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友と旅と書くことが私を救う。バックパッカーとサイクリングとトラベラーズノートと。

旅は行きたいと思っていてもなかなか行けない時がある。自分の気持ちだったり、タイミングだったり。でもまるで呼ばれてるように行ける時もある。

このあいだの旅はどちらでもなかった。でも終わって見れば、何かに背中を押されて行くことができたんだと思う。

しばらく暗闇の中にいた。コロナ、ママの死。これだけでも相当やられていたけれど、時間が経ち少し気持ちが浮上すると、今度は親戚のおじちゃんが相次いで3人亡くなった。そして、今年に入って、友人の死。

なんか喪服ばかり出番が増えて、気がつけば葬儀、法事、法要のどれかにいる感じ。生死について考えないわけにはいかない。どうしたって色々考える。考えようとするけれど、すぐに行き止まりで、どこにも辿り着けない。本に救いを求めるが、読んでも紙の上の文字の上をつるつる滑って、同じ所を見つめるばかりで頭に入ってこない。

この何年間かは、今までの人生とは全然違うフェーズに入って、ぐるぐるする思考の中にいた。そこで起こったのは体からのサイン。

ママが入院してからあまり眠れなくなった。夜中に鳴るスマホ、毎回届く悪い結果、短くなる寿命。どんな所でも何時間でも寝られることが私の特技だったのに、すっかり眠れなくなっていた。というか、全然眠くなかった。

あの日はママの葬儀だったと思う。もう用意しないといけないと思い、体を起こそうとすると、自分の頭がボーリングの玉くらい重くなっていて、頭が床に落ちそうになった。まるで強力な磁石で引き寄せられてるみたいに。よろよろしながら立ち上がると、目がぐるぐるまわる。ぐるぐるクラクラして船酔い状態。気持ちが悪い。でも私は気にしなかった。気にならなかった。原因は明らかだったから。

それからしばらくすると、焦げたにおいがするようになった。私はキッチンに何度も確かめに行く。火は使っていない。窓を開ける。近所で焚火をしている様子もない。そこで初めて、私の鼻がおかしいんだとわかる。私だけ?と思い、ネットで調べたらけっこう出てきた。私だけじゃないならいいやと思い、放っておいた。原因は同じだろうし。

ある日気づくと左目の瞼がピクピク痙攣していた。調べたら「眼瞼ミオキニア」という立派な病名がついていた。睡眠不足、肉体的精神的疲労、ストレスなどよって起きると言われているらしい。でしょうね。

体は献身的で健気だ。たくさん無理をしてくれる。まあ、私が無理させてしまっているんだけど。もっと体の声に耳を傾けないとと思いつつ、甘えてしまっている。なので最近は、体に「ありがとう」と声に出して言うようにしている。

今年に入って気がつくと瞼のピクピクがなくなっていた。それが理由という訳じゃないけれど、私は久しぶりにアイシャドウパレットを買った。春らしいかわいいピンクとオレンジ。

桜が咲くまであと少しという頃に、友人が亡くなった。中学の同級生。

「あたたかくなったら、今年も桜を一緒に見に行こうね」と約束をしていたのに。その前に。

彼女の闘病中、家を訪れてはたこ焼きパーティーをしたり、近所を散歩したり、バカな話をしてはお腹を抱えて大笑いしたり、楽しい時をたくさん過ごしてきた。闘病中だったけれど、まだまだ一緒にいられると思っていたので、訃報の連絡をもらった時、私は膝から落ちた。

どうすることも出来ないと分かっていても受け入れることができず、また、ぐるぐるする深い思考の世界に戻っていった。

起き上がれない。いや起き上がる気力がどこにもない。無気力で心が閉じた状態。ママのメガトン級の死も経験しているから「少しは免疫がついてるはず」と思っていたのに、全然ダメだった。

