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衣装をめぐる旅|イヌイットのパーカとまあるい世界観|北海道北方民族博物館

服をつくる仕事をしていて、旅と衣装と博物館をこよなく愛すわたしが、旅先の博物館でまたまた素敵な衣装に出会いました。

イヌイト(イヌイット)「パーカ」と呼ばれる防寒着です。

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 1979年

かわいすぎませんか、これ。なんと背中のフードに赤ちゃんを入れておんぶできるのです。ほっこり。

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 1979年
皮で作られたパーカ(部分) カリブー・イヌイト女性用衣装

イヌイト(イヌイット)とは

イヌイットとは、カナダやグリーンランドなどの極北地域にすむアジア系の人びとのことです。以前はエスキモーという名前で呼ばれていましたが、民族集団はその集団の自称で呼ぶべきという考えが浸透し、いまは彼らの言語であるイヌクティトウット語で「人々」を意味する「イヌイット」と呼ばれています(注1)。

しかし、文献や研究者によっては、生活する国や地域、そして言語によって「エスキモー」と「イヌイット」を分けるべき、という考えもあります(注2)。また、極北地域すべての民族をさす場合に言語学や考古学では「エスキモー」と呼ぶ場合もあるそうです(注3)。ですのでこの記事では、基本はイヌイットと呼び、文献からの引用文は引用先の文献や展示資料に準ずる形で表記することにします。

注1:岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
注2:アーネスト・バーチJr『図説 エスキモー民族誌』原書房、1991年
注3:リベラルアーツガイド https://liberal-arts-guide.com/inuit/  

イヌイトの防寒着、パーカ

かつてイヌイットの女たちの仕事は、きびしい寒さから身を守るための衣服を作ることだったそうです。北極の衣服を代表するのが、パーカと言われる防寒着です。

パーカはフード付きの毛皮の上着で、対になる内着と外着を重ねて着る防寒着です。外気に接する外着は、食用の肉をきれいにそぎとった後の毛皮をそのまま使います。

岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
皮で作られたパーカ(部分) カリブー・イヌイト女性用衣装

イヌイットの人びとにとって、パーカをデザインしたり作ったりすることは、極寒から家族の身を守り、生きていく上でどうしても必要なことだったそうです。服の手入れをおこたると、命の危険にさらされることにもなるからなのです。

エスキモーが住む極北地帯全体の気候を表現するには、「寒い」というよりも「酷寒」と言ったほうが正確であろう。(中略)こうした極地の気象条件により、人からも動物からも、生命を維持するのに必要な体温が奪われる。(中略)そこで、衣服は寒さから身を守るもっとも基本的な対応であった。

アーネスト・バーチJr『図説 エスキモー民族誌』原書房、1991年

「衣」「食」「住」と言いますが、まさに「衣」がいのちに深く関わっているのですね。

こちらはアザラシの腸でつくったパーカです。パッと見は今の防水パーカーのような感じですが、腸を開いて縫い繋いであります。

イヌイトのパーカ(腸整衣)

すごく細かい目でしっかりと縫われていました。縫うのがものすごく大変そうです。でもこれをおこたると水が入ってきて凍えてしまうのですから、責任重大です。服の仕立てや手入れが命に直結する…。ああ、どうしよう。責任が重すぎる。(作れと言われているわけでもないのになにを焦ってるんだ、わたしは)

(いつなんどき、たとえば無人島に行くことになってもサバイバルできるように心のなかで準備しておくことが大事なんです。無人島で生きるためにわたしが集団に貢献できる方法があるとするならば、おそらく「衣」をつくることしかないだろうからです)

パーカ イヌイト カナダ アザラシの腸製衣

それはともかく、動物の皮で毛皮付きのパーカを作るのはやはり相当大変な作業だったようで、「こんなにつらい仕事が続くなら、わたしはいっそ海の魚になってしまいたい」という、皮で衣服を仕立てる針仕事のつらさを嘆くイヌイットの歌もあるそうです。うう。そんなに…。

