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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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#パウロ

イエスとパウロの奇蹟

イエスとパウロの奇蹟

神の子なら自分を救え。十字架から降りて来い。
 
怒号の群衆が、死に瀕した者に言葉の鞭を打つ。イエスが神なら、降りてくるくらいは簡単なことのはず。ひとつの理屈が通っている。だが、イエスは降りなかった。降りられなかった。神の子である故に、である。キリスト者ならば、神を弁護することとは無関係に、その意味を知っている。それが信仰というものである。
 
だから、それをここで言葉で説明しようとは思わない。何

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救いの体験

救いの体験

妻が、新しい教会で転入会の「証詞」をしたとき、何人かの人から珍しがられたのだという。「そんなはっきりとした救いの経験があるなんて……」のように。私もたぶんそう見られたのだろう。というのは、その教会で、自分はこんなところから救われたのだ、という話を聞く機会が、あまりないからだ。
 
例外はもちろんある。ある人は、自分の若いときの体験談をきちんと話す。いまでも若いうちだが、一人の牧師である。この人は、

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サウル・サウロ・パウロ

サウル・サウロ・パウロ

【アーカイブ】2018年8月19日
 
使徒言行録9章には「サウロの回心」というタイトルが、新共同訳には付けられています。漢字の書き取りテストならば「改心」が一般的ですが、ここでは「回心」です。心を入れ替えるという一般的な意味の「改心」ではなく、神に出会い、心の向きが180度転換する体験は「回心」と表現します。
 
この章には、興味深い訳し方が見られます。
 
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、

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教会への思い

教会への思い

教会に文句を言ってはならない、という人もいる。特に牧会している立場からすれば、それは極悪のように感じるかもしれない。理念としてはそうである。ただ、組織としての教会は完全なものではないのだから、それに対してものが言いづらい人たちの代わりにと思い、私は、言うべきことがあれば言いたいと思っている。
 
また、教会組織に属するが故に、気づかないような問題点には、気づいた者が指摘する義務があると考えている。

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アドベントを迎えて

アドベントを迎えて

伝統的に「待降節」という語が温かい。12月というよりも、クリスマスまでのひとときという意味で迎えてもよいかと思う。クリスマス礼拝までの四回の礼拝は、クリスマスを待つという意味を濃くしたプログラムや説教を、教会は用意するのが普通である。「アドベント」は「アドベンチャー」という語にも関係する語で、あるところに向かってやってくる、到着する、そうした意味合いをもつ言葉になる。「アドベンチャー」だと、未来の

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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

パウロは、イエスに出会ったあの回心以前、愛を知っていただろうか。
 
テレビ放映された「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の特別編終版を観た。福岡では放送されなかったテレビ版の一部をコンパクトにまとめたものである。
 
これの劇場版は、京都アニメーション放火殺人事件により上映が難しいとされていたが、事件50日後に、スタッフの生きた証しとして3週間限定で上映されている。事件の前日に完成したという、そ

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キャッチボール

キャッチボール

キャッチボールをする親子を、昔は時折見かけた。だが、いま見ることがない。昔はありきたりだった風景も、時と共に見られなくなり、それに伴い、生活様式だけでなく、考え方や文化まで変わってしまうという法則をここにも感じる。
 
そもそも、キャッチボールができる「広場」がなくなった。整備して設置された「公園」は、決まって「キャッチボール禁止」である。できる場所が身近にあるというのは、特権的な価値があるといっ

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