「未来とは何か!?」時間を考えるシリーズ・パートIII最終回💫💫💫
自分とは時間!
時間とは自己!!
ハイデガーは凄いところに辿り着いたのである。
ヌーソロジーを始めたぼくは自分とは空間、空間とは自分。との空間認識に衝撃を受けたのであるが、それをも上回る衝撃!
それはつまり全ては自分。全てはワタシというところに繋がってくる。
しかし、そこでは終わらなかったのがドゥルーズでありヌーソロジーである。
〈全てはワタシ〉をぶっ壊して先に進んだところに生成の場・生成の時間があるという。
前回までの復習💫
持続、円環する時間。
現出してくる現在は一枚一枚のフィルムのように噴き出してくる。それを貫いて〈ワタシ〉として認識させているもの。名を持ち生まれてきて暮らしていると認識させているもの、それがヌーソロジーにおいて持続・奥行きと呼ばれるものだ。
奥へと向かう矢印はドゥルーズが純粋過去とよんだ世界である。
(純粋過去は持続と同じ意味だが、より存在論的な意味合いをはっきりさせるためだそうである。な、ナンノコッチャ😬💦🤯)
奥に向かっていく矢印。この持続世界で記憶は延々と積み重なっていく。カタチ、精神として奥へと行く方向へ積み重なっていくのだ。
では、未来は何処にあるか?
思考やイメージの中しかないのか。円環時間の中ではまだ思考によって予期されるものでしかない未来。しかし、未来がやってくる以上、どこかからか生まれてくるのだ。
ドゥルーズは考えた。考えに考えた。それが哲学者というものの本分だ。精神分析家フェリックス・ガタリとコンビを組んで記憶と精神、さらに生まれてくる前の世界、死んだあとの世界。そして考え尽くした先に降りてきたインスピレーション。
そして彼は現在(瞬間)をぶち破り、円環する時間を超えて生成の時間へと辿り着いた。
生成の時間=未来!?
3次元的感覚では〈現在〉にいると未来は思考の中にしかないとなるが、ドゥルーズが辿り着いた未来は高次の精神的宇宙。
そこで行われる宇宙の生成活動における物質と精神の誕生の場所をぼくは未来(純粋未来と呼ぶ)だと思う。
純粋過去(持続)と現在の隙間。奥行きの一本道。
「間」(ドゥルーズは中間休止と呼んだが日本語では間、古神道の中今と表現される)。
ぼくらという存在は高次で生み出されてくる。そこがドゥルーズの言う中間休止、日本語の「間」だ。
そこで生み出されたものは凝縮化してぼくら人間の活動領域にやって来る。ぼくらの活動領域自体を生み出してくる。そう、未来はやって来るのだ。
まるで折口信夫の言った〈マレビト〉である。
生成と凝縮化
ぼくらの感覚ではわかりづらいが、無意識の世界、潜象世界に近づいていくほど物質は微分化していく。細かく微細になっていく。それは肉体も意識も同じだ。
そして向こう側の世界、微分化した世界の方がマクロなのだ。
こちらがミクロであちらがマクロ。
さらには精神はメビウスの輪のように捻れている。いやそれがメビウスの輪なのだ。その捻じれの括目で等化が起きた時、生成が起こる。その反映として未来はぼくらのところにやって来る。マレビトは自己として他者として、その表裏一体と化したモノとしてぼくらのところにやって来る。
ぼくら自体が未来からやって来る。ぼくら自体が時間として生まれてくる。ぼくらは時間の中にいるのではなくて
時間として生きているのだ。
ぼくらはいろんなもので出来ている。
時間、言語、感性、精神、それらは高次元における自己と他者、超越論的自己と超越論他者の交わりで生まれてくる。言葉を変えれば神と神、霊と霊の交わり、宇宙的なまぐわいである。
そしてそこから凝縮化されて生まれてきたぼくら人間としての〈意識領域、身体、物質的領域〉(ヌーソロジーでは元止揚と呼ぶ)はまた螺旋を描いて高次へと還っていく。また、螺旋を描いて別の場所へと還っていくのだ。
そしてドゥルーズはそれを「永遠回帰」と呼んだのである。
ぼくの考える「時間」
現時点での最終イメージ。
縦にすると
ぼくらは他者の過去を生きていて
他者はぼくらの未来を生きているのか!?😳😳😳
56億7000万年後にやって来ると云われる弥勒菩薩、56億7,000万という数字は3次元的感覚の時間表現。弥勒菩薩がやって来るのも生成の「間」の世界からであろう。そこはぼくらの時間感覚では測れないトキトコロなのだ。もしかすると既に弥勒世は噴き出して来てるのかもしれないのだ。
ふぅ💦ふぅ💦ふぅ💦
ヌーソロジーサロンにおける「時間」の学びを記事にさせてもらいました。インプットしたてのアウトプット😆🙏💫いつもに増してわかりにくかったのではないでしょうか〜😬💦💦💦
🌟幅的平面画面の現在〈3次元〉
🌟それを包む円環する持続時間、純粋記憶〈4次元〉モノ(空:くう)の中。
🌟さらにそれを包括し生成する高次の精神的宇宙、魂の霊の交わりの世界〈5次元〉
モノの中(空:くう)から出て更に先へ行ったところ。
🌟そして、交わりからモノが生成されてくるさらなる高次元。ここをぼくは《未来》と書きましたがドゥルーズ、それを研究した後に続いた哲学者達もはっきりとしないところのようです。
自分が生きている宇宙が自己と他者のメビウスの輪だということともに時間というものも多少なりともイメージ出来てきましたが、さらに理解を深めていきたいと思います💫💫💫
空間認識の反転
時間認識の反転
まだまだ学ぶべき事、やるべき事は多いようです。
時間や自分という存在、そしてこの世界、宇宙を考えることはいと楽しき!
西洋哲学シリーズこれにて終了。
こんがらかった頭に甘く切ない恋の結末を
お口直しにどうぞ♪♪
AYAさん宜しくお願いいたします✨
(ぼくの記事と違ってサクッと読めます)
始まらなかった恋は決して終わることのない恋なのか!?死と記憶にまつわる恋物語〜!!
第一話から読みたい方はこちらから✨
追記
ぼたん師匠🐦のお言葉🐦
新たな時間概念の獲得は新しい自己認識の獲得!
過去現在未来の横軸で生きるか
円環する持続で生きるのか
生成の時間まで意識・純粋思考を拡げていくかはぼくら次第!
「時は金なり」から
「時は吾なり」への
変換を!!
最終イメージはコメダシロノワールとともに!🤤
以上です!💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫
ナマステ✨🐉🐉🐉🐉✨
参考💫💫💫
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