近年になってパーカは、ダッフル地や防水加工のされたキャンバス地などで作られるようになったそうです。ほっ。

そうした衣類にはまた、色とりどりのフェルトで、北極に住む動物や、ツンドラに咲く小さなコケの花などがアップリケされています。
この、皮に変わる新しい素材で作ったパーカは、世界一暖かい防寒着として、北アメリカやカナダに住む人、観光などで「北」を訪れる人々に愛用されています。

岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
「女性用衣服」エスキモーポイント/アルヴィアト 1975年頃
「女性用衣服」エスキモーポイント/アルヴィアト 1975年頃

そのパーカを作って残った色とりどりの端きれを使って、イヌイトの人たちは美しい布絵作りをこころみるようになったそうです。

イヌイトの壁掛け

その壁掛けを集めた特別展『イヌイトの壁掛けと先住民アート』が北海道立北方民族博物館で開催されていました。

特別展『イヌイトの壁掛けと先住民アート』2022.7.16ー10.16
北海道立北方民族博物館

もともと常設展を目的に訪れたので、この特別展はどちらかというと「ついでに」と言った感じだったのですが、これがもうめちゃくちゃ良くて、思わず時間を忘れるほどに熱心に見てしまいました。

作品を見ることでイヌイトの防寒服「パーカ」についてものすごく良く理解できましたし、それだけでなく、イヌイトの人びとの暮らしや世界観までもが生き生きと伝わってきたのです。ああ、生活に密着した「手しごと」って素晴らしいなと、あらためて感じることのできる素敵な展示でした。

『たのしい氷の家』カルリクサク ベイカーレイク/カマニトゥアク


特別展『イヌイトの壁掛けと先住民アート』

『ベイカーレイクのワッペン』M=キルラーク ベイカーレイク/カマニトゥアク

これらのなんともほのぼのとしたフェルトの作品が、イヌイトの壁掛け作品たちです。「ベイカーレイク」とはイヌイットがたくさん住む土地の名前です。彼らの言葉ではカマニトゥアクと言います。

『べイカーレイクのワッペン』M=キルラーク ベイカーレイク/カマニトゥアク

これらの作品に魅せられたイヌイトアートコレクターの岩崎昌子氏が、壁掛けの収集を始めたのは1970年ごろのことなのだとか。そしてこのコレクションのうち70点が北海道立北方民族博物館に収蔵されているそうです。

それでは作品を見てみましょう。

『ツンドラの夏』エヴァ=カグユト ホルマン/ウルクハクトク 

『ツンドラの夏』エヴァ=カグユト ホルマン/ウルクハクトク 1990年

短い北極の夏、ツンドラに繰り広げられるイヌイットと動物たちの暮らし。狩猟の様子や、生活の様子が伝わってくる作品です。

『ツンドラの夏』エヴァ=カグユト ホルマン/ウルクハクトク 1990年

すみずみまでていねいに表現されています。暮らしのようすが伝わってくる作品です。とことこ歩く子供のパーカ姿がかわいい。

イヌイトの壁掛けにみる「パーカづくり」

『ぼくのパーカはいつ出来るの』パウリナ=ウルルクシク=コリト

『ぼくのパーカはいつ出来るの』パウリナ=ウルルクシク=コリト ランキンインレット/カンギクリニク

これで、パーカがどんなパーツでできているかわかりますね。ふむふむ。

『ぼくのパーカはいつ出来るの』パウリナ=ウルルクシク=コリト ランキンインレット/カンギクリニク

ぼくのパーカ、頑張って作ってるからちょっと待ってな〜と、坊やに言いたくなるほのぼのした作品です。

「パーカつくるの大変やねん。アザラシの皮を噛んでなめして、骨の針で縫い合わせなあかんねん、だからちょっと待っといたってな」なぜか急に関西弁。

『ぼくのパーカはいつ出来るの』パウリナ=ウルルクシク=コリト ランキンインレット/カンギクリニク

いや〜、細かいところまで可愛い!

