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小説探訪記09:煙草の香りが染みついた古本

※※ヘッダー画像は きよひこ さまより

01.煙草の香りがする古本

 むかし古本屋で買った椎名しいな麟三りんぞうの文庫本を、自宅に帰って開いてみたら、煙草たばこのにおいがむわっとただよってきた。そんなことがあった。普段は文字通りタバコを煙たがる私であるが、そのときは良い買い物をしたな、と思った。いま再び開いても、ページから何もにおってくることはない。私は少し罪悪感を覚えた。


椎名麟三『深夜の酒宴・美しい女』講談社文芸文庫

02.煙草の香りが似合う作品、似合う作家

 ちょっとしたエモい体験談だ。椎名麟三の本から煙草の香りがすることが素晴らしい。たぶん、他の作家だったら許さなかったであろう。谷崎潤一郎や泉鏡花の本にそんな臭いが染みついていたら絶対に買わないし、大江健三郎や高橋和巳でも買うのを渋るだろう。中上健次や埴谷雄高であれば買うことを考えるかもしれない。

 それともう一つ。煙草が似合う作家と煙草が似合う作品は異なる、という点は断っておきたい。

 大正や昭和の文豪にヘビースモーカーが多かったことはよく知っている。たとえば芥川龍之介はそうだった。だがしかし、煙草の臭いが染みついた『杜子春』や『蜘蛛の糸』を読みたいか? そう問われればノーと答えるだろうし、『地獄変』からそんな臭いがしたら何かしらの凶兆だと察するだろう。

03.前の持ち主を想像してしまう

 購入してから何か月も経ったので、その本から匂いは消えている。煙草の香りが消えると同時に、前の持ち主の思い入れも揮発きはつしてしまったような気がして、少しばかり罪悪感を覚えてしまう。

 それと同時に、前の持ち主について色んな想像をめぐらせてしまう。前の持ち主はたぶん亡くなっているのかもしれない。そして遺族が売ったのだろうとも推測できる。(あるいは、単にヘビースモーカーの本人が売っただけかもしれない。)その本だけを好んで読んでいたのかはわからないが、書斎で煙草をふかしながら読書をしていたは確かだろう。

 また、椎名麟三は青春だったのかもしれない。煙草を片手に読みながら、当時を懐かしむ。若い私にはわからない実に贅沢な楽しみ方だ。大江健三郎でもなく、高橋和巳でもなく、武田泰淳でもなく、遠藤周作でもない。当時から文学青年をやっていないと、思いつかないセンスだろう。

04.言い訳など

 古本の状態を確認しなかったのか? そう訊かれるかもしれないので、その点について答えておこうと思う。

 結論から言えば「椎名麟三の本は珍しかったので、そのままカートに入れてしまった」というのが答えだ。自分は本の状態をそこまで気にしない。日焼けしていようが、線が書き込まれていようが、読めれば全く問題ない。むしろ買う機会を逃したくなかったので、瞬時に買ってしまった。ここで買ってしまわねば、一生読まないかもしれない、と。


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