短編1:世界はあと二週間
(ベテルギウスの光が見えない、といったニュースを見た時に思いついたものを形にしました。非常に短いものなので、最初の一段落だけ読んでいただけたら嬉しいです。)
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あと一ヶ月。
詳細に興味は無いが、権威のある大きな機関の発表によると、オリオン座の一等星ベテルギウスが爆発したらしい。その余波で、地球上の生物はあと一ヶ月で突然死滅させられるらしい。さて、こんなに大きな発表をするということは、恐らく本当にコトは起こる。その道の専門家が出した絶望的な結論に逆らうことは無意味で非生産的だ。決まりきった余生を楽しむに限る。
さて、何をしようか。
僕には、何も無かった。
例えば何か借金のようなものはなく、このまま消えても大して他人に迷惑をかけっぱなしでもない。自分を育ててくれた周囲への感謝はあるが、彼らも今更僕に何か期待はしていないだろう。
果たして最後に会いたい人もいない。きっと僕が少なからず会いたいと思っている人には、確実に”もっと会いたい人”が存在するのだという確信がある。誰かにとっての最重要人物となるためのことを、僕はしなかった。そういう自覚があるのだ。
この世界に自分が残せるものがあるだろうか。何かに打ち込む努力をしなかった僕に、あと一ヶ月で花開く才はあるのか。いや、そもそも消える世界に何かを残す意味がないのかもしれない。
では何か自分のためにしてあげられることはないか。
何も思いつかないから保留。
さて、何をしようか。
爆発したベテルギウス。オリオンの右肩が消えたことで、冬の大三角を形成できない夜空のシリウスとプロキオンは一つのアイデンティティを失ったことになるのだろうか。
元より一等星である彼らは、自身が輝いているという客観的な手柄によって地球人から一方的な強い承認を受けていた。
地球から見たら三角形。ただそれだけの勝手な名声が不条理に落ちたところで、絶対的評価は何一つ変わらないはずなのに非道く残念に思えるのは、人から見た負の感想を星に転嫁しているからに違いない。罪も無いシリウスとプロキオンを勝手に可哀想な存在と認識すること自体は、星たちに対して何の悪影響も無いが、ただ滑稽だ。
これを対人評価に当てはめるとどうなるだろうか。心中で思う負の感想を表に出すとそれはきっと罪だ。何故なら転嫁された当人に悪影響があるのだから。もしも何一つとして言動に出ないような滑稽な考えがあれば、それは思った本人のみに審判が委ねられることだろう。
このように、脳内の思考が相手に影響を及ぼす際には、対象に伝わるような言動を介する必要がある。残念ながら、人格とは思考ではなく言動のみを判断基準とするものだという当然の事実を復唱するに至るのみとなってしまった。
これだから一人で思考を巡らせることは時に非生産的と言われるのだろう。今更行動に生産性を求めるのもおかしな話だが。
さて、何をしようか。
改めて世界を見渡すと、不思議なほどに人々の精神は規律を保っているようだ。現実感の欠如によるものか、もしくは今迄と違う精神性をとることで終焉を認めるのが怖いのかもしれない。多少なりとも規律を乱し他者に迷惑をかけた者はことごとく罰を受けていたので、それらが抑止力の不変性を示したからかもしれない。何にせよ、ある程度の大きさを持つ機関は通常運転だ。いっそのこと普段通りの生活を最後まで続けるのも贅沢で良いかもしれないな。
それが自分にとっての幸せであるのなら。
一週間、普段通りに生活した。
心の中の焦りは加速していた。
何か、しなければならない。
極端に消極的な幸せを謳歌していた自分を責めることに意味は無いと思いながらも、過去を恨まずにはいられなかった。
僕がするべき事って何なんだろう。
過去の最も幸せな時間に、自分は何をしていただろうか。思い返してみても、ずっと、待っていたのだ。何かが起こるのを。
こんな人間に何ができるのだろうか。
一週間が経った。
この死刑宣告を待つような時間は、自分のような人間にとって最悪の時間だと思う。
今迄のように受け身であることを変えず、何も起こらない日々に身勝手に腹を立てているのだ。そんな醜い自分を自覚しているからこそ、また腹を立ててしまう。
堕落した生活を送ることで精一杯の抵抗をしようとしながらも、更に精神は不安定になってゆく。
限界だった。
ついに僕は、目的もなく外出の準備をした。結局、今迄の人間関係に縋りつく勇気もなく。
駅前で周囲を見渡す。
どうしようか。
何もできない。
帰ろうか。
「葛西君だ。誰かと待ち合わせ?」
突然にかけられた声が自分に向けられたものだと理解するのに数秒を要した。
振り返ると、大学で同じコミュニティに属してはいたが大して話す機会のなかった人からの問いかけだった。よく僕のことを覚えていたものだ。この子の名前は、雨宮といっただろうか。きっと僕を見かけて声をかけてくれた彼女は優しい人だ。ありがとう。
「あ……」上手く声が出ない。
「雨宮さんか。えーっと、僕は……」