『女の人の服一式』イアウトーニ

女性用パーカ、パンツとブーツ。これが女性用の服の上下一式だそうです。パンツのウエストにカリブーの骨でつくったフックがつけられています。

『女の人の服一式』イアウトーニ

女の人の上衣は、後ろの裾が長〜いのです。これは、雪や氷の上でも座って作業ができるような工夫なのだそうです。お座布団がわりってことですね。お尻が冷たくなくていいかも。便利だな。日本でも草むしりの時とかにもいいかもしれない。

『パーカの内着』ヘレン=コネク エスキモー・ポイント/アルヴィアト

『パーカの内着』ヘレン=コネク エスキモー・ポイント/アルヴィアト

これたのしいですね! パーカの表現が素敵! ふさふさしてます。
こんなワッペン欲しいな。

『パーカの内着』ヘレン=コネク エスキモー・ポイント/アルヴィアト

後ろの裾が長いパーカの特徴が良くわかります。

パーカは、外着と内着の二枚で一組。これはその内着です。外着は氷や雪に強いように、カリブーやアザラシの毛皮でつくりますが、内着は口でなめしたカリブーの一番やわらかい皮を、ビーズや皮のフリンジ、縫取りなどで飾って仕上げます。男性用はやや短めに仕立てますが、女性用は前後に長い垂れをつけ、ゆったりと仕立てます。この垂れは、冷たい氷や岩の上で座って仕事をするときの、クッションの役目もします。

岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
『パーカの内着』ヘレン=コネク エスキモー・ポイント/アルヴィアト

服をちっちゃくつくったものってなんでもかわいいですよね。子どもの服とか、お人形さんの服とか。子どもの頃、自分の服よりもリカちゃんの服の方が欲しかったな。自分で着るよりも着せる方が好きだったんです。あ、いまもか。子どもの時からやってることいっしょだな。等身大になっただけで。

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 

冒頭でご紹介した『赤ちゃんおんぶ』です。やっぱりかわいいですよね。

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 

かつてふたりの子どもを「おんぶ」で育ててきたわたしとしては、やはりキュンとします。おんぶはすごいです。わたしもありとあらゆることをおんぶでこなしていました。しかも前がひもでバッテンになる昭和タイプのおんぶひも。家事はもちろんのこと、服もおんぶしながらつくって、ミシンもおんぶしながらかけてました。子どもが大きくなるとミシンでおんぶはちょっと大変になるけど、おんぶは最強なのです。

『赤ちゃんおんぶ』ティクラータク ベイカーレイク/カマニトゥアク 


こちらが常設展に展示してあったイヌイトのパーカの実物なんですが、

カリブー・イヌイト女性用衣装

いや、フード、ながっ!

カリブー・イヌイト女性用衣装

ながっ!

スクロール、おつかれさまでした笑。

それにしても長いですね。
「ながーーーーーーーーーーーーーーいお付き合い、京都銀行」のCMに出れそうなくらいに長いです。(関西人にしかわからないたとえですみません)

これだけ長いのは、赤ちゃんをおんぶをするからです。赤ちゃんをおんぶしてたら背中があったかいんだよね。大人も子どももあったかい。ほこほこ。

くつたちも、ほのぼの。

壁掛けで学ぶイヌイトの暮らし

次に、イヌイトの暮らしが伝わる壁掛けたち。

『大きな角をもつカリブー』メイ=ケナリク ベイカーレイク/カマニトゥアク

『大きな角をもつカリブー』メイ=ケナリク ベイカーレイク/カマニトゥアク 1991年

これがパーカの原材料にもなるカリブーなんですね。動物たちは、イヌイットの人たちにとって生きるためにとても大切なものであったことが伝わってくる作品です。人間は、その動物たちから恩恵を受けて生きている。

