのソロ活動であるKEN BANDもワンマンツアーを成功させている。もうこれで2度とハイスタが復活することは無いんだな…と本当に残念な気持ちになっていました。
転機 3月11日
その事実を見た誰の記憶からも消すことの出来ない,東日本大震災。
この悲劇が発生し,日本全体が落ち込んでいる時,とんでもない告知がインターネット上を駆け巡ります。☟
この画像を発見した時,絶叫と鳥肌が止まらなかった事を今でもハッキリと覚えています。
まさか…!あんな状態にあった,もう2度と復活することなんて無いと思っていたハイスタが…!しかも!しかも!AIR JAM!!!!!!!!決して大げさな表現ではなく,閉塞感に疲れ切っていた私の生活に,一筋の光が差したような感覚にさえなりました。
それほどこのニュースは私に衝撃を与えたのです。
この時ほど私は自分の仕事を恨んだことはありませんでした。
AIR JAM2011が開催された日は,顧問をしていた部活動の公式大会の日だったのです。
今だったら間違い無く副顧問に任せて行ってます。
震災発生前の2010年末に,難波さんと横山さんが再会しており,ハイスタの復活について話し合っていたのだそうです。
ハイスタから離れれば離れるほど,本当に自分がやりたいことはやっぱりハイスタとしての活動なんだと悟った難波さん。
しかしハイスタの活動はもう無いという思いのあった横山さん。
この状態にあった2人が何故ハイスタとしてまた活動を再開することに合意出来たのか。
全ては,被災した東北の為に,日本を元気づけるためにという思いが一致したからだったのです。
横山さんも,難波さんと話しながら,自分が東北の為に,日本の為に何が出来るか考えた時,自分の手の内にある最強のカードがハイスタだと気付きます。
そして,2012年に東北でAIR JAMを開催する足掛かりに出来るならという条件を付け,2011年に横浜スタジアムで3人が再集結することに合意したのです。
迎えた当日,大歓声に包まれながらステージに現れる3人。
活動停止前から待ちわびていた往年のファン,ハイスタフォロワーの音楽を聴いて育ったパンクキッズ,その全てから万雷の拍手を受け,ハイスタが帰って来たのです。
セットリストの1曲目は,STAY GOLD
イントロが流れた瞬間,号泣が止まらなくなりました。
どれほどこの瞬間を待っていたか。まさかこの曲から復活を見届けることが出来るなんて。
運転中にカーナビで再生しても,しばらく泣きながら乗車していた記憶があります。(とても危険)
現地でライブに参加した友人も,もう1曲目から泣きっ放しだったと興奮しながら教えてくれました。
横山さんのMCが,ドキュメントを見た後だと一層涙を誘います。
照れながら言っていたこの言葉は,間違い無く横山さんの本心だったのです。
しかしこの言葉とは裏腹に,新曲を11年作っていない状態でのライブは不本意だったとも漏らしています。
曲作りの伴わないライブはカラオケと同じ。
真剣に音楽に取り組んでいたからこそ,その思いが強かったのです。
そして時を同じくして,もう一つの問題が発生していました。
音が目に見える
AIR JAM2012の開催に向けて,様々な思いがありながらも再始動したバンド。
予定通り東北での開催は実現し,しかも2日間通しの公演となり,その模様もまたDVD化されたことを受け,私は完全復活が果たされたのだと思い込んでいました。
しかし実は,これまで何も問題無く活動を続けていたと思っていた恒岡さんに,危機が迫っていたのでした。
ご本人曰く,ある日パソコン作業中に画面が宇宙空間に変わり,その日を境にドラムを叩いた時の音が形として目に見えるようになったのだそうです。
それだけでなく,今まで出来なかったことが急に出来るようになったという物凄い変化が現れ始めました。
その状態が続いたある日,突然見えていた音が見えなくなり,精神の落ち込みを実感するようになってしまいました。
恒岡さんは,躁鬱の状態,いわゆる双極性障害を発症していたのです。
音が形として見えるようになる現象は,典型的な躁状態の症状だったのです。
そして音が見えなくなった瞬間生きる希望を失い,スタジオに入っても何も出来ずドラムセットの椅子で泣き崩れるだけの日さえあり,命を自ら落とそうとしていた時期があったのだそうです。
難波さんと横山さんも,そんな恒岡さんに「ただただ生きていて欲しい」と思い寄り添う事しか出来ず,とにかく恒岡さんの体調を最優先しての活動が始まりました。
