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なぜ婚礼衣裳は白なのか? 「ジャパニーズ・ウェディング展」をみて考えた

奈良県立美術館で6月19日まで開催中の「ジャパニーズ・ウェディング 日本の婚礼衣裳展」へ行ってきた。

奈良県立美術館 ジャパニーズ・ウェディング展

この「ジャパニーズ・ウェディング展」は、江戸時代から昭和初期にかけての婚礼文化を、婚礼衣裳を中心に紹介する特別展である。

わたしはウェディングドレスの制作とリメイクをなりわいとしているが、ウェディングドレスのことは知っていても、日本の婚礼衣裳のことについては案外知らないことが多い。最近英会話をはじめたこともあり、自国の文化、特に仕事に関わる婚礼文化のことは知っておきたいなと思ったのだ。

なぜ婚礼衣装は白なのか

さて、わたしはつねづね疑問に思っていた。「いつから日本の婚礼衣裳は白になったのか」と。

日本の婚礼衣裳、つまりブライダル業界でいうところの和装とは、白無垢(白い打掛)や、色打掛といった着物のことをさすが、挙式に着用するならやっぱり白無垢というイメージがある。真っ白な白無垢に、綿帽子。ウェディングドレスと同じく、婚礼衣裳=白のイメージが確立している。

白無垢:日本の昔からある花嫁衣裳で一番よく知られているものは「白無垢」という名前のきもの。一番上の着物(打掛)はもちろん、中に着ている何枚かの着物や帯も白い布でつくられ、小物もすべて真っ白なのが特徴です。

ジャパニーズウェディング 子どもガイドブックより
白無垢(昭和32年使用)と綿帽子

ところが、朝ドラなどの明治〜昭和の時代もののドラマの祝言(婚礼)のシーンを見ていると、黒や赤などの色打掛を着用していることが多い。特に朝ドラのヒロインは第二次世界大戦前に祝言を挙げることが多いので、少なくとも昭和初期ごろまでの婚礼衣裳は、白ではなく黒や赤の色打掛のほうが一般的であったと思われる。

いつごろから、どんなきっかけで婚礼衣裳=白無垢のイメージが広まったのだろう。また、日本の婚礼衣裳における「白」にはどんな意味があるのだろう。そんなことを考えながら展示をみた。

結婚の歴史

まずは結婚の歴史から。
日本の結婚は、夫が妻の元を訪れる「妻問婚」から、平安中頃になると夫が妻の実家に入る「婿入婚」となり、鎌倉時代以降に妻が夫の家に入る「嫁入婚」となった。

この妻が夫の家に入る、という結婚のスタイル。それは現代においてはどうなんだろう。最近では夫婦別姓なども問題になっていて、わたし個人は「さっさと選択制にすればいいのに」と思っている。わたしはたまたま旧姓よりも結婚した後の姓のほうが印象的になるから結婚後の姓を名乗っているけど、それは当人たちが選べるようにしたらよくない? 

そんなことを思いつつ、伝統は伝統として学ぶことにする。そういう「前提」において、婚礼衣裳やしきたりが成り立っているからだ。

例えば、白無垢のこの裾の部分。婚礼衣裳はおはしょりをせずに裾を長いままにする。(ドレスのトレーンみたいでかわいい)
この時、裾が漢字の「入」という字に見えるように着付ける。それは花嫁が夫の「家に入る」ということをあらわしているのだという。

「入」に見えるように

このことは、結婚式の現場に立ち会ったときに着付け師さんに教わった。へえ〜と思った。「家に入る」ということに対する現代人が感じる違和感は少しおいておいて、衣服に文字やことばの意味を持たせるという感覚がおもしろいと思ったのだ。

江戸時代の花嫁の着物 色直しのはじまり

江戸時代の結婚式では、「白」「赤」「黒」の打掛が順番に着られ、「三つ揃え」というセットで着用されたという。展示では何種類もの華やかな「三つ揃え」を見ることができた。

日本で結婚式が武士だけでなく町で商いをする人々にまで広まったのは、江戸時代ころから。お殿様やお金持ちの家に生まれた人たちだけの、特別な行事でした。当時書かれた結婚式の本によると、花嫁には「白」「赤」「黒」の打掛(一番上にはおる着物のこと)が1着ずつ「三つ揃え」というセットで贈られ、花嫁は何日も続く結婚式の間、これらを順番に着替えました。これが花嫁の「お色直し」のはじまりです。

ジャパニーズウェディング   子どもガイドブックより

花嫁衣裳には松竹梅や鶴亀などの吉祥(おめでたい)柄が選ばれるが、なかには「本(冊子)」の柄が織り込まれたものもあった。本にはタイトルまで刺繍で再現されていた。

これを着た花嫁は、本が好きだったのだろうか。素敵。わたしも着るなら本の柄の打掛がいいなと思う。タイトルどうしよう。好きな本ベスト3は入れたいし。村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」長いな。

色の持つ意味

江戸時代の花嫁の着た「白」「赤」「黒」の着物は、それぞれ、朝から昼の日の光、夕陽、夜と、一日の時間の流れを色で表したものだったという。色にはそれぞれの意味がある。

「白」…光に照らされ自然のままにみえる昼の様子を「しるし」と呼び、それが「しろ」という名前の由来となった。また「素木(しらき)」「素人(しろうと)」ということばでもわかるように、白(しろ)は自然のままの状態をさす。花嫁にとって結婚は「夫と新しい暮らしをはじめる、生まれ変わり」と考えられ、自然のまま(素)の状態の白の着物から結婚式を始めたと言われている。