答えに詰まる。
「待ち合わせ、うん、をしてたんだけど、人が来れなくなっちゃったみたいなんだ。だから、今から帰ろうかな、と思ってたところなんだ」
「ドタキャンか、ついてないね……」
「散歩する機会に恵まれてよかったよ」
「いいね、そのポジティブさ」
「特技なんだ」
「何それ」
もう、十分だった。あまり話したことのない人と会話したことで僕の心は既に適度に刺激された。帰宅しても良いと思った。きっと僕は満足するだろうと思った。
「あはは、っていうわけだから、そろそろ帰ろうかな」
「え、もったいない」
「まぁ雨宮さんもきっと何か用事があるだろうし、ここに長居させても悪いから」
「私は暇だよ」
参ったな。社交辞令程度の会話をするはずが、予想よりも長続きしてしまいそうだ。
「雨宮さんは何か用事があるんじゃない?」
「ううん、私はね、暇だからここに来たの。何か外に出たらあるかなって思って。都合よく葛西君に出会ったからね、今すごく嬉しい。もし本当に暇なら、もう少し付き合ってくれないかな」
「あ、そうだったんだ」
今更、僕もそうだよ、とは言えなかった。
雨宮さんは、自分が何を求めているのかわからない僕とは違い、自分の求めるものに忠実だった。
こんな風に生きられていたらな。
「ねえ、お昼食べた?まだだったら、私行ってみたいお店があるんだけど」
「まだ、だよ。じゃあ、そこに行こうか。その店はどこらへんにあるの?」
「やったあ。商店街の中で……」
自分の会話は変ではないだろうか。
嫌われたくないとだけ思っているとき、人は最も不器用になるような気がする。
饒舌な雨宮さんに相槌を打ちながら歩く。
彼女の希望通りの店に着いた。僕も初めて来る店だった。
メニューの一番上にあるものを頼んだ僕と、下調べの結果を発揮して注文をした雨宮さんは、適度にゆっくりとした食事の中で会話を重ねた。大学の話をしたり、お互い過去について質問し合ったり。
とても普通の知人間のやりとりだったと思う。
一つだけ異質なことがあったとすれば、少しも未来のことについて語らなかったことだ。
少し先のテストのことや進路について思いを馳せることが、全くなかったわけではない。
しかし、あと二週間と少しでこの世界が終わるということが共通認識となっている今だ。触れたところで結論の収束する話題に、自ら触れようとはお互いにしなかった。
食事を終えた雨宮さんが席を立ち、化粧室へと向かった。こういう場合は、会計は済ませておくに越したことはないだろう。彼女が席に戻る前に済ませよう。奢って驕らなければ、悪い印象にはなるはずがないだろうし。
席に戻るや否や、雨宮さんは僕を見つめながら囁いた。
「どうする?あと二週間だよ」
言葉に詰まった。何を言えばいいのだろう。どうすれば。どうする。
「一旦、店を出ようか」
やっと出てきた言葉は回答ではなかった。
「あ、会計……ありがとう。……後で私の分渡すね」
「いいって。暇な僕を助けてくれたお礼なんだ」
「私が暇で誘ったのに」
「どうせお金だって、あと二週間だよ。だから僕に使わせてくれ」
「あ……ありがとう」
店を出て、なんとなく駅の方向に向かって歩こうとする僕を、雨宮さんは引き止めた。
「帰るの?」
「うん、やることも無いし」
「そっか、無いか。そうだよね。……じゃあ私も帰る。駅前まで一緒?」
「そうだね、一緒に帰ろう」
また何か失敗したような感覚が心に氷を落とした。後悔しても生産性はないが、心に残すことで得られるものはきっとある。あとで振り返って反省するべきなのかもしれない。反省に後悔を伴わせる礼節の存在意義なんて時と場合による。コミュニケーションに必要な要素を一つ自分は持っていないような気がする。恐らくそれは経験で手に入れるものなのだろう。
「ねぇ、葛西君の趣味は何?」
これって、話題がないときの定番中の定番じゃないだろうか。
「そうだな、歩きながら話そう」
「うん……」
歩き出す。
あれ、僕の趣味って何だろう。
「これといった趣味は正直ないかもしれないな。漫画とか小説を読んだり音楽を聴いたり、気になったことを何かしらやっていれば時間が潰せちゃう時代だから、こだわりを持つほどの何か一つの趣味を見つけようとしなかったのかも」
「そっか、それはそれで純粋に好きなことをやってる感じがしていいよね。色々なものに好みのフィルターをつけて上澄みばっかり摂ってる感じで」
「無趣味って言って卑下されることもあるのに、ものは言いようだね。ありがとう」
「ううん。一つの趣味に深く精通するのと、広く浅く上澄みを拾うのって、同じくらい評価されるべきだと思うの。きっと心の形成に同じくらい貢献するんじゃないかなって信じてる。私もそういう趣味だから、そう思いたいんだ」「そうだったんだ」
「何かを捨てるっていうのがもったいなく感じちゃってさ、結局一つの趣味に収まれなかったの」
「そう、そういうことなんだよね。なんか仲間を見つけた気がする」
軽く口をついて出たその台詞は、僕の自己肯定感を突いた。雨宮さんは、自分なんかと仲間だと言われるのは迷惑じゃないだろうか。
