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ご縁の意味 学びに気づく事④~ネガティブ感情を感じた所に~



なぜ、今まで気づかなかったんだろうと思いました。
高校3年の時、私は母親から、宗教の本をもっとよく勉強して神様を身近に感じてごらん、と言われた事がありました。
私はそれまでの成長過程での体験があった事から強く反発して、
「私はこの目に見えてる物しか信じない。手に取りわかり、見て確かめられる物しか信じられない。私は神様なんて信じない ! 」そう言いました。
経験した育ち方から、私は、両親から押し付けられる事は全部間違っていると思い込み、目に見えない物はわからない、存在しない、信じられないと思い込みました。
その自分の価値観を少しでも揺らがせる物事(例えば宗教、何かを信じるという事)には、私は敏感に危険を感じて警戒し拒絶するようになり、危険な気配を感じた瞬間、自分で全てシャットアウトして来た気がしました。


神様と呼ばれる存在なのかどうかは、私にはわかりませんが、数年前から、私は何か見えない大きな宇宙の流れというか、大きな力、そういうものが存在しているという事と、
きっと誰もが皆守られていて、導いてもらっているんだな、という事が信じられていました。
何かを  信じる  という事がニュートラルで、
信じない、また、信じ過ぎる、という事がそれぞれ偏っている、傾いている、囚われている、という事なのかもしれない...と思いました。
「目に見えない人の心の奥の気持ち、目に見えない物事があり、それに気づく事」
「気づいて信じるという事」(信じる≠信じ過ぎる)が、
私の学びの1つだったように思いました。
自分で自分に課した強い囚われが、両親と義父母との関わりで解かれたように思いました。

私の場合は、実の両親、義理の両親が、ネガティブな感情を感じさせる存在でした。
実の父母も義父母も、それぞれ(たまたま偶然かも)約18年間の年月をかけて、壮大なスケールで私にネガティブだと思える体験をさせて、でもそのネガティブ体験は、今の私に大事な事を気づかせる為のものでした。
抑圧・制限されて、大事な物事をわざわざ見えなくさせられて、ネガティブ感情を抱きそこを離れ、でも心を癒しそこに回帰し、大事な事に気付かされた、そんな気がしました。(心を癒す事で、恐れていた物事をいつの間にか怖く感じない心に変化していました。)

自分が1番怖くて避けていたところ、離れていたところ、ネガティブ感情を感じたところに、より深い自己理解に繋がる大事な何かがあるような気がしました。


捉え方、偏っているかもしれません。
押し付けるような気持ちは全くありません。
ただ、今の私にはそのように思えてしまいました。私にとっては、人生の今のタイミングで、大事な気づきになった気がしています。
自分の人生に何が起こったのか...。起こった事からの学びに気づくという事。
その為には、自分自身を深く知るという事。
その為には、何よりもまず自分の心と深く誠実に素直に向き合う事。焦らずに、ゆっくり、誰とも比べずに、無理はせずに。
そうする為には、無条件に自分を愛して、無条件に自分に優しくするという事からでした。


今まで、どの時間も懸命に泣いて笑って生きてきましたが、私はそもそもそういう視点に長い間気づかずに、そういう視点から見る事が出来ず、自分を愛せず自分に厳しく生きて、大事な事になかなか気づいて来れませんでした。
気づいた時、その場に倒れ込みました。
しばらくした後、起き上がり、こうして気づく為に、今までのすべての体験が必要だったんだな...と思いました。
そして、学びはきっとずっと続いていくんだ...と思いました。



愛はスローにちょっとずつ/サザンオールスターズ




最後までお読み頂き、ありがとうございました。





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