Yoshikazu Tatemoto

Pianist. "私が私で在り、あなたがあなたで在る"その中心…

Yoshikazu Tatemoto

Pianist. "私が私で在り、あなたがあなたで在る"その中心で、"全て"と向き合いながら感じたことを記しています。

記事一覧

夢をみたあとの切なさ

夢をみた。 小さい頃、学生の頃くらいに 家族とご飯を食べているイメージ。 目が覚めた直後は、夢の記憶が鮮明で 懐かしさ、切なさが込み上げる。 昔に戻りたいと思った…

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身を削ることと、自分を満たすことについて 4/4

らを削り合う行為は 物質的で、目に見えやすく 自らの満たされたエネルギーが 自然と全てを支えているという動きは 素粒子的で、みえにくい。 (それを感じる為に繊細であ…

身を削ることと、自分を満たすことについて 3/4

だから、「何かの為に何かを しなくちゃいけないんじゃないかって思う」 その気持ち、「〜せねば。〜すべき。」で 絶対身を削る必要はないということ。 自分自身が既に満…

身を削ることと、自分を満たすことについて 2/4

何をするにも、その中心に そのままの自らを認め、ゆるす意識と 肯定して信頼する意識を持つことで 自分自身が存在しているだけで、既に 満たされた存在だということに気…

身を削ることと、自分を満たすことについて 1/4

身を削って 誰かの為に何かをすると 削り合いながら エネルギーを補填し合う流れが 生まれる。 補填が出来たとしても 前回を上回る削り方で また誰かの為に何かをする。 …

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その人にとって尊いもの

出来るか出来ないかじゃなくて 成れるか成れないかじゃなくて 持ってるか持ってないかじゃなくて 正しいか間違ってるかじゃなくて ありのままのその人が その人の素直な…

天籟

「音が鳴っていない時も"音"がある」 それを意識している時期があったのを ふと思い出した。 中国の古典『壮子』斉物論篇という書物?には 「天籟」(てんらい)という言葉…

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好きと嫌いの真ん中に立つ。

好きだからといって、それは それ以外の存在の否定にはならない。 それは、好きを肯定しているだけ。 それは、嫌いを肯定しているだけ。 好きと嫌いの真ん中に立っている…

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豊かさを感じる視点

最近、ダイエットのために通ってる 公園の遊歩道を歩いていた時 僕の近くを歩いていた高齢の男性の方が もう1人の男性の方(おそらくご友人)と ウォーキングをしながら 「…

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あなたがあなたの心を動かしている。

嬉しい、悲しい、楽しい、つらい。 それらは全て、あなたの心が生み出す。 ⁡ 例えば、ピアノの音・演奏が あなたの心を動かしているようで ⁡ 実はあなたが、あなたの心か…

音楽は"感情をゆるす"こと

音楽は、色んな感情を 分け隔て無く、素直に表現できる。 ⁡ 旋律に乗せて。 歌詞に乗せて。 ⁡ それは 言葉で話し合う時のような ダイレクトな感覚ではなくて ⁡ 音楽とい…

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闇さえも、光。

闇が深いほど、光はより純度を高め より小さく、より強く光る。 何故闇が見えるのか。 それはあなたが光だから。 決して消えることのない、その光は どんな場所でも必ず…

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本当のきもちを伝える。

自分の中にある本当のきもちを伝える。 そうすることで、より自分自身に合う環境がみえてくる。 ただ、本当のきもちを伝える時でさえ それを"言ってはいけない"というルー…

意識するから、現れる。

冷静に考えれば ごく自然なことなのかもしれないけど ピアノを弾いている時に 自分自身がイメージする音になるよう 様々な角度から意識をすると なんでもない時に 「あれ…

認めるから、手放せる。

自分が嫌だと思うことを手放すには それが在ることを認めることで 手放すことができる。 それを認めないということは それは"得体の知れないもの" 得体の知れないものな…