そんな最中、ロサンゼルスの友達が久しぶりに日本へ帰国するという。私に会えることをとても楽しみにしてくれていて、一緒にどこか旅行に行こうと言ってくれている。私はその旅の計画を立てないといけないのに、旅行に行く気に全然なれなかった。心は鬱々としていて、春の訪れさえ辛く、桜を見る気持ちにもなれない。こういう時は抵抗しても仕方ないので、これも自然なことだからと、動けない自分をそのまま受け入れていたが、刻一刻と友達との再会の日が近づいてくる。気持ちは焦るが、心も体も動かない。

私は横になりながら、かろうじてスマホで行き先を探しを始める。でもいっこうに進まない。義務感みたいな気持ちが込み上げ、半ば投げやりになる。ギリギリまで頭も体も使い物にならなかったが、もう今日で決めなきゃダメとなって初めて動いた。図書館に行くことにした。困った時の図書館頼り。

どうせどこかに行くなら、前から行ってみたかった熊野古道に行って、友人の供養にしてはどうだろうかと考えた。もういっそ亡くなったみんなを連れて、団体旅行にしようと。そう思うと、気持ちが入った。でも調べれば調べるほど、宿も含めそれなりの事前準備が必要なことがわかった。こんなギリギリで行ける所ではなかった。時間だけが過ぎていく。すでに結構な時間を熊野古道に費やしていたので、振り出しに戻り、泣きそうになる。

どうしよう、どこにしようと考えて、もう一度旅コーナーの本棚に戻る。じっと背表紙を眺める。ふと手に取ったのが「瀬戸内」の本だった。見てるうちに一度行きたいと思っていたことを思い出す。見れば見るほど、魅力的。さっきまで「山」と「歩く」だったが、急に「海」それも「サイクリング」と、思いっきり違う方向に舵を切る。友達と話して、最後は尾道、瀬戸内海、道後温泉のコースに決まった。メインはサイクリングと海の幸と温泉。

家に帰って、図書館で借りてきた本の写真を見ているうちに、やっと気持ちが高まってきた。目的地が決まったことで義務感からも解放され、旅気分が始まる。ここにきてやっと、友達に日本を十分に満喫してほしいという気持ちが込み上げてきて、ギアーがはいる。一週間、移動しながらの旅なので、情報収集が大切。ノートを広げ、いろいろと書き込んでいった。

私の気持ちは久しぶりに前を向いていた。

バックパックを背負いながら「移動」していく旅は、動けなくなっていた私にとって最高のリハビリだったと思う。お金をセービングするために、東京駅から深夜バスで現地入りしたことも良かった。バックパッカーをしていた昔のマインドが呼び起こされた。

昔よく一緒に安い旅をしていた学生時代の友達に、この約11時間の深夜バスの話をしたら「いやあ、さすがに今は新幹線だな。お金より時間を取るなあ」と言われ、少し寂しかった。

でも私には、この長距離バスの選択が正解だった。非日常の中に身を置けばおくほど、眠っていた生存本能みたいなものが出てきて、ぐるぐるする思考から離れていく。主役の座が入れ替わる。それに移動時間が長いと、日常からの切り替えをゆっくりすることが出来る。尾道の駅に着いた時、私の気持ちはすっかり旅人だった。

朝の尾道はまだ人がいない。海と山に挟まれた駅は妙に明るい。尾道ラーメン を楽しみにしていた私は、朝ラーをする予定でお店を探すがまだ開いていかなかった。それならばと、海を見ながらしばらくボーとする。陽光が海に、島の緑に降り注いでいて眩しい。初めて見る瀬戸内海を眺めてるうちに「来たんだ」という喜びが溢れだした。いつまでも感動に浸っていたかったけれど、おなかが「ごはん」と主張してくるので、お店を探すことにした。行ってみたかった老舗の喫茶店を思い出し、商店街を歩いていく。

