結婚しなくてもファミリーを持つということ。 イギリス、家族の物語
「結婚をせずにファミリーを持つことは、イギリスでは当たり前なんだよ」と、エマはこともなげに言った。
イングランド中西部のエマの家に行くために、駅まで迎えに来てもらった車の中だった。へえ〜、いまだに夫婦別姓とか同性婚が問題になっている日本とは、別の時代の話みたいだなあと私はぼんやり思っていた。
実際、婚外子(※)の割合はイギリスで48.2%なのに対し、日本では2.3%とかなり低い。(2018年、OECD family database)これは日本の「結婚してから子どもを持つのが普通」という考え方や、「シングルマザーに関する社会的な補償が不十分」であることにも関係している。しかしNewsweek日本版(2017)によると、婚外子が選択肢として認められている国ほど出生率が高くなっているという。
イギリスでお好み焼き屋台のビジネスをするほど日本が大好きなエマ。彼女は日本で赤ちゃんを授かり、イギリスで子育てをすることを選択した。
この記事では、日本とイギリスを比べてどうだとかを言いたいのではない。イギリスで子育てをしている彼女の家に滞在して、わたし自身が自分の幼少期と重ね合わせながら「普通って何だろう」「家族って何だろう」と考えたきっかけを、旅の体験記として読んでもらえればと思う。
2017年7月、エマの家に3日間滞在して感じたイギリスでの子育てのこと、そして家族観について。
ファミリーを持つということ
ひさしぶりに会ったエマと、車の中で急いでお互いの近況を交換し合う。十数年前に日本に住んでいたエマと仲良くなったのは、旅と音楽がきっかけだった。当時、会社員バックパッカーだったわたしたちは、長野、岐阜、三重、高知…全国各地の野外音楽フェスによくいっしょに行っていた。90年代後半、若かった私たち。
最後にエマと日本で会ったのはわたしの息子が生後三ヶ月くらいのときだったかな。エマは日本に来ていたスウェーデン人男性と恋に落ちて赤ちゃんを授かったので、イギリスに帰って子育てをすることにしたのだ。しばらくその彼と連絡は取り合っていたみたいだけど、最初から一人で育てることを決めていたエマは、そんなことよりも猫たちをイギリスに連れて帰るにはどうしたらいいかということをしきりに心配していた。いかにも日本的な感覚で子育てをしていたわたしは、「心配すんの、そこっ!?」と、つい思ってしまった。
はじめての子育てでマンションに閉じこもり、夫以外に社会との接点が全くなかった当時の私。終わりのない(と思っていた)日々の大変さに育児ノイローゼ気味だったわたしには、エマの迷いのない決断がまぶしかった。その時エマのお腹の中にいたのがハナちゃん。日本の「花」にちなんで。息子と同い年。
その後イギリスに帰ったエマは、シングルマザーとしてハナを育て、その後地元のパブでバンピー(あだ名)に出会い、二人目の娘ソフィアが生まれる。バンピーとはいっしょに暮らしているが、結婚はしていないという。で、あの言葉になる。
「結婚をせずにファミリーを持つことは、イギリスでは当たり前なんだよ」
この、「ファミリーを持つ」という言葉を、とてもポジティブに、そしていかにもあたりまえだというように言ったのが、印象的だった。
のびのび、だけど厳しいイギリスの子育て
エマとバンピーが知り合ったパブは、川沿いにあった。水際ギリギリまで柳の木が生えている。まるでオフィーリアが浮かんでいそう。
ここは小さい頃からソフィアの遊び場でもある。パブにきていたみんながソフィアを知っていて、みんなで子どもを見ていた。(飲みながら)
大人はゆるゆる、子どもはのびのび。ここは天国なのか?
