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【30年前の5月29日】浦和レッズのJリーグ初勝利を導いたサポーターの「大ハンドコール」




ファンの存在やその素晴らしさ。
これを考えていくことや、この大切さを伝えていくことが自分のライフワークになっている。

もし「ファンの素晴らしさを知る原点となる出来事を挙げてください」と聞かれたら、自分はこの日のことを答えるだろう。

1993年5月29日。
ホーム駒場競技場で行われた、浦和レッズvsヴェルディ川崎。
ちょうど30年前の今日のことになる。


(この記事は昨年の5月29日に書いた記事をもとに、修正や追記をしてリライトしたものです)



1.熱狂のスタジアムを作るために

先日のアジアチャンピオンズリーグ決勝戦でのスタジアムの声援は素晴らしいものがあった。
スタジアムにいるファン・サポーターの個の熱量が互いに反応し、増幅し、スタジアム中にこだましていく。


この3年間、声が出せないスタジアムの様子を見てきたので、この日の光景をずっと待ち望んでいたし、本当に感慨深いものがあった。




これまで、自分はこのnoteの中でスポーツの素晴らしさや熱狂のスタジアムを作るためにはどうしたら良いかをテーマに記事を書き続けてきた。



その中で、応援するファン・サポーターの熱量を上げるためには、どうしたらいいか。その熱量が上がるトリガー(引き鉄)は何かということを深く考えるようにもなってきた。

そこで、ファン・サポーターの熱量が上がる瞬間を探るために、まずは自分が浦和レッズの存在を無二のものと感じるようになった体験を思い出し、そこで何が起こっていたのか、そこで心はどう動いたかを自分なりに紐解いていこうと思う。




2.Jリーグ開幕元年 浦和レッズvsヴェルディ川崎


Jリーグがスタートしたのは1993年。ちょうど30年前のことになる。


日本に新しいプロスポーツが誕生したということで、日本中が沸き上がり、大きなニュースというか、社会現象にまでなっていた。また、地上波のゴールデンタイムに試合が中継されるようなことも普通にあった。

当時の1番の人気チームと言えば、やはりヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ)だろう。
今でも現役のカズ!を筆頭に、ラモス、武田、北澤、柱谷哲二とまさにスター軍団と言われるほどメンバーが揃っていた。

対する浦和レッズは、スター軍団のヴェルディと対戦するこの日(5月29日)まで開幕4連敗。
攻守がまったく噛み合わず、リーグ開幕のお祭り気分に乗れないような試合が続いていた。

そんな対照的な両者が、浦和レッズの本拠地である駒場競技場(現 浦和駒場スタジアム)で対戦することになった。


(現在の浦和駒場スタジアム)



実は…
いろいろ調べてみたけれど、この試合の動画をインターネット上では見つけることができなかった。

それどころか記事としてもほとんど残っていない。

1993年といえば、まだインターネットが一般に普及していない時代だった。そのころにあった携帯電話にはカメラ機能はなく、まだポケベルが一般的に使われていた時代でもある。
「ポケベルが鳴らなくて」というドラマがヒットしたのもこの1993年である。


当時の主力メディアはテレビ、新聞、雑誌。
記事を残すということが、出来にくかったのかもしれない。


そうなると、この試合のことはスタジアムに試合を見にいった人の記憶の中だけに残っているものになってしまう。
しかも、あれから30年・・
もう、人々の記憶の中にも残っていないのかもしれない。


だからこそ、今、自分が記事で残さないといけないと思う。
残すことに意味があるのだ。

ここからは、自分の記憶の中と、わずかに見つけることができた記事を照らし合わせながら、書いていきたいと思う。   
(もしかしたら、少し思い込みの部分があるかもしれないけれど、ご容赦いただければと)

※参考にさせていただいたのは、浦和レッズのオフィシャルサイトに2011年に上げられたコラム「18年前の今日(5月29日)」
清尾 淳さんが書いてくださった記事だ。



