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#041.アンサンブル 3(アンサンブル練習時の注意点)

ただ今、複数回に分けてアンサンブル(室内楽)について解説をしております。前回までの記事はこちらからご覧いただけます。ぜひ通しで読んでいただければと思います。

そして今回は作品を完成させるための練習内容や練習方法について解説してまいります。


指揮者がいないアンサンブル曲練習

音楽大学では一般的に吹奏楽、管弦楽、ソロ、そしてアンサンブル(室内楽)と様々な形態の音楽を学びます。

思えば中学の吹奏楽部の頃から曲作りの現場には指揮者兼指導者の大人(顧問の先生や外部指導者)と言った「教える人」「進行役」がいました。音大に入っても当然講師の先生がいる。だから、言い方が適切かわからないけれど、その場で座っていれば事は進んでくわけです。

しかしアンサンブル練習時には何かを指摘してくれる先生がいません。

そんな中、練習を進めていく上で何だか合っていない感じはするけれど、それをどうすればよいかわからない。何と言えば良いかわからない。

進行役がいないと、演奏を途中で止める人がいないので何度も何度も最初から最後まで通してしまい、それだけで時間が経過し、改善することなくバテて終了してしまう。メンバーによっては「休憩しよう」と提案することすらできない。これは練習になりません。ではどうしたらよかったのでしょうか。

指導者的リーダーはメンバー内に必要ない

基本的に学生は常に「教わる」姿勢であり続けるため、教える立場になった際のノウハウを持っていない場合が多いです。音楽的な面だけでなく、進行の仕方についての知識も含めて、学ぶ場面があるのが理想だと考えます。

教えることに関する知識や経験がない結果、練習時間がダメ出し大会という憂鬱な時間になってしまうことがあります。

「そこずれたよね」「音程悪いよね」

指揮者や指導者が言葉で我々にアドバイスをしたり進行をしている状況ばかり見てきた奏者であれば「音楽を作るためには言葉を交わしていくもの」という発想に至るのは当然です。

しかし、この「言葉による進行」は意外に難しいです。部活動などの指揮・指導を例にすれば、その人たちはあらかじめ頭の中に具体的な完成図があった上で、軌道修正をするために言葉を使って伝えます(本来指揮者は言葉を使わないで指揮や表情で感じ取ってもらうのですが、部活動や一般団体ではそれだけでは難しいものがあり、結果的に言葉による伝達が多くなります)。
その際、どのような言葉の使い方をするかで相手に与える印象は大きく変わります。例えば、ピッチが合わないことでハーモニーが美しくなかった場合、「ピッチが悪い」「ハーモニーが汚い」「合ってない」と、その事実だけを率直に伝えるだけでは単なる否定、いわゆる「ダメ出し」になってしまいます。

だいぶ前ですがNHKのテレビ番組でNコンという合唱コンクールのドキュメント番組を放送していたのを見たことがあります。ある全国大会の常連校に密着取材をしていまして、その時はパートごとに分かれて生徒たちだけで練習をしていました。
指導役は上級生のパートリーダー。とは言え、全国大会候補の合唱部だろうが、そこにいるのは普通の高校生。しかも上級生と他の部員と1つ2つしか年齢が違いません。その指導役の子は非常に真面目で責任感が強く、一生懸命指導をしようとするあまり強烈な現実直視型のダメ出し大会になっていました。

「タイミングが合っていないから合わせてください!」
「音程が悪いので直してください!」
「声が汚い!きれいにしてください!」
「ちゃんと歌ってください!」

あらかじめ言っておきますが、この子を責めるつもりは一切ありません。
しかし、このダメ出しの猛襲を受けた他の部員たちは、「そんなこと言われたって、どうやったらいいのか…」と困惑し、空気が悪くなり、テンションも下がる。それを察知して一番凹むのが一番頑張っている先ほどの先輩。負のループ。

ダメ出しは解決策を持たない投げっぱなしな言葉のため、あまりにこれが続くと「私たちは下手なんだ」「ダメなんだ」とメンタル的に追い込まれてしまい、辛くなります。

こうなってしまうのは大人が悪いです。教師やトレーナーと言った大人がヒントという起爆剤の投や、指導法について先輩たちにレクチャーをしないまま、「生徒たちの自主性を尊重」みたいに崇高な言葉を使って単に放置している場合が結構あります。確かに学校の先生は忙しい。部活に顔を出せないことも多いのは重々承知ですが、だからこそこのような重要な部分に関しては何らかの方法でサポートしてあげたいところです。

それにしても最悪なのはテレビ局で、それをさも感動青春譚のように編集していることに嫌悪感を抱きました。

少し話題がそれてしまいましたが、こんな話が他人事ではないと感じた方、結構いらっしゃいませんか?ダメ出しで解決しないのは管楽器のアンサンブルでも同じです。

そもそも、アンサンブルにおける演奏者は全員が同列の立場でいるべきで、その中に特定の音楽的指導役は必要ないと考えます。

進行は言葉ではなく極力演奏で

ではどのように曲作りをすれば良いのでしょうか。答えは明白です。極力演奏で示せば良いのです。

我々は音楽をしているのにも関わらず、楽器から音を出すことを止めて言語で音や感情という抽象的な存在を語ろうとするほうがよほど難しいのですから、自分が「こうしたい」「これが良いと思う」「こういうのはどう?」というイメージや提案を相手に理解してもらえるよう思い切り演奏で出してみてください。