しかしエマによると、イギリスでは14歳くらいまでは子どもを絶対ひとりにしてはいけないそうだ。ちょっとでもひとりにしていたら通報されたりしてかなり厳しいという。(※2017年当時・エマ談)
子どもの自主性を尊重しながらみんなでのびのび育てるけど、押さえるところはしっかり厳しいのがイギリス。
それは子どもたちのチョイスではない
エマの家、正確にいうとエマのパートナー・バンピーの家は、丘の上の森の中にある。バンピーのファミリービジネスの会社が持っている丘(丘!?)がエマのお家。それがもうとにかく庭が広いのだ。トランポリンもプレイハウスも納屋もある。さらにはツリーハウスにすべり台もある。公園デビューする必要ないね…。
その日はソフィアの部屋を借りることに。まだ小さいのに、ちゃんと個室がある。とにかく「個」を大事にしていることがよくわかる。
次の日は雨だったので、どこにも行かず、おうちでゆっくりすることにした。森の小径を歩いて、お隣のお家へ平飼いのうみたて卵を買いに。
その卵でエマは「イギリスの典型的な朝ごはん」を私に作ってもてなしてくれた。エマはすごく気配りが細かくて、すごく気をつかってくれる。「前世は日本人だと思ってる」だって。
あ、お肉。
「あれエマ、ベジタリアンだったよね?」
と聞いたら、それは私のチョイスだけど、彼女(子ども)たちのチョイスではないから。ときっぱり。いっしょに旅をしていた時は、お肉が入っているものしかなかったら食事を抜いてしまうこともあったエマだったのに。
「子どものチョイスではない」
私の子どもの頃にはその発想はなかった。食べるものも、その他のことに関しても、「親のチョイス」に従うのがあたりまえだと思って育ってきたから。
家族をベタ褒めする
その日はずっと雨でどこへもいけなかったので、エマのパパがウェールズからやって来てくれた。エマの弟とその子どもたちもやって来た。(女の子二人)弟さんのパートナーはスリランカ人なんだけど、どうやら祖国に帰ってしまったっぽい。いろいろあるよね…。
みんなで何をすると言うわけでもなく、おしゃべりしたり、おやつを作ったり、ボールやお人形で遊んだり、アニメを見たり。
印象的だったのは、エマのパパも、弟も、バンピーも、とにかく子ども達をよく褒めること。エマのパパは、エマのことも褒める褒める。「なんてクレバーな娘なんだ」「なんて美しくて賢い孫達なんだ」とにかく褒めちぎる。バンピーも、自分の娘達を「誇りに思う」などと褒めまくりちぎり倒している。そこには結婚していないとか、血縁がないとか、国籍やルーツが違うとか、そういうのがまったくないのだ。すがすがしいほどのベタ誉めっぷり。
私自身が両親に「あんまり褒めないように、謙虚に」と育てられたものだから、ものすごくびっくりしてしまった。父親は仕事ばかりで育児にはノータッチだったし、母親は、祖父の仕事柄もあって、世間体ばかりを気にする人だった。いま思えば、母なりに嫁として「家」を守ろうとしていたのかもしれないけれど。
時々、祖父の関係のえらい人がいっぱい家にやって来た。「えらい人」はたまに気まぐれに「お孫さん」を褒めてくれるのだが、母親も祖父も「とんでもない!」と力一杯否定し、謙遜していた。家族は客前では褒めない。客前でなくても褒めない。それが普通だと思っていた。わたしの思ってた普通は普通じゃなかったのかも。せめてわたしの子どもたちはめちゃくちゃ褒めよう。
ここまでで感じたポイントとまとめ
1、イギリスでは結婚をせずに子どもを持つのは当たり前(48.2%)であり、補償制度も整い、社会的な理解もある。
2、地域みんなで子どもたちを見てのびのび育てるが、ひとりにさせることにはとても厳しい。
3、子どもの「個」や「選択」など自主性を尊重する。
4、子どもをめちゃくちゃ褒める。
ここまで気づきを書いてきたけど、もちろん本当はいいことばかりではなくて、きっといろいろな面があると思う。日本の子育てにもいいことはいっぱいある。まず、基本的にいろんなことがちゃんとしていたり、清潔だったり、勤勉だし、教育の機会も公平に与えられていると思う。その良さはありがたく享受しつつ、取り入れられる良さはどんどん取り入れていきたい。まずは子どもをベタ褒めすることから始めたい。(最近、14歳の娘にはちょっとウザがられているけど、思春期だからに違いない。だからベタ褒めは止めない。)
それとはまた別に「家族とは」ということを考える衝撃的な出会いがあったので、個人的な体験として記しておきたい。
雨の日の納屋で、ジプシーの移動式住居ルーロットに出会う
雨は止まない。
「あ、そうだ。うちの納屋にジプシーのキャラバンあるんだけど、見る?」とエマ。えっ、そんなの見るに決まってるやんか!