3.一進一退の攻防


「チアホーンなどの鳴り物は禁止!」

浦和駅から駒場競技場へ続く道のあちこちで、このような声を掛けられた。

この頃のJリーグのスタジアムは、プォーンプォーンとチアホーンなどを鳴らすような雰囲気だったけれど、浦和レッズのサポーターはいち早くそれをやめて声と手拍子の応援を推奨していた。

浦和レッズのホームスタジアムの駒場競技場。

4連敗中で気落ちをしているとは言え、スター軍団のヴェルディに一泡食わせてやろうと言う熱い気持ちでサポーター達は集まっていた。

その熱狂の中、試合は始まった。

ところが・・
その熱い気持ちを打ち砕くかのように、前半8分ヴェルディの柱谷哲二のゴールが決まってしまう。

それでも5連敗はしたくない、スター軍団には負けたくないという気持ちで、前半は0-1のまま踏んばった。




そして迎えた後半4分。浦和レッズの攻撃が牙を向く。
池田伸康が遠めからシュート。名取篤に当たったボールを河野真一が蹴り込んだ。

ゴーーール!

ついに同点に追いついた!

これまでの試合で相手の先制点に追いついたことが一度もなかった浦和レッズだったが、同点に追いつくということができた。

いけるぞ。勝てるかも。
そんな雰囲気にスタジアムが包まれた。 

(写真はオフィシャルサイトのコラムより転用させてもらっています。使用が難しい場合はご連絡ください)



4.ヴェルディ武田修宏の試合を決定づけるゴールが突き刺さる!しかし


しかし、世の中そんなに甘くない。
試合の後半、ヴェルディの武田修宏が放ったシュートがゴールネットに突き刺さった。
喜ぶヴェルディの選手とサポーター達。

やられた…

気落ちする浦和レッズの選手たち。

また、これまでと同じように負けてしまうのか・・




ところが…
その時、今では考えられないことがスタジアムで起こった。

スタジアムのあちらこちらが、ざわつき始めたのだ。

「いま、手でトラップしたよな」
「ハンドだろ。ハンド」

VARが導入されている現在なら、審判団がレビューしてすぐに確認できるかもしれない。
でも、当時にはそんな仕組みはないし、そもそもスタジアムにモニターすらない。





5.スタジアムにこだまする大ハンドコール



スタジアムのざわつきはますます大きくなる。
このまま試合が再開されては、絶対にいけない。
そんな気持ちが浦和レッズサポーター達の中で広がっていったのだろうか。


なんとスタジアムが一体となって

「ハンド、ハンド」

と大ハンドコールを始めたのだ。



このハンドコールをバックに主審、副審が集まり協議が始まった。


「ハンド、ハンド」

スタジアムに鳴り響く、ハンドコール。

Jリーグが開幕してまだ2週間しか経ってなく、サポーターという文化が固まっていなかった頃だ。
その時代に浦和レッズサポーターは、自分たちの応援が圧を起こすことができ、その圧を味方にすることを自然と行っていたのかもしれない。



ピッピー。

そして、主審が笛を吹いた。

結果は、ハンド!
なんとゴールは取り消されたのだ。

「うぉー、やった!まだいけるぞ。」
浦和サポーターの応援が一気にヒートアップしていく。



この部分について、参考にした浦和レッズのオフィシャルサイトのコラムではこのように書かれている。

トラップ時にハンドがあったとして、取り消される一幕もあった。

さらっと書かれているけれど、ハンドの取り消しは実際にあった。やはり自分の記憶は間違っていないようだ。このことが、実際のスタジアムで起きていたのだと確信に近いものが持てるような気がした。




6.試合は延長戦からPK戦へ。そして歓喜!


試合は1-1のまま、当時あったVゴール方式の延長戦に入る。
Vゴール方式とはどちらかのチームの点が入った段階でゲームが決着するというルール。


しかし延長の30分も両チームともに得点がなく、試合はこれまた当時のルールにあった完全決着のためのPK戦に持ち込まれた。



これまで勝利から見放されていた浦和レッズ。
実は、Jリーグのプレ大会として行われたナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の準決勝でも、同じヴェルディにPK戦で負けていた。

なんとしてでも、勝ちたい。
スタジアムにヒリヒリするような緊張感が張り詰める。

そして…


勝った!