この状態はAIR JAM2011以前から続いていたものの,AIR JAM2000での横山さん同様,AIR JAM2012のステージを乗り切ることが出来たのでした。
このドキュメンタリーを見てからAIR JAM2012の映像を見ると,苦しみを乗り越えて2日間完走したという事実に,また感情を揺さぶられるのです。
新曲と完全再始動
恒岡さんの体調のこともあり,しばらくの時を経た2016年,ハイスタは事前プロモーション一切無しで新曲を発売するという,ネット全盛の時代にあり得ないとバイヤーに言わしめる手法でファンを驚かせます。
私もネットのまとめサイトで当日に情報を知り,慌てて友人に連絡し,自宅近くのHMVに駆け込みました。
タイトルは「Another Starting Line」。バンドが新しいスタートラインからまた始まったというメッセージが込められていました。
その後実に16年ぶりとなるニューアルバム「THE GIFT」も発売され,全国ツアーも行われるようになり,完全復活を果たしたのでした。
映像の終盤,現在のハイスタの活動に対しての気持ちを聞かれた横山さんは,笑顔で『最高だね』と答えます。
もうそこに,かつての確執に包まれていたバンドの影はありませんでした。
名実ともに,Another Starting Lineから出発出来たのでした。
作品から得る うつを考えるヒント
一見順調そうに見える方でさえ,自分でも気付かないことが引鉄となり,精神疾患を発症することはある。
しかもそれが,自分の追い求めていた目標に近付くことによって起きてしまうという悔しさ・辛さ。
3人とも別々の理由とは言え,それぞれに同じ苦しみを抱えていたバンドが,表向きにはそんな事を感じさせずに活動していた。
この事実は,形は違えど我々の生きる社会に数限りなく存在するのではないでしょうか。
私の尊敬していた同僚の中にも,母性に溢れ,普段生徒から抜群に愛されていたり,常に周囲を明るくし,仕事も信頼出来る力の持ち主だったりする方が,実は向精神薬を服用していたと知り,全く気付かなかったと驚いた経験があります。
精神疾患を発症している方は,その事を周囲の方に悟られないケースが実は非常に多いのです。
ハイスタのメンバーも,紹介した私の元同僚も,傍目からは全く分かりませんでした。
しかし事実として,苦しみを抱えながら精一杯生きていたのです。
あなたの周囲にいらっしゃる,一見元気で仕事も出来,魅力ある人間性の方も,もしかしたら気付かれない苦しみを抱えているのかも知れないのです。
昨日まで,私はうつのサインを1週間に渡り投稿しました。
その集大成として今回お伝えしたかったのは,本当に精神的に苦しんでいる方の中には,サインを出せずに苦しんでいる方もいらっしゃるのを知って欲しいということです。
自分が大好きなバンドの過去と裏側を知ったことが,自分との共通点を見出し,同じ苦しみを抱える皆さんとそのご家族,ご友人,同僚の方にとってのヒントになるとは思いませんでした。
だからこそ,私が学ぶことの出来たこの気付きを,共有していただきたいと思ったのです。
メンバーの体の中には,私と同様に,一生共にしなければならない病が残ったままです。
しかし外からは見えなかった苦しさを全て明らかにし,それを受け入れる事で,完全復活を果たしました。
心に苦しみを抱える全ての方,そしてその方を支える方々に,彼らの姿勢が心を癒すヒントとして伝わってくだされば私は幸せです。
エンディングテーマ:Another Starting Line
苦しみ悩んでいた自分達はもういない
もう大丈夫 新しいスタートを切ることが出来た
君も苦しい事があるかも知れないけれど
一緒に『大丈夫だ』って歌って 新しいスタートを切ってくれると良いな
苦しみを受け入れ,乗り越えた彼らからのそんなメッセージが,1人でも多くの方に届きますように。
------------------2023年2月16日追記
2月14日に逝去された恒岡さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
素晴らしい演奏をありがとうございました。
この記事が参加している募集
お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。