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奇跡や偶然

奇跡や偶然が沢山起きてきて それに沢山気づけるようになった時 それでも、そのひとつ1つを 新鮮に感じながら、ありがとうと思い まるで生まれたてのように 沢山の人と…

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夢をみたあとの切なさ

夢をみたあとの切なさ

夢をみた。

小さい頃、学生の頃くらいに
家族とご飯を食べているイメージ。

目が覚めた直後は、夢の記憶が鮮明で
懐かしさ、切なさが込み上げる。

昔に戻りたいと思ったけど、時は戻らない。
だけど、その尊さは、今この瞬間にもある。

当時と全く同じ実体験をすることは出来ないけど
その当時味わった感覚は、今ここにも常にあるのだ。

今日の出来事もまた
明日、来年、数十年後になれば
懐かしく、切なく尊

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身を削ることと、自分を満たすことについて 4/4

身を削ることと、自分を満たすことについて 4/4

らを削り合う行為は
物質的で、目に見えやすく

自らの満たされたエネルギーが
自然と全てを支えているという動きは
素粒子的で、みえにくい。

(それを感じる為に繊細であること、自分自身がシンプルな状態であることでそれがみえてくる。瞑想・ワンネス・マインドフルネス等)

身を削ることと、自分を満たすことについて 3/4

身を削ることと、自分を満たすことについて 3/4

だから、「何かの為に何かを
しなくちゃいけないんじゃないかって思う」
その気持ち、「〜せねば。〜すべき。」で
絶対身を削る必要はないということ。

自分自身が既に満たされていることを
気付いたり、感じたりする為に

まずは第一に、自分が安心する生き方を
自分自身に全力でしてあげること。

例えどんなに、身を削りたくなっても
そういう自分自身さえも在っていいんだと
全部の自分を肯定していい。
矛盾さ

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身を削ることと、自分を満たすことについて 2/4

身を削ることと、自分を満たすことについて 2/4

何をするにも、その中心に
そのままの自らを認め、ゆるす意識と
肯定して信頼する意識を持つことで

自分自身が存在しているだけで、既に
満たされた存在だということに気付いていく。

この満たされたエネルギーが
勝手に溢れ出る、その時に初めて

それが自然と人の為になり、支えになり
全体でみると、"増えていく補填"になる。

身を削ることと、自分を満たすことについて 1/4

身を削ることと、自分を満たすことについて 1/4

身を削って
誰かの為に何かをすると

削り合いながら
エネルギーを補填し合う流れが
生まれる。

補填が出来たとしても
前回を上回る削り方で
また誰かの為に何かをする。

それは、補填して増えているようで
全体でみると減っていく、つまり

矛盾するようだけれど
"減っていく補填"になるのだと思う。

その人にとって尊いもの

その人にとって尊いもの

出来るか出来ないかじゃなくて
成れるか成れないかじゃなくて

持ってるか持ってないかじゃなくて
正しいか間違ってるかじゃなくて

ありのままのその人が
その人の素直な気持ちで
これだ!と決めて選択すること、

この意志のカタチそのものが
1番大切だと思う。

それが、他人からどんな風にみえても
それはその人にとって尊いもので
最高最善な意味がある。

それに振り切ることで
それが、その人にとって一

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天籟

天籟

「音が鳴っていない時も"音"がある」

それを意識している時期があったのを
ふと思い出した。

中国の古典『壮子』斉物論篇という書物?には
「天籟」(てんらい)という言葉があるらしく

「地籟は地上の穴が和して発する音楽、
人籟は人が楽器で奏でる音楽。
天籟とは、人籟、地籟を超えた宇宙の音楽で、
地球上の万物があるがままに調和している姿。」

という意味らしい。

この「天籟」という言葉を知ったの

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好きと嫌いの真ん中に立つ。

好きだからといって、それは
それ以外の存在の否定にはならない。

