そういえば大昔に、宣伝会議という講座で『金賞』を受賞したことがあった……。
そういえば、大昔(当時、25、5歳だったと思うが……)に宣伝会議という講座を受講したことがあり(ほんとはコピーライター養成講座を受講しようと思っていたのですが、生憎、その講座が定員オーバーで、なんの運命の悪戯か、編集・ライター養成講座を受講することになった)、まだ当時はぼくも東京に住んでいたこともあり、たしか表参道の南青山にあるオフィス街に通って、広告出版業界の重鎮たちから〝出版業界のなんたるか〟について、その業界を志す人(100名単位の受講者)たちと共に肩を並べて教えを請うていたわけなのですが、あの当時は出版業界の右も左も判らなかったこともあり(といって、今もべつに判ってはいないが……)、というか、そもそも小説家志望というだけで、それ以上でも以下でもないので、場違いも甚だしかったのだが、一度、入学金を払ってしまった以上、そこから引き返すわけにもいかず、「煮るなり焼くなり好きにしろ!!!」とでも言う気持ちで、裸一貫でその講座に飛び込んだわけです。
とはいえ、ノリと勢いだけで飛び込んだはいいものの、受講生も受講生でさすがにこういう講座を受講しているだけあり、出版業界に片足を突っ込んでいるような、『ライター経験者』や『○○企業で編集部を担当してます』などの〝錚々たる面々〟を前にして、「アカン、まったく場違いな場所に迷い込んでしまった……」と、半ば後悔の念を抱きながら、「その記事にエビデンスはあるんですか?」「その内容はアグリーは取れてるんですか?」「この記事のイシューは、いったいどこにあるんでしょうか?」など、自己主張の激しいイキリまくった生徒の間で〝我こそが出版界のジャンヌダルクだ〟と言わんばかりに、意味不明な横文字の飛び交う教室の中で、息を殺して、影を潜めて、肩身を狭くして、半年以上も週末の授業を受け続けたわけです。
ほんとに居心地が悪かった……
ただ、そんな中でも、少しは話の合いそうな人を見つけ出さなくては、20万円近い授業料をドブに捨てることになる。それだけは避けたかったので、どうにかその中から、少しは同じ臭いのする2名を発掘することができた。
名前はたしか(苗字を出したところで身バレはないと思うし、包み隠さず公表させてもらうが)、三宅さんという女性と、竹本さんという男性だったと思う。もう遠い昔のことで、あまりよく覚えていないが、たしかそんな名前の人たちだったと思う。
三宅さんという女性は、出版業界とは関係のない普通の一般企業で働くOLで、竹本さんという男性は、文学を愛する、どこにでも居そうなフリーターの人(ぼくと大して変わらない)だったのだが、その人の趣味というか、文学の志向が独特で、ちょっと彼の読んでいた本を紹介させてもらうと、夢野久作という作家さんが書いた『ドグラ・マグラ』という作品だったのだが、彼に勧められるがまま本屋で購入して、当時読んでみたのだが、これまた話が難解すぎて、ぼくにはその良さがまったく判らなかった……。
ちなみにこれがそうです…… ↓ ↓ ↓
まあ、人の趣味にとやかく言うつもりもないし、せっかく発掘した友人を失いたくない一心で、「あぁ、すごく独特の作風で、とても面白かったです……」と、彼の嗜好に合わせて、そのときはコメントさせてもらったのだが、もう10年以上経っているし、さすがに時効だと思うので、10年越しに本音を打ち明けさせてもらうと、
「すみません……。全然わかりませんでした!!!」
で、そこからなんやかんやあって半年近い受講期間を終えて、なんとか挫折することなく、最後まで受講することができたわけなのですが、その講座の最後に卒業制作として、100名近い生徒の中で記事のコンテストのようなものが行われることになり、それぞれ独自のテーマで原稿用紙数十枚程度の記事を書いて来なくてはいけなくなったわけです。
急に記事と言われても、そんなテーマも内容も、すぐに浮かんで来るわけもなく、そのとき行動を共にしていた2名(三宅さんと竹本さん)とチェーン店の居酒屋で、「ああでもないこうでもない」と、意見を出し合いながら卒業制作についての相談をしていたわけなのですが、話し合いとは名ばかりの、ただの飲み会だったこともあり、そんなところで意見がまとまるわけもなく、話は各自で持ち帰って考えることになったわけです。
ちなみに、結局、三宅さんの卒業制作に関しては、たしか仕事関係の内容をまとめた、当たり障りのないモノを作成しており(記憶が曖昧なので定かではないが……)、竹本さんの作成した卒業制作が、またぶっ飛んでいて「記事を作成するように」と、宣伝会議の講師からお題が出ているにも関わらず、その指示をまったく無視して、小説を書いてきてしまった。