「これわかってくれる人がいるの嬉しいな!結局は何かを選ぶ勇気がないだけなのかもしれないけど、でも一つの枠に入るのが嫌な感じ」
「そうそう、現実的に広く深くは不可能だけど、中途半端に理想を追う感じね」
優しい人は本心がわからない時に怖いけど、ここは少し甘えさせてもらおう。
雨宮さんと僕の感性が共鳴したかどうかはわからないが、僕はそうだと思いたいんだ。雨宮さんもそう言っているんだ。ならその体で話を進めても問題はないだろうということ。
会話は途切れず、駅に着いた。
この時点で、僕は雨宮さんともっと一緒にいたいと願った。彼女への尊敬の念が強く湧いてきたのだ。僕は他人に何か期待するのが遅いのかもしれないな。顔を合わせた時点でそう思うべきではあったのだろう。雨宮さんはどう思っているのだろうか。僕と話を合わせるのが苦痛ではないだろうか。彼女は容姿が優れている。見た目に気を遣っていることを傍目からは感じさせないようなナチュラルな仕上がりのメイクとファッションを追求したのか、それとも素が天才的に美しいのかはわからないが。きっと交際している人がいるだろう。対して、僕のような消極的な幸せの享受者は、訳すとただの意気地なしだ。積極的に他人の心に踏み入るのが怖いだけなのだ。要は自分から距離を縮める努力を怠るような人物がモテるわけがない、ということ。容姿に気を遣いはするが、それは勇気の無さの表れだ。誰かが来るのを待ってしまっている。彼女のような人が容姿を磨くのと、意味は真逆だろう。僕も頑張らないといけない。あと二週間で終わるこの世界で何かを変える意味はあるのかどうか、それはわからないが。
「葛西君は今日、この後も暇なんだっけ?何か予定あったりする?」
「この後も暇。今日はやることがないんだ」
良かった、嫌われてはいないようだ。
「お。と言って、やることもないなぁ。この……この状況で暇な二人は贅沢を謳歌してるね」
「そうだね、この状況で」
「楽しいなぁ」
「うん、すごく楽しい」
参ったなぁ、自分の欲が弱すぎるのか、それとも自分が何をしたいのかが不明確すぎるのだ。欲を抑える心が働きすぎている可能性も視野に入れておこう。
僕は彼女と一緒にいたいのだろうか。
「葛西君、今日はありがとう。もし私が必要なことがあったらいつでも呼んでね」
「こちらこそありがとう。今日はすごく助かったよ」
終わってしまう。こんな言い方をする権利は自分には無く、終わらせるのは自分なのに。
「じゃあ、また」
「うん、お疲れさま」
手を振って、別れる。
その家路で僕は、癖でイヤホンを付けた。無音を一分間程享受した結果、音楽を聴くよりも先程の余韻に浸る方が自身の人生にとっては生産的なのだろうと思って一度イヤホンを外した。しかしあと二週間という世界は、僕のそれほど高くない自己肯定感を更に鈍らせた。癖を続けることで日常を過ごすことを大切だと思った。自傷行為のように背徳的な気持ちでイヤホンを付け直した。しかしあくまで余韻を崩さないように時間をかけて脳内で厳選してしまった後にごく小さめの音量で鼓膜を震わせたそれは、他人事ではない感情が音に乗っているのではないかと、初めて具体的に想像した。陳腐な歌詞は一般的だから氾濫するのだと、今更ながらに考えた。通常の生き方をする人がこれらのような他人の感情に共感できるのは、近い経験を持っているからなのではないか。
僕はその経験が圧倒的に不足している。自分から動かない。動かなかった。
世界は、あと二週間。
僕でも、二週間で何かを取り戻せるだろうか。
世界は徐々に本来の混乱を回復していた。
所詮、死ぬ世界だ。
何をしたっていい。
経験をしたい。
他者との関わりの中で自己の輪郭を強く構築することで、自己内部で昏睡状態に陥る願いを知りたいと思った。
何かを、する。
捨象の逆をしてみよう。今の自分には一体何ができるのか。
具体性を持った行動計画を考える。
一週間前とは別種の焦りを感じた。いや、あるいは同種かもしれない。
何かを探し続けるだけで残りの二週間を消費する可能性にすら心地良さを感じる。
とにかく、自分を自分で動かさなければ始まらないのだ。
携帯電話に手をかけた僕は、自分の中に残る臆病な感情を溜息に全て吐き捨てた。
嫌われても良い。あと二週間だ。
好かれたかった。
究極に独善的な目的のある世界は、今までの燻んだ様相とは違った。くっきりと、美しく見えた。
ただマイナスがゼロになっただけだというのに、もう満足してしまったのだ。
ここからは、彼次第。
世界は、あと二週間。
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きっとこれらは本来ならば成長の過程で身に付けるべき手順だったのだろうと思います。しかしそれが出来なかった人は多い、そういう時代だと思うのです。見え辛い問題に阻まれて生き辛い環境に自分を置いてしまいがちな人が、何かを変えるきっかけがあればいいなと思います。
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