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歩むべき道を教えてください

詩編143:7-12 
 
143編は、いつ見ても、かつての大きな闘いを思い起こさせます。自分の思いで動くことはよくない。この詩の指し示すままに、私たちは身を委ねていました。「歩むべき道を知らせてください」と主に魂を向けていました。「御旨を行うすべを教えてください」と叫んでいました。しかし、このダビデの名が付せられている詩は、もっと悲惨です。
 
「私の霊は絶え果てました」とまで追い詰められているのです。これが本当にダビデの詩なのでしょうか。ダビデは、何があっても主に望みを置く人ではなかったのでしょうか。霊が絶え果てた、とまで口走ったのは、どうにも信じられません。「墓穴に下る者のように」なった、と漏らすことを、ダビデが果たして本当にしたのでしょうか。
 
けれども、ダビデは復活を知っていました。「私はあなたに信頼しています」と直後に言い切ったからです。「あなたのもとに私は逃れます」と宣言し、「あなたは私の神です」と告白しています。やはりこれは、主へ心が結びついていた、あのダビデの信仰と信頼だと思います。「あなたの名のゆえに、私を生かし」てください、と願っています。
 
それは、いま死んでいるから生かしてください、という意味ではありません。この願いが、神によって立てられた以上、すでに命が与えられていることになります。但し、絶え果てた霊という言い方もしていましたから、ある意味でダビデは、心が折れて魂の死を経験した、とも言えるでしょう。つまり、死を経て、また命に与ったのです。
 
巨人に対抗した少年ダビデのあの勇ましい信仰が、そのまま大人へと成長したとは考えられません。サウルに追わわれて気が滅入っていたこともあったでしょう。息子アブシャロムにより王宮を追われ、惨めな思いもしました。でも、その苦しみがあったからこそ、その次に主から生かされる道が備えられていた、というのもまた事実なのです。

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