こじんまりとした趣のある店内に、かわいらしいおかあさんが一人。なんというか、おかあさんもこのお店の一部みたい。小さい華奢なおかあさんも、小さいテーブルも、小さい椅子も全てこのお店にとけこんでいて居心地がいい。

私は有名な500円モーニングをお願いする。トーストと熱々のゆで卵、それにサラダと果物。自家焙煎しているという美味しいコーヒー。それだけでも大満足だったのに、食べ終ると、おかあさんが緑茶とチョコを出してくれた。その緑茶のおいしさにまた驚く。

私は、お店を一人で切り盛りしているおかあさんと何十年も通っているという常連さんと2時間近くおしゃべりをした。なので、昼に友人が大阪から尾道に到着する頃には、私はこの町にすっかり馴染んでいた。

私はおかあさんとそのお店が大好きになってしまったので、尾道にいる三日間、商店街を通っては毎日顔を出した。

尾道で旅人になった私はすでに心も体も軽やかになっていた。そんな私の背中を押すように、心に強い風を吹かせてくれたのはサイクリングだった。

私は自転車でしまなみ海道を走破した。

前へ前へ、ペダルを漕いでいく。橋に向かう坂を上る。かなり先まで上りが続く。あんな上まで漕いで行ける気がしない。きつい。ギアを変える。軽くすればするほど、前に進まない。同じ場所で足踏みしてる感じ。終わりがない。歩いた方が早い。もう足をついちゃおうと思う。でもそれはくやしくて、止まってるのかと思うようなあゆみでも、意地でも足は着かない。私は先は見ないようにして、とにかく足だけに集中する。右足、左足、右足、左足。無心になって、ただただ足だけを動かす。

先日テレビで見た、カジュアルめい想。マインドフルネス。今に意識を向けることで、過去や未来を行来してしまう思考から離れられ、脳の疲れを緩和することができるという。私の坂道サイクリングはまさしくそれだった。

大切な人を失うと残された人は、過去を思っては泣き、未来を思っては泣く。起き上がれなくなってしまうのは、ずっと頭の中でそんな過去と未来をぐるぐるしてしまうからだ。サイクリングは、そんな私の心と頭と体が求めていたことなのかもしれない。

つい何日か前まで、起き上がる気力もなかったのに、誰かに背中を押してもらったとしか思えないくらい、体が動いた。それは、脳に使っていた膨大なエネルギーが心や体に使われるようになったからだろうか。それとも、やっぱり友人やママ、あっちの世界の人たちが私の背中を押してくれたからだろうか。
 
2日間で約90キロ、太陽をいっぱい浴びて、風を全身に浴びて、私たちは島から島へ橋を渡った。どこを見ても、海の青の中に島々の緑が浮かんでいる。まるで一枚の大きなまだら模様のタペストリーみたい。ずっと見ていると海なのに海じゃないようで、初めて見る景色なのに懐かしい気持ちになって、さっき着いたばかりなのに「すぐにここに帰って来よう」と思った。

瀬戸内海の多島美の絶景とサイクリング、瀬戸内海の海の幸に朝から晩までの友人とのおしゃべり。長かったトンネルから抜け出せたような気がした。

ただ、この何年かは、楽しいイベントの後は必ず落ちこむという、結局元の同じ穴に戻っていく感じがあって、楽しければ楽しいほどそのギャップが大きく、どこかで今回もそうなるんだろうなという冷めた予感があった。

しかし、この旅はそうならなかった。

その理由はこの旅そのもの、まるっと全部と言える。しかし、一番の理由は「書けるようになったこと」だと、私は思っている。

少し前に、破格の値段で売られていたノートカバーを無印で買った。あまりに安かったのでつい買ってしまった。それに合うスリムノートも買ってカバーを着けると、見た目はあの「トラベラーズノート」そっくりになった。大満足。ただ使うタイミングがいっこうにやってこない。何か書こうにも、特に書くこともない。使いたいのにタイミングも用途もなく、ずっと持て余していた。この旅が決まって「やっと使える!」と思って喜んだ。

