#230 私は主観的な世界を生きている
さて、今日のテーマは「私は主観的な世界で生きている」です。
先日、「葬送のフリーレン」を観ました。
まだ放送分を全て見終わってませんが、おもしろいアニメです。
そこではエルフであるフリーレンの視点と、その周囲の人間の視点の違いによって起こる物語が描かれていました。
これは、今の自分たちの世界観にも当てはまることがあることに気づかされます。
結局、僕たちは自分の視点で世界を見ているということです。
それに気づけるだけでも、いろんな視点で物事を見れるようになると思います。
自己紹介とお知らせ
僕は、某リハビリテーション病院で働く作業療法士兼、中堅管理職です。
対象者の悩みや課題はもちろんですが、スタッフのストレスやチーム運営などについても、中堅管理職として向き合っています。
このアカウントでは以下のことについて、毎日noteを更新しています。
・幸せな生活の考え方
・医療者としての働き方
・他者とのコミュニケーション
・良い人間関係のポイント
・ストレスマネジメント
・作業療法のもろもろ
・日々、感じたこと
これらのことについて、僕なりに解釈して記録として残していきたいと思います。
*質問箱をGoogle formで作りました。仕事や生活などでの悩み(それ以外でも)があれがご記入ください。いただいた質問は、記事にして返信したいと思います。
それでは本題に入っていきましょう。
自分の視点でしか物事は見れない
改めてですが、私たちは自分の視点でしか物事を見れません。
どんなに相手のことを思っても、どんなに気持ちに寄り添おうとしても、主観的に自分の世界を生きている僕らは、他人の視点で世界を見ることはできないんです。
この視点というのは「見え方」というものだけではありません。
同じ物を見ていたとしても、そこから受け取るものは人によって違います。
どの感じ方も人それぞれで、それはその人が生まれてから培われたものでできています。
その人の経験は、その人だけのもので、そこからどのように解釈するかもまた、その人の経験を多くはらんでいることになります。
つまり、僕たちが見えている世界というのは、自分の経験からくる物事の解釈も含まれるということです。
そう考えてみると、他人の視点で世界を見ることは難しいでしょう。
「あの人はああだから」
「きっとこう思われてる」
「どうして言うこと聞かないの」
こういった意見というのは、「他者の視点が自分と同じはずだ」という前提のもとに成り立っています。
その理路が成り立つとすれば、自分の世界が全ての世界と一致しているの感じている証拠になります。
本来はそんなはずはないんですが、そう感じてしまう。
それはつまり、自分の視点を理解していないということです。
自分がわからないからこそ、集団に属し、他者と比較し、そこから自分の意義を見出す。
でも、そんな感覚で得た未来に何か価値はあるんでしょうか。
自分の世界や視野を改めて振り返ってみると新しい発見があるかもしれません。
他者の視点を承認すること
人それぞれに視野があり、周囲の人間がどれだけその視点に立とうとしても、そこを一致させることは難しいでしょう。
では、どのように他者と関われば良いかです。
それは、「相手の意見や自由を認めること」だと思います。
僕たちは自分の視点でしか世界を見れません。
でも、いろんな周囲の人が持っている主観的な世界を、否定せずに認めることはできると思うんです。
相手のやっていることに注意を向けて、そこから必要な支援を考える。
そうやって、自分と違う視点を持つ他者を認め合っていくことが必要なんだと思います。
今日は以上になります。
頑張るあなたを応援しています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
読んでいただいた方のヒントになれば幸いです。
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ではまた
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