「タイミングが合わないから合わせてください」と言うくらいなら、タイミングを合わせようとする意思を持っているのか、そのためにはどうすればいいのかを考えて、とにかく試行錯誤、チャレンジするのです。

ヒントとしては、その際にすべきことは2つ。「送信」と「受信」です。

他の奏者へ主張する「送信」。もうひとつは、自分と同じようにメンバーそれぞれが送信してくれているものを察知する「受信」です。

多くの場合、送信電波が弱過ぎて(もしくはまったく出そうとしないから)誰も自分の出そうとするタイミングに気づいてくれません。
一方、誰かのテンポにつっくいていこうとしたり、誰かの出したピッチに合わせようとしたり、一見真面目で良い姿勢に感じるこれらの行為は、実は自身の主張がない単なる受け身であり、演奏には大変不向きで無責任なのです。日本人は特に、謙虚でいることが美徳とされてきた風潮があるせいか、主張をすることが良しとされないことが多く、主張することが「でしゃばり」になると勘違いしている人が多いのですが、「私はこんな演奏をしたいのだ!するのだ!」という意思やイメージをまずはしっかりと持ち、それを演奏で主張するところをスタートラインにしなければアンサンブルは成立しません。
自身のしっかりした主張と、相手の主張を受け入れる寛容さ、そしてそれらを受け止める耳、これらのバランスを保ち続けることでひとつの音楽が生まれるのです。

そうなると、もうお分かりかと思いますが、特にアンサンブルにおいては初回合わせの日までに各自が譜読みができていなければなりません。アンサンブルは誰かが演奏できない箇所があると、もうそれだけで形を維持できなくなってしまうので(それは音がなくなるだけの問題ではありません)、それぞれのパートに課せられた重要さを理解し、完成させた上で合わせに臨むよう心がけてください。

目で会話をする(アイコンタクト)

各奏者の電波の送受信が強い演奏ならば、そのメンバーでその時に作り上げていく作品の方向性が自然と明確になっていきます。

その送受信は当然言葉ではできないため、「目」が大変重要な要素になります。

ところで「目」ってすごいですよね。目が合うと心が動きませんか?別に愛だの恋だの話ではなく、Bluetoothで繋がったかのような「今この人と意思疎通ができる」と実感を持てます。この「目から生まれる力」が演奏時に必要になります。

例えば、ある場面で一緒に入る奏者へ1小節前くらいから目を合わせ、そしてアインザッツをする(きっと相手も同じ動きをしてくれます)。これだけで何と安心感の強いことか。アイコンタクトはアンサンブルにおいて大変重要なアクションのひとつです。

演奏開始時もアイコンタクトが大切です。アンサンブルの場合1stトランペットの奏者が演奏開始のアインザッツを出すことが多くなると思いますが、楽器を構えて全員の準備が整ったのかを1stトランペット奏者が目で全員を確認します。それに答えるようにして他の奏者が各自「準備OKだよ」と1stトランペットに目で合図をする。これが成立したら演奏開始です。

予定調和だけでは面白くない

大勢で演奏する吹奏楽とは異なり、アンサンブルは原則として1人1パートです。これが何を意味するかと言うと、

「上手くやれば周りに迷惑をかけずに好きなことができる」

のです。

吹奏楽合奏の場合、指揮者のプロデュースによって作品を完成させ、それをお客さんに披露するのですから、指揮者が望んでいないこと、約束していないことを本番で突然やり始めてしまうのはかなりハイリスクで、基本的には避けるべき行為です。

もちろんアンサンブルでも他の人が困惑するレベルの予想外なことをしたらダメですが、例えば練習の時よりもリタルダンドを強めにかけたり、アゴーギクを大きくしたり、あと金管アンサンブルで多いバロックより昔の中世・ルネサンス時代の編曲作品などでは、楽譜に書いていない装飾的なメロディを自由に作ることが許されています(というか求められています)。これを毎回若干違う内容にすることも崩壊しない範囲であればむしろするべきです。

こういう行為を「仕掛ける」と言う場合もありまして、アンサンブルがよりスリリングでライブ感のあるものになる魅力のひとつと言えます。

「揃える」とは

先ほどの「送信」のときにも話題にしましたが、日本人特有の横一列に並びたがる気質が西洋音楽に合わないことも結構多くて、この「揃える」という言葉も音楽的な面で解釈が間違っていることが多いです。

日本人の大多数がイメージする「揃える」は、全員の服装をまったく同じにするとか、自分の意思とは関係なく予定調和のセリフを全員同じように発声するとか、個性をなくす方向に歩みがちです。

しかしこれは音楽において魅力を半減(もはやそれ以上)させてしまいます。音楽とは、各奏者の個性を主張しつつ、相手を尊重して調和するものですから、自分の意思や個性を隠して受け身になり、楽譜に書いてある情報を忠実に再現するだけの集団では本当の意味でのアンサンブルにはなりません。

さていかがでしょうか。アンサンブル練習時にどうすべきか、おわかりいただけたかと思います。どんどん主張して、楽しいユニークなアンサンブルを作ってください。


荻原明(おぎわらあきら)

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