まあ、これには、ぼくも少なからず関わっているので、というのも、彼が文学を愛していることを知っていたので、彼にはぼくが小説家志望で、小説を書きあぐねている件については話していたこともあり、「きっとあなたも、そのうち小説を書きたくなりますよ……」と、どこかのタイミングで、意味深な発言を言ってしまっていたせいで、飲み会の席で卒業制作の記事についての話し合いをしているにも関わらず、飲み会の終盤で、「あ〜、オレは小説書こうと思ってんねん……」(言い忘れていたが、竹本さんは関西人で、彼の性格としては、ちょっと頑固な風変わりなところがあり、世間のルールとか常識には縛られないというか、ルールは守るものではなく破るものだと思っているような人でした)と、とんでもないことを口にしていた。
もちろん、ぼくと三宅さんは呆気にとられていたが、暴走する彼を暖かい目で(冷ややかな眼差しで)見守ることは出来ても、止めることはできるわけもなく、「あー、いいと思うよ……」と、どこかで示し合わせたように、まったく同じ反応で、傍観者を決め込んでました。
まあ、それはそうと、ぼくの卒業制作に話を戻すわけだが、急にフリーテーマで記事を作成して来いと言われても、ハッキリ言って何を書けばいいのかも判らず、煩悶懊悩とした日々を送っていたのだが、なぜか記事を書いているうちに、2001年の9月11日の『アメリカ同時多発テロ』のことについての内容を書くことになり(今、記事を書いているみたいに、こうして話が途中で脱線しまくってしまって、いつの間にか記事の内容がすり替わってしまい)、加筆修正を繰り返しているうちに、どんどん事件のことを調べながら、当時の事件のことを掘り下げて行っていたら、記事の内容がどんどんと濃くなってしまい、最終的に、『911のアメリカ同時多発テロ』の超大作の記事になってしまった。
無計画の産物である!!!
ということでぼくは、仕事の休みを返上して丸2日間(ほぼ徹夜で)かけて記事を制作したこともあり、どうにかこうにか原稿用紙20枚にも及ぶ、大作の記事を書き上げることができたわけです。
時を飛ばして、宣伝会議の授業の最終日、ついにコンテストの結果が発表される日がやってきました。もちろん自分の記事が取り上げられるとも思っていなかったぼくは、「まあ、誰かが受賞するんでしょ? まあ、ぼくら3人以外の誰かでしょ?」くらいに気を抜いて参加していたわけなのだが、次々と銀賞だの、銅賞だの、アイデア賞だの、記事の受賞者が読み上げられていく中、最後の金賞の発表になり、(この時点でかなり気を抜いている……)とつぜん、
「嗣永シュウジさんの『○○○○』!!!!!」
(ごめんなさい……。もう10年以上も前のことで、自分で書いておいてタイトルの名前を忘れてしまいました)
と、ぼくの名前と同時に、どこかで聞き覚えのある記事のタイトルを読み上げられました。
「はぁ!?」
呆然と立ち尽くしていると、自身を称える賞賛の拍手が教室中に鳴り響き、講師陣の先生方が、ぼくのことを壇上へと案内する。あまりに急な出来事に状況を掴むのにしばらく時間がかかる。
そして、金賞を受賞した自分の記事が、みんなの前で読み上げられる。
マジで恥ずかしかった。(が、これを機に、自分の文章にも、少しは自信が持てるようになった)
ということで、ぼくが宣伝会議で金賞を取ることになったエピソードを語ってきたわけだが、余談ではあるが、竹本さんの記事は、いや、小説は、案の定、そのあとに講師の先生から、ボロクソにこき下ろされました。(というより、そのときの受講生の、ほぼ全員がこき下ろされたわけだが……。講師が業界でも有名な雑誌の鬼編集長だったこともあり、受賞式の壇上で散々毒をお吐きになられておりました……)
「今回のコンテストは過去に前例がないほど、低レベルな作品ばかりが提出されており非常に残念でした。正直、金賞以外の記事は読むに堪えない駄文ばかりで、こんな低レベルな文章しか書けないような連中が、今の出版業界を支えているのかと思うと、ハッキリ言って恐ろしいです。しかも、その中でも一番最低だったのは、記事を書いて来いと言っているにも関わらず、〝このような小説? 手記? いや、手記にもなってないような〟オナニー作文を提出してくるようなバカいる……。嘆かわしいとしか言いようがない!!!!!」
と、一喝しておりました。
もう現場の雰囲気は〝受賞式〟というより、さながら〝お通夜〟といったほうが、表現としては的確かもしれない。
まあ、そんなわけで、ぼくの宣伝会議の思い出を語る記事は、この辺で幕を閉じようと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m