「赤」…昼と夜を分ける夕陽の色である「あかし」という言葉が由来。昼をあらわす「白」と夜をあらわす「黒」をはっきり分ける色であったことから、お色直しにふさわしい色と考えられた。

「黒」…昼の光がなくなる「くらし」が由来となった色。暗く怖い夜のイメージから、世の中が平和になった武士の時代には威厳があり堂々としてみえる色に変わり、儀式の時の着物に使われるようになった。

衣裳の色が、自然現象とことばの意味に由来するという感性がおもしろいと感じた。

明治・大正時代の花嫁の着物

江戸時代が終わり明治時代になると近代化が進み、庶民の間でも結婚式が行われるようになっていく。このころから、花嫁が白・赤・黒の打掛を順番に着る「三つ揃い」のルールが省力化され、一度に白・赤・黒の振袖を重ね着する「三つ重ね」が登場する。

花嫁衣裳のファッション化

明治から大正・昭和と時代が進むにつれて結婚式は身近になり、それぞれの経済事情に合わせたものになった。白・赤・黒の一色のみの振袖を着用することもあった。

この頃できた百貨店が宣伝したことから「三つ重ね」の振袖が流行。花嫁衣裳のファッション化が進み、大正から昭和にかけては、黒地の振袖が花嫁衣装として人気となる。

つまり朝ドラの例でもわかるように、おそらくこのころから第二次世界大戦以前くらいまでは、黒地の着物が流行っていたのだと考えられる。

婚礼衣裳が白い理由

では白い着物が婚礼衣裳が流行ったのは戦後いつからなのか、またその理由はなんのか、今回の展示でははっきりとしたことはわからなかった。引き続き調査してみたい。しかし、いくつかの仮説を立てることができる。

  • 「白」はその言葉の由来から自然のままの状態をさし、「汚れのない」「清らかさ」をあらわしている。

  • 戦前より、すでに花嫁衣裳のファッション化が始まっていた

  • 第二次世界大戦後、急激に日本の洋装化・洋裁文化が進む

  • 美智子さまのご成婚(1959年)をきっかけに純白のウェディングドレスが普及した。(註1)

註1:立教大学社会学部 2021年度卒業論文 「ウェディングドレスから見るファッションの消費文化」より 

つまり日本に戦後、1950年代頃から白いウェディングドレスが普及したことにより、日本古来の「白」の清らかなイメージと合わさって、婚礼衣裳=白無垢というイメージが定着したのではないか、というのがわたしの仮説である。引き続き、調査したいと思う。

少なくとも、日本の婚礼衣裳の「白」というイメージは、ことばの意味からくるものであったというのは、ウェディング ドレスをなりわいとし、文芸を学ぶわたしにとって、意味深い発見だった。

はこせこや末広などの小物類もすべて白にするのが人気だそう

白いウェディングドレスが広まった理由

ちなみに西洋で白いウェディングドレスを最初に着たのは、イギリスのヴィクトリア女王だといわれている。

現在、定着している白いウェディング・ドレスが広がるのは、19世紀、繁栄の大英帝国に君臨したヴィクトリア女王(1819−1901)の結婚式がきっかけだった。(中略)彼女が着たウェディングドレスは、重いマントー・ド・クールをつけるそれまでの慣習には従わない、白いシルク・サテンにホニトン・レースが飾られた、当時流行の釣鐘型の可憐なドレスだった。

深井晃子「ウェディングドレスの変遷」文化出版局『装苑』2012年6月号32−33頁

ヴィクトリア女王の結婚式の様子は、当時発展した印刷技術により世界中に広まり、白いウェディングドレスは大ブームとなった。

ヴィクトリア女王 (2017年撮影)

一説によると、自国の繊維製品やレースを宣伝する、という意味もあったそうだ。そう考えるとヴィクトリア女王は、インフルエンサーであり凄腕のビジネスパーソンだったといえるのかもしれない。

ヴィクトリア女王像(2017年撮影)


ところで全然関係ないけれど、こういうことを調べたり書いたりするのはすごく楽しい。なんぼでもできる。ああ、好きなだけ調査したり研究したりしてみたい。わたしが学芸員課程を選択しているのはそういう理由もあるかもしれない。

白無垢の思い出

さて、ここまで書いてきて、少し個人的な話を。

じつは、わたし、自分が結婚するときに「白無垢」&「綿帽子」ついでに「文金高島田のカツラと角隠し」を身につけたことがある。

文金高島田と角隠し

白無垢と綿帽子にはそれなりに憧れていたし、それにたとえば、海外の人とかに「日本のウェディングスタイル」を説明するとき、自分が結婚したときの写真があるといいなあと思って、いちおう写真だけは撮っていたのだ。

ところが、これがまあ、まったく似合わなかった。

夫はさすが「京男」だけあって、着物を着ると「宇治の茶問屋の若旦那」風で様になっているのだが、わたしが笑っちゃうくらいに似合わなかった。ひたいと生え際のかたちが良くないのかもしれない。そういえば成人式の振袖も似合わなかった。似合わない理由ははっきりとはわからないが、世の中には着物が似合わない日本人もいるということだけはわかった。

今だったら、洋髪とかもオッケーだし、お化粧も自由だからもうちょっと似合うかもしれないなあと思うけど、とりあえず一通りやりきったということで満足している。

出来上がった写真は押入れの奥につっこんだので、もうどこにあるかよくわからない。ずいぶん経ってから、娘や息子が発見して笑ってくれたらいいなと思う。



関連note

▼論文「ウェディングドレスから見るファッションの消費文化」について

▼結婚制度に関して考えていること


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