マガジンのカバー画像

ショートメッセージ

614
聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
運営しているクリエイター

#信仰

真実な言葉の裏

真実な言葉の裏

テトス3:1-11 
 
「この言葉は真実です」(8)が強く響きます。この言葉は信じられる、と言い切っています。清々しいものがあります。テトスへの手紙が、信仰者へ、特に伝道者へ向けてのマニュアルのような役割を果たすとすれば、伝道をするべく立てられた専門家はもちろんのこと、信じる者すべてに、このメッセージが刻み込まれていなければなりません。
 
「これらのことを力強く主張するように願っています」とあ

もっとみる
信仰深そうに見せていても

信仰深そうに見せていても

ホセア6:1-6 
 
「さあ、我々は主のもとに帰ろう」と聞くと、主に対して誠実な民の声のようです。主は癒やし、包んでくださるという信頼が、ここにあります。「主は主は二日の後に我々を生き返らせ三日目に起き上がらせてくださる」とは、イエスの復活を預言しているかのようではありませんか。イスラエルは確かに、主に背く姿勢を見せていました。
 
しかし、主を覚え、主が立ち直らせてくださると信じていることを表

もっとみる
共に苦闘するパウロ

共に苦闘するパウロ

フィリピ1:27-30 
 
私は今にも殺されるかもしれない。だが、できれば、もうしばらく生きていたい。生きてあなたがたに会いたい。こんなパウロの心の揺れを吐露するような文面が見えます。その後、視点をフィリピ教会の人々へと移します。教会も、また苦しいではないか。敵によって苦しめられているではないか。だが、その苦しみすら、神から与えられているのだ。
 
私たちは他人に対して、このような言い方をすべき

もっとみる
信じる故の勇気

信じる故の勇気

ヨハネ16:25-33 
 
「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」とイエスが言います。その「時」とはいつのことでしょう。誰の、どんな時なのでしょう。これを読む私たちにとっても、まだその「時」は来ていないのでしょうか。だったら、私たちに神のすべてが明らかになっているはずがない、というのも当たり前でしょうか。
 
ところが、イエスの十字架と復活の時を、ここでは指しているように見

もっとみる
信仰の段階

信仰の段階

ヨハネ20:1-10 
 
この場面には3人の人物が登場します。マグダラのマリアが、まずイエスの墓へ向かいます。主イエスを愛し慕う気持ちが、会いに行きます。しかし主はいません。墓の蓋の石が取り除けてあることそのものに驚嘆していた、他の福音書とは異なります。そもそも福音書という文学形式は物語ではありませんし、単なる記録書や歴史書でもありません。
 
福音書は、読者の身と心に起こる出来事なのです。マリ

もっとみる
歩むべき道を教えてください

歩むべき道を教えてください

詩編143:7-12 
 
143編は、いつ見ても、かつての大きな闘いを思い起こさせます。自分の思いで動くことはよくない。この詩の指し示すままに、私たちは身を委ねていました。「歩むべき道を知らせてください」と主に魂を向けていました。「御旨を行うすべを教えてください」と叫んでいました。しかし、このダビデの名が付せられている詩は、もっと悲惨です。
 
「私の霊は絶え果てました」とまで追い詰められている

もっとみる
キリスト賛歌と復活

キリスト賛歌と復活

フィリピ2:6-11 
 
「~しなさい」という形で勧めることの多かった、パウロの口調が変わります。聖書協会共同訳では、ここが詩のような形になるようにセットされています。特別に目立たせる効果があります。「キリストは」で始まるこの一連の教義的な内容は、「キリスト賛歌」と呼ばれることがあります。信仰が実に美しくまとめられているものだと驚きます。
 
イエス自身は、もちろんこのことを口に上らせることはあ

もっとみる
苦難の中から見上げるところに

苦難の中から見上げるところに

哀歌3:20-27 
 
思い起こすと悔しくなることがあるでしょう。一方、思い起こす、ということ自体が、それが過去のことであることを示している、とも考えられます。いまその渦中にあるのではない、という情況であることになります。もちろん、過去のその影響は確かにあるでしょう。あのことさえなかったら、という後悔の気持ちが自分を縛っているかもしれません。
 
思い出はそこにあり、それをどう受け止めるか、とい

もっとみる
王の信仰

王の信仰

創世記41:47-49 
 
ヨセフが王の夢の意味を解きました。その伏線は、子どものころのエピソードにもあります。それが巡り巡って、エジプトの宰相となってからも発揮させることとなりました。ファラオとはエジプトの王のことですが、王が奇妙な夢を見ました。それが気になり、夢の意味を誰か解く者はいないかと探したところ、ヨセフが見つかったのです。
 
その辺りのドラマの展開は、どうぞ創世記を直にご覧ください

もっとみる
信仰による義について

信仰による義について

ローマ4:13-25 
 
パウロは、アブラハムの例を引きます。ローマに住む人々への手紙ですが、ユダヤ文化を前提としています。アブラハムの子孫は世界の相続人になるという約束がありました。アブラムが主を信じ、それがその義と認められたというのです。人間のしたこと、つまり律法に従ったからそうなった、とするのなら、なんと空しいことか。パウロが言います。
 
確かに律法は、人間がそれに従えないことを思い知ら

もっとみる
主を待ち望む者の永遠の命

主を待ち望む者の永遠の命

ハバクク2:1-4 
 
主はなかなか答えてくれません。救ってほしいのに、主からは何の応答もないのです。こんなに世は狂っているのに、正義が果たされていないのに。でも、ハバククは主を待っています。神は必ず結果を用意してくださっている、と。思えば、クリスチャンの心境というものは、しばしばこういうものであるのかもしれません。いつまで待てばよいのか。
 
ただ、その時を用いるのは主であって、この私ではあり

もっとみる
屈しない信仰

屈しない信仰

申命記7:6-8 
 
カナンの地には、数が多くて力の強い七つの国民がいました。申命記の主は、彼らとの共存を図ることはありませんでした。必ず滅ぼし尽くさなくてはならない、としたのです。イスラエルは、彼らと比べれば弱小な民族にすぎません。だから、亡ぶのだ、という理屈ではありません。強い国々の神々に仕えるようになることが、最大の懸念なのでした。
 
そのため、他の神々の信仰の像や礼拝所を滅することが要

もっとみる
悪者が栄えてよいだろうか

悪者が栄えてよいだろうか

エレミヤ12:1-3 
 
主が正しいことは承知の上で、エレミヤは挑みます。それでも主と語りたい、と。悪しき者が安穏としていられるのは何故なのでしょう。どうしてこの世に悪が栄え、悪者が笑っていられるのでしょう。それは、義を求める者にとっては、ただの疑問であるだけではありません。まず憤りの対象であるのです。
 
エレミヤは決起逸り、主に噛みつくように迫ります。神が存在するなら、どうして世界に災いが起

もっとみる
三人の宣言

三人の宣言

ダニエル3:16-18 
 
バビロンの王ネブカドネツァルに仕えることになった、四人のユダヤ人の若者がいました。伝説的に活躍したダニエルの他、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの三人です。ダニエルはベルテシャツァルという異国名を与えられましたが、この名でその後本書が彼を呼ぶことはありません。しかし、他の三人については記者は異国名で記します。
 
それぞれシャドラク、メシャク、そしてアベド・ネゴという名

もっとみる