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最近の作品に共通する人間の浅ましさ、ドーナツはその象徴 湊かなえ/「カケラ」

ある少女の自殺。その自殺の背景とは。彼女をとりまく人たちが、一人語りをすることで徐々に浮かび上がってくる、少女の像。最後に明かされるその真相があまりにも衝撃すぎて、眠れなくなった。やっと眠れたのは朝方。外はようよう白くなりゆく。


先日の王様のブランチで、ネタバレすれっすれで紹介されていた本作品。湊さんもリモートで出演されており、この作品についての想いを語っておられました。
本中に何度も出てくる、ドーナツ。それは、真ん中が空洞になっているという珍しい形状から、比喩にも使われることが多い。ドーナツ化現象、とかね。この作品においても、ドーナツは「甘くて美味しい」以外の意味合いを持つ。王様のブランチで湊さんは「人間が誰かを見る時、その誰かの表面しか見ていない。中心の部分を見ていない。ドーナツはその象徴である」と、そうおっしゃっていた。

「流浪の月」


を読んだ時にもそうだったのだけれど、人は、一部の情報やその人の見た目から、勝手にイメージを切り貼りして、物事の、事件の全体像を作り上げてしまう。
今回、こんな出だしから始まる。
“田舎町に住む女の子が、大量のドーナツに囲まれて自殺したらしい。モデルみたいな美少女だとか。いや、わたしは学校一のデブだったと聞いたけど―”。
作品が美容整形をテーマとしていることは帯を見ればわかる。なので読者に、「ははーん、きっと体型にコンプレックスを持った女の子が美容整形を行ったものの、完成したその見た目に納得がいかず、さらには罪悪感まで芽生えてしまって自殺を図ったのでは」と、そんなイメージを与える。いや、あくまでわたしがこの作品を手に取った瞬間の、安直なイメージであることを認める。にしても安直すぎる。

そして本作品を読み終えたタイミングで、ビリー・アイリッシュの、ボディーシェイマー(わたしは初めて知った言葉でしたが、「他人の体を中傷する人」という意味だそうです)に対する「Not My Responsibility(私の責任ではない)」というメッセージ動画のことを知った。



こちらの記事には、動画だけでなく日本語訳もついているので、動画だけでなく歌詞の方も、是非見ていただきたい。
この曲やメッセージが、本作品とまるっきし重なったわけでは、もちろんない。


けれど、太っているというだけで「自分で自分のことを管理できない人」というレッテルを貼られ、なぜか見下されていい対象になることがある。それによって、太っている側は口を閉ざし、見下した側だけが饒舌になり、それは傍から見れば「太っている側が何も言えないのは見下した側の言っていることを否定しないからだ」ということになり、結局は見下した側の言っていることが事実となってしまう。
そんな構造に、この曲はもの申してくれていて、作中に出てくる人に聞かせてあげることができたらな、とそんな風に思ったわけで。
ただ、普段わたしたちが無意識にしている決めつけや視野狭窄を払拭してくれる、という点では「Not My Responsiblity」も「カケラ」もおんなじだ。

本を読んでいると時折、こうした奇妙な偶然があったりして、ものすっっっごく刺激を受ける。
そしてこんな風に、誰かに話したくなる。

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