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いつも心に寄り添って②~好きで夢中になる事を~




偏りに気づいて、腑に落ちた後、何も否定せずに自分に寄り添って、偏ってしまった理由を、素直な本音本心を、再度肯定する事が大切でした。
(この時は、帰宅後、ゆっくりした時間に、自分で自分を肯定しました。)


優しく、自分に伝えました。


「偏りではあったけれど、それは、私なりに、相手を大切に想っていたからだったよね。
血の繋がりや、過去、一緒に暮らした日常があって、その記憶もあって、想いが強く深くなるのは、当たり前と言える事だもんね。
本当に、辛くて苦しい過酷な体験があったけれど、
それでも、日々寝起きを共にして、両親妹が、それぞれ苦労したり、一生懸命頑張っている姿も見ていたから。
自分にとって、大事な存在だと、心深くで認識していたから、無意識に偏ってしまったね。
知らず知らず、囚われてしまったほどに、強く想ってしまう存在だったんだよね。」


「私流の認識と愛情表現だったけれど、愛していたね。大切だったね。
表現のしかたが、素直ではなかったところは、私と父親は、よく似ていたね。
素直にって、なかなか簡単じゃないよね。
お互いに、想い合い過ぎてしまったのかもしれないけれど、
お互いに、気持ちを素直に表現した時に、否定されたり、誤解し合い、わかり合えなくて、傷つく事を怖がってしまうようになったかもしれないけど、
その、大元にあった本音本心は、お互い、
相手を自分自身の事のように思い、思い込み、近しい愛しい存在だと捉えた、 心の優しさ  だったと思うよ。その優しい気持ちは、本当に、大切な気持ちだよね。
ただ、その気持ちが、お互い、無自覚に  過ぎた  為に、結果、偏りになってしまったね。
気づけて、よかったね。
過ぎない範囲で、その気持ちは大切にしようね。」



その想いは、均等に、平等に、軽く重くなく持ってていいもの。心を楽に、もう深刻にならないほどあいで、大切に持っていようと思います。
私は気づくのに、長い時間が掛かってしまいましたが、すべての時間が、気づくまでの、気づいて認めて受け入れるまでの、必要な時間だったと思います。
気づいて、これから、ここから続く道を歩む為に、本当にすべて必要な、大切な時間でした。



今まで気づいていなかった事に気づいた後、
海の中の砂の上を歩いた時に一時的に砂が舞い上がるように、気持ちが、散り、浮遊しそうになります。
その気持ちが湧き上がるたびに、
いつも自分が自分の心に寄り添って、その時の、正直で素直な気持ちを認めて、繰り返し優しく、寄り添います。
気づく度に、気づいたほうへ、微調整されます。
内側のニュートラル地点の少しの移動です。(気づかないふりや、抵抗をしてしまうと、心が楽にならずに拗れてしまう。)
その時に感じる、今までの自分へのショックや後悔の気持ちにも寄り添って、その時に、
(ショックや動揺を感じる自分でも。例え、自己否定してしまう自分でも。そう思ってもいいよと。どんな自分でもいいよ。気づく前は、その時の気持ち、理由があったんだから、いいよ、と。)
心を緩めて、
気づいた事。
気づく前の自分。
気づいて、変化する自分を全肯定します。
自己否定してしまう自分をも、理由も込みで、
全部を肯定して、全部を受容する事で、
舞い上がった砂がゆっくり降り戻るように、再度、心が落ち着く場所に落ち着いて、そこから、また、自分の軸が育つように思います。


そして、
『心から音楽に夢中になった時、人は苦しみからも、不安からも、自分からも解放されて、ただただ美しい響きに満たされる』
(ドラマ・さよならマエストロ より)

この、音楽 の部分に、それぞれ、1人1人が心の底から本当に好きで、本音本心でやりたい物事。夢中に無心になれる物事があてはまり、
きっと誰もが、最善最適なタイミングで、その瞬間を体験して、心が癒されながら、ゆっくり成長を重ねていくように思います。


心が、ただただニュートラルになって(戻って)生きた時、生きようとした時、
一時停止してしまっていた心の鍵が解除されて、
自分が書いたシナリオ通りに、ストーリーが再び展開し出す。
再度、人生が動き出す事に気づく気がしました。
必要な出会いが自然に訪れたり、自然な流れが起こり、循環が始まる。
事実は小説より奇なり。そう思えるような事も起こったりする。
そして、本当にニュートラルな自分に戻った時、
ひと時忘れてしまっていた大切な物事、大切な人(達)がすでにもうそこに居てくれた事に、大事な事に、気づき直す気がしました。



気づくと、誰もが自分の中の宇宙に、自分の潜在意識に、その都度、その時必要な物事、言動へと導かれてる。
自分の、飾らない本音本心が、自分を案内してる。
個々の自由な、色々な考え方、捉え方、信じる物事がある事、その表現のしかた、真摯に全部を肯定した上で、
私自身は、自分の深い内側と繋がり、いつも心に寄り添って、心の声を聴いて、ここ3次元に活かして現実にしっかり地に足をつけて、命を味わい、楽しみ感謝し生きる事が、スピリチュアルに生きる事(目に見えない物事を信じて生きる事)のように感じます。





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すべての記事は、あくまでも私個人の体験を、私視点で見て、私主観での受け取り方をして、記録したものです。
私の体験や、物事の受け取り方、考え方、自分との向き合い方や気持ちの落ち着け方などが、
良い悪いや、ほかの方と比べて上下や正誤や優劣をつけたり、何かを押しつけたり、制限したり、限定するものではないですし、そういう意図、目的は全くありません。


これは私個人の体験で、私にとっての真実で、私のストーリーの一部分でした。そして、このストーリーは、まだ途中で、この命があるうちは、続いていきます。



お1人お1人、個々に、かけがえの無い、唯一無二の大切な人生の物語があって、それぞれが主役で、その方にとっての真実があると思います。


人生のストーリーには、本当に、いろいろなひと幕があるんだと思います。
キャストを変えながら
楽しいひと幕。悲しいひと幕。
辛く苦しく、我慢するひと幕。
一生懸命、頑張るひと幕。
何もせずに休むひと幕。
ほかにも色々...。
どのひと幕も、どのステージ(舞台)も、大事な一場面なんだと思います。


私は、そのストーリーの中のひと幕で、
心を傷めて拗らせてしまい、心身休ませた後に、回復に向かうひと幕がある事を知りました。
自分が今回の人生で、そのひと幕を体験するのかもしれないと何となく感じ、体験を書き残しておきたいと思いました。


人生のストーリーは個々に違っていても、
私と違うどなたかも、似ているひと幕を体験されるタイミングが、人生の途中にあるかもしれない。



宇宙に法則があるように、
もしも人体の仕組みや、心身の内面の動き方に法則性があるのなら、心を病み傷めた時の回復のしかたにも、個人差はあっても、もしかしたらある自然な流れ、自然な法則があるのかもしれない。
そう思いました。





最後までお読み頂き、ありがとうございました。
今回の記事で、私の中では、自分と向き合い、書きたかったところの、最後まで、書ききった感覚がしております。
ここまで読んで頂き、温かく見守ってくださいました皆様、本当に、ありがとうございました。
心から、感謝致しております。
noteはお休みしようと思います。
まだまだ暑さが続く季節ですので、どうか皆様、心身を大切に、ご自愛ください。
いつも心に寄り添って、まずは自分に優しく、労りましょうね。




桜ひとひら/MISIA





ありがとうございました。









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