だって私、ジプシーのキャラバンに憧れて、トレーラーハウスの移動式チャペルを作り、どこでも結婚式をあげられる事業を始めたばかりだった。その名もずばりルーロット。ルーロットとは遊牧民たちの移動式住居のことである。
そりゃ見るでしょ。っていうか、納屋にキャラバンってどういうこと?「前まではスチームもあったんだけどね」エマが気軽な感じで言うので、アンティークのスチームアイロンでもあるのかと思ったら違っていた。蒸気機関車のことだった。トーマスのおもちゃみたいなノリでいうな。他にも珍しい車もあるみたいだった。どんだけ広いねん。乗り物コレクションをミニチュアじゃなくて実物でできるだなんて。
それもそのはず、案内された納屋はものすごく広かった。30〜40人規模のラスティックなウェディングパーティがいっぺんに3組くらいできそうに広い。
そして、
そこに、いたのです。
あの恋い焦がれ続けたジプシーの移動式住居、ルーロットが。
はあ、会えちゃった。どうしよう。ドキドキが止まらない。ずっと憧れ続けた貴方に、まさかここで会えるなんて思ってもみなかった。完全に呼ばれたとしか思えない。だって、ずっとずっと夢見ていたものが、友達の家の納屋にあるなんて思わないじゃない。
車体が思っていたよりも高いのは、ああそうか、馬で引いていたから。エマのパパによると、イギリスでは今でも馬でキャラバンを牽引して公道を走れるらしい。すごい!
バンピーにもう一度確認する。
「これって、本当に本当のジプシーが乗ってたやつ?」
「もちろん」
おそるおそる、中に入れさせてもらった。6畳程度の広さだろうか。ずっと眠っていたままだったのだろう。すっかり埃をかぶった室内には、それでもわずかに人々の生活の面影が残っていた。小さな窓にはレースのカーテンもかけられていた。この窓から、通り過ぎる風景をぼんやりと眺めていたのだろうか。もしかしたらそこにいたのは私ではなかったか。
「エマ、わたしもしかしたら前世はイギリスのジプシーだったのかも」
「ならわたしは日本人だったと思う」
「だね(笑)」
こうしてこの小さな移動式の住居ルーロットで、旅をしていた家族がいたんだと思うと、それだけで胸がいっぱいになる。旅の暮らし、流浪の民。夢に楽土求めたり。
家族は旅のようなもの
もしかすると、家族は旅のようなものなのかもしれない。その時、その場所で、縁があってたまたま同じキャラバンに乗り合わせた人たちだ。
国籍も、ルーツも、本当の血の繋がりなんかも関係なく、そこに居合わせた運命共同体。目的地に着くまではしばらくいっしょにこの乗り物で笑ったり、過ごしたりする。時にはみんなで力を合わせて困難を乗り越える。
「じゃあ、ここまで来たら僕たちはこっちの道へ行くね」と、子どもたちが巣立つこともあるだろう。「じゃあ先に向こうに行くね」と大切な人が先に旅立ってしまうこともあるだろう。
だからこそ、いっしょに居た時間が愛おしく、尊いのだ。
家族を、その時、縁あっていっしょにキャラバンに乗った仲間たちと考えると、いっしょに居られる時間をもっと大切に慈しみたいと思える。
あの日あの時間、雨に閉じ込められた私たちは、たぶん間違いなくファミリーだった。
ね、そうでしょ?
Sophia and me,Wales,2017
⭐︎エマのお好み焼き屋さんです。すごくかわいいトレーラーの屋台なのです。
⭐︎ルーロット
出典:2018、OECD family database (https://www.oecd.org/)
参考:Newsweek日本版
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