なんとPKまでもつれ込みながらも、スター軍団のヴェルディに勝ったのだ。


負け続けていたレッズのJリーグ初勝利。
それが今日5月29日だったのだ。

歓喜。歓喜。歓喜。
スタジアム中に赤いフラッグが振られ、紙吹雪が舞っていた。
スタジアムの中だけではない。浦和の街中でガッツポーズが起こっていた。


「やっぱり俺たちがついていないと、浦和レッズはダメだよな」

自分もそうだけど、サポーターの多くがこう感じたに違いない。


浦和レッズがアジアNo. 1の熱狂的なサポーターと言われることがある。その熱狂の原点といえること。それは、この試合だったのかもしれない。


当時の試合結果がベースボールマガジン社から出ている浦和レッズ10年史に載っている。


記事にはなっていなかったが、当時の試合結果が残っている。




両チームとも懐かしい選手の名前が多い。


今でも現役を続けているカズには、心から尊敬としか言いようがない。

主審は有名な岡田正義氏。


当時の駒場競技場は今ほど収容人数が多くなく、超満員でも観客は9,690人。
つまり、この勝利をスタジアムで見届けたのはこの9,690人だけしかいないことになる。
現在ホームにしている埼玉スタジアムは6万人を超える収容人数。多くの人がひとつの試合で熱狂できるスタジアムがあるということは本当に幸せなことなのだ。



実は、この日のことは映像やWEBなどでもほとんど見つけることができず、正直うろ覚えの部分もあった。

ところが、浦和レッズのマッチデープログラムを長年制作している清尾 淳さんが昨年の5月29日のnoteでかなり詳しい内容を書いてくださったおかげで、その答え合わせをできることになった。

あの「ハンドコール」が実際にあって、その後にハンド取り消しがあったこと。(もちろん審判の判定には影響してなかったと思うけど)

一進一退の試合の中、PK戦の末、ギリギリで勝利(浦和レッズとしてのJリーグ初勝利)し、その後浦和の街が勝利の喜びに包まれたこと。

やっぱり、自分の記憶は間違っていなかったのだ。


そしてヴェルディの武田修宏が右サイドでパスを受け、そのまま持ち込みシュート。2点目が決まったかに見えたが、パスを受けた際にトラップしたボールが手に当たっていたということで取り消された。

主審が副審に確認に行ったのだが、それを促したのはスタジアムを揺らすかのような「ハンド!ハンド!」の大コールだった。




この年、浦和レッズは負け続けダントツの最下位となった。
お偉い方からJリーグのお荷物と比喩される屈辱もあった。



この年の悔しさは、後々のリーグ制覇、そして3回に渡るアジア制覇への大きなバネになったに違いない。


7.スタジアムでは多くのドラマと奇跡が起こってきた



あれから30年。
日本中にJリーグのクラブができ、素晴らしいスタジアムとサポーターが増えていった。

スタジアムでは多くのドラマと奇跡が起こってきたし、これからも起こり続けると思う。そして、その瞬間に立ち会ったファン・サポーター達の熱量は高まり、熱狂の渦が沸き起こっていく。
それが、自分達の持っているアイデンティティと重ね合わさり唯一無二の存在になっていくのだ。



最後に

ここ数年間、スタジアムではサポーターたちの応援の声が出せずに本当に苦しい状況にあった。
しかし、今年になってからはその制限もなくなり、以前のような応援ができるスタジアムが戻ってきた。


あの「ハンドコール」に込められていたサポーターの想い。
その想いは、30年の歴史を積み重ねる中でさらに大きなチカラとなって、ドラマを起こし、感動を生み出していくことだろう。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


このマガジンでは、スポーツの持つ価値やスタジアムの熱量を上げていくために何が必要かを書き綴っています。



今回使用した写真は、今期のホーム開幕戦(駒場スタジアム)のものを使っています。


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