なので私は「自作のトラベラーズノート」を持参していた。

ここ何年かは、毎年スケジュール帳を買うのだけれど、買うだけでほとんど書き込むことをしなくなっていた。昔は紙面いっぱいに字を書き込んでいたのに。一年の終わりにスケジュール帳を見返すと余白ばかりで、だらしない、やる気のない、空白の自分を見るようでいつも嫌な気持ちになった。だったら、もう買わなきゃいいのに「今年こそ」は的な楽観さから、また懲りずに買う。それも、わざわざハンズに行って長考の末の購入。もったいない。

友人は旅行中、部屋に戻ってくると手帳を開き、何やら書き込んでいた。見ていると、レシートを見ながら数字を書き込んでいる。お金の収支だけ書いていると言う。私は自作のトラベラーズノートを持ってきてはいたが、いまだに手に取ってさえいなかった。

友人が「あと何食べたっけ?」とか「あれいくらだったっけ?」と淡々と聞いてくる。それを見ていて「あ、それでいいのか」と思った。行った場所と使ったお金。それだけでもいいのか。そこで気づいた。そっか、私は今まで何か自分の気持ちを書かないといけないと思い込んでいて、そうなるとめんどくさくなって、辛くなって、書けなかったのか。でも記録だけなら感情はいらない。自分に向き合わなくてもいい。

私は真似することにした。

ノートに字が並ぶ。場所と金額だけ。それだけでうれしい。久しぶりに手帳に書き込んていく楽しさを味わった。私の中で何かが弾けた。


尾道の地元の人たちとの「会話」で始まった旅は、しまなみ海道の「サイクリング」でピークを迎え、松山の道後温泉での「癒しと旅の振り返り」と、とにかく全てのピースがカチッとはまったくらい充実していた。行く前の動けなかった自分や、心も体も後ろ向きだった自分はどこへやら、枯れてしまっていた気が戻った。心も体も細胞全て喜んでいるのが分かった。まさに命の洗濯。体からのサインはこれを指していたのね。友人が「この旅行を企画したあなたは天才」と言ってくれた。 


この旅は私の心に風穴をあけてくれた。それを確信できたのは、深夜バスで松山から新宿に帰ってきてから。

いつもなら「あー、戻って来ちゃった」と言って、ビル群を見ては気持ちもすぐに元の場所に戻って行くのだが、この朝の私は違っていた。私はバスを降りるとバックパックを背負い、コーヒーショップを探した。 

出勤前の込み合っているコーヒーショップに、私は意を決して入ることにした。大きなバックパックを足元に置く。引け目からか、私は少し体を縮め、遠慮がちにトラベラーズノートを開いた。前日に訪れた場所と支出した金額を書き込んでいく。

コーヒーショップで手帳に何か書くなんていつぶりだろう。ペンを持つ私の心にはまだ風が吹いていて、ノートに書き込んだ文字と数字は誇らしげだ。私はうれしくて何度もページをめくってみたりした。

自宅に帰ってからも、風が吹いていた。私はなんとトラベラーズノートを開き、旅の日程表を書き足し、日にちごとにレシートを貼り、その時の感想を書いていった。終いには、旅行中に食べたものの絵まで描いていた。七日間食べたもの全部。まさに、これぞトラベラーズノート。

夢中になって絵を描いていくうちに、何も書いていないページに、字や絵をかいていくことの楽しさをすっかり思い出した。書くことに自信が持てた私は、スケジュール帳を開き、この旅の思い出をノートいっぱいに書いていった。


今回は初めて、揺り戻しがなかった。私は落ち込むことも、穴蔵に戻ることもなかった。

この日から約1ヶ月後、私は note を始める決心をした。


あれから、風が吹き続けている。


今も
私のスケジュール帳には
びっしりと文字が並んでいる。


余白はまだない。









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