『夏の生活、冬の生活』アニー=ポブ ポートハリソン/イヌクジュアク

『夏の生活、冬の生活』アニー=ポブ ポートハリソン/イヌクジュアク

水鳥、アザラシの親子、カリブーを狩る人、カヤックの魚とり、外にアザラシの皮を干し、煙の立ち上るイグルー、犬ぞり。暮らしの様子が生き生きと表現されています。右下の犬ぞりに乗せられているのは北極ふくろうだそうです。

こちらがイヌイトの竪穴式住居を復元したものです。(北海道立北方民族博物館 常設展示)

屋根には流木やクジラの骨を、天窓にはアザラシの腸を使用してあります。衣食住すべて自然からの恵みなのですね。地球よ、ありがとう。

イヌイトの竪穴住居

『あざらし狩り』アリス=サキナトク=アカッマク エスキモーポイント/アルヴィアト

アップリケに皮を使ってあるものです。

『あざらし狩り』アリス=サキナトク=アカッマク エスキモーポイント/アルヴィアト 1991

『アイスフィッシング』

アイスフィッシング

フリンジの表現が見事です。

「人と動物が近い」そんな印象をこれらの皮を使った作品から受けました。そして、すべての生きものに霊魂があると考えられてきたイヌイットの人びとの世界観を感じます。

イヌイトのまあるい世界観

最後に、イヌイトのまあるい世界観を表現した2作品を紹介します。

『イヌイトのまあるい世界』 ランキンインレット/カンギクリニク

『イヌイトのまあるい世界』 ランキンインレット/カンギクリニク

あざらしやイグルー、イヌイットや水鳥などが「まあるい」世界に表現されています。

『イヌイトのまあるい世界』 ランキンインレット/カンギクリニク

彼らの世界観を支える本質的な考えは「再生」なのだそうです。生と死、夢とうつつ、始まりと終わりといった対立的なものではなく、人も動物も自然もみんなじゅんぐりに再生して、まわりまわっていくまあるい世界。

『北極の幼年時代』ノーマン=イコーミアク 

『北極の幼年時代』ノーマン=イコーミアク 

こちらも、まあるい世界を感じさせる作品です。

天には作者の想像した鳥が大きく羽をひろげています。彼自身の話によると、この鳥の頭と羽根は、カリブーの角と骨から、胴体はあざらしを写しとって創った、まったく新しい鳥なのだそうです。

岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
『北極の幼年時代』ノーマン=イコーミアク

あざらしや北極熊を取り囲む海の女神、魚を干すイヌイットのおかみさん、犬ぞり、狩人。これらの動物、人間、精霊がひとつのまあるい世界をつくりあげています。大きく羽ばたく鳥は作者の想像上のものだということですが、わたしはこの作品を見たとき、北極を中心にした地球がぱっと思い浮かびました。

白く、美しい、わたしたちのまあるい世界。

北極を中心とした世界地図

今、イヌイットは、もうイグルーには住んでいません。セントラルヒーティングのあるプレハブ住宅に住み、犬ぞりはエンジン付きのスノーモービルにとって代わりました。(中略)(衣服も)ナイロンなどの化学繊維も、生活にすっかり浸透しています。(中略)この「イヌイットの壁掛け」は、民族の誇りと郷愁を縫いとった記録であると同時に、楽しく、生命力あふれる友好のメッセージではないかと思います。

岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年

服と旅から世界を知る

今回も、旅、そして衣装から、イヌイットの暮らしと世界観を知ることができました。「衣」が「いのち」に直結していて、それがさらにこころの世界とも密接に繋がっているという事実に、わたしはいつも感動してしまいます。

そしてそこに何か、これからを豊かに生きる知恵があり、服をつくるわたしが少しでもこの美しい世界に貢献できるヒントがあるような気がしています。

まだまだ日本にはそのヒントがたくさんあるはずです。わたしはそれを、探し続けているのです。



参考文献、URL
・岩崎昌子『イヌイットの壁掛け』暮しの手帖社、平成12年
・アーネスト・バーチJr『図説 エスキモー民族誌』原書房、1991年
・リベラルアーツガイド https://liberal-arts-guide.com/inuit/ 

北海道立北方民族博物館

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