それは、好きを肯定しているだけ。
それは、嫌いを肯定しているだけ。

好きと嫌いの真ん中に立っているだけ。

豊かさを感じる視点

最近、ダイエットのために通ってる
公園の遊歩道を歩いていた時

僕の近くを歩いていた高齢の男性の方が
もう1人の男性の方(おそらくご友人)と
ウォーキングをしながら

「この道は草木はあるし、鳥は居るし
色んな出会いがあって
本当に素晴らしいところです」

的なことを話していて
良いこと言うなあ〜、と思い
微笑みながら歩いていた。

その男性は、ウォーキングする中でも
脇道で止まって、いつも鳥と会

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あなたがあなたの心を動かしている。

あなたがあなたの心を動かしている。

嬉しい、悲しい、楽しい、つらい。
それらは全て、あなたの心が生み出す。

例えば、ピアノの音・演奏が
あなたの心を動かしているようで

実はあなたが、あなたの心から
エネルギーを生み出して
あなたの心を動かしている。



あなたがあなたを感動させている。
それがあなたにとっての素敵な世界を
更に生み出していく。

ピアノの音に依存しなくても
あなたは、その大切なエネルギー全てを
常に

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音楽は"感情をゆるす"こと

音楽は"感情をゆるす"こと

音楽は、色んな感情を
分け隔て無く、素直に表現できる。

旋律に乗せて。
歌詞に乗せて。

それは
言葉で話し合う時のような
ダイレクトな感覚ではなくて

音楽という衣に包まれて
周囲に自然と伝わる感覚。

これを
言葉で話し合う時の感覚に
置き換えた時

音楽は
"感情をゆるす"という感覚に
置き換えられるのだと思う。



「どんな感情でも
自分の中にあっていいんだよ」
と、感

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闇さえも、光。

闇さえも、光。

闇が深いほど、光はより純度を高め
より小さく、より強く光る。

何故闇が見えるのか。
それはあなたが光だから。

決して消えることのない、その光は
どんな場所でも必ず輝き続ける。

そして、いつしか
光と真正面から向き合い、溶け合う時
闇さえも、光なのだと気付いていく。

本当のきもちを伝える。

本当のきもちを伝える。

自分の中にある本当のきもちを伝える。
そうすることで、より自分自身に合う環境がみえてくる。

ただ、本当のきもちを伝える時でさえ
それを"言ってはいけない"というルールが
自分の中に存在している場合がある。

「相手に迷惑をかけるかもしれない。
傷つけるかもしれない。嫌われるかもしれない。」

本当のきもちを伝えたとしても
そのルールに気づかない限りは
本当のきもちが伝わらない状況が
何度も目の前

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意識するから、現れる。

意識するから、現れる。

冷静に考えれば
ごく自然なことなのかもしれないけど

ピアノを弾いている時に
自分自身がイメージする音になるよう
様々な角度から意識をすると

なんでもない時に
「あれ、弾ける」と感じる時がある。

意識・イメージが常に先にあって
それを続ければ、その次に必ず
それが実現する。

意識より先に、ピアノが向こう側から勝手にやってきて
「弾けるようにしてやるよ」なんて言いながら寄ってはこないし

そも

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認めるから、手放せる。

認めるから、手放せる。

自分が嫌だと思うことを手放すには
それが在ることを認めることで
手放すことができる。

それを認めないということは
それは"得体の知れないもの"

得体の知れないものなのだから
それに何かをしようとしても
どうすることもできない。

それを認めるからこそ
カタチがはっきりみえる。

だから
それを選ぶのか選ばないのかを
明確に選択出来る。

奇跡や偶然

奇跡や偶然

奇跡や偶然が沢山起きてきて
それに沢山気づけるようになった時

それでも、そのひとつ1つを
新鮮に感じながら、ありがとうと思い

まるで生まれたてのように
沢山の人と、それを喜び合い

その瞬間のために
少しでも足を止め
真っ直ぐ向き合い

それを感じることに
めいいっぱい生きる在り方を
私は選んでいこうと思う。