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なぜ、私は歴史が好きなのか

「学生時代、暗記で苦労したから嫌い」
「そもそも歴史を知って何の役に立つの?」
周囲の人から、そうした言葉もよく頂戴しますが、
それでも私は歴史が好き。
理由を述べてみたいと思います。

「なぜ歴史なんですか?」

私が歴史雑誌を編集していた頃、ある広告代理店の人から、「なぜ歴史なんですか?」と、やや、いらだちを込めて問われたことがあります。

企業から広告を頂こうとする際、掲載媒体が企業のPRしたい内容と親和性がないと、なかなか出稿に至らないのが普通です。

経営者の経営理念のアピールや、ビジネスパーソン向けの商材であれば、当然ながらビジネスパーソン向けの雑誌でPRした方が読者との親和性は高く、わざわざ歴史雑誌でPRする必要はありません。

代理店の人は、「歴史をテーマにした雑誌媒体では、企業からの広告なんて頂けませんよ」と言いたかったのだと思います。

では、その歴史雑誌は全く広告が入っていなかったかというと、そんなことはありません。歴史雑誌の読者層にPRしたい商材というものも、きちんと世の中に存在するからです。おそらくその代理店の人は歴史にあまり関心がなく、想像ができなかったのでしょう。

世に歴史に関心のある人がどのぐらいの割合でいるのか、私は正確には知りませんが、一定数いることは間違いないと、これまでの編集経験から言えます。ただし、大半を占める関心のない人からすれば、むしろ代理店の人の反応の方が普通なのかもしれません。

歴史から人間の生き方を学ぶ

歴史に関心を持てない人の理由の一つに、「学生時代、暗記で苦労して嫌いになった」というものがあります。確かに年号や用語の暗記は味気ないものです。かく言う私も、いま暗記力を問うテストをされて、高得点を上げる自信はありません。

私が学生の頃と現在では、歴史の勉強の仕方も変わってきていると聞きますから、あくまで私が学生だった昭和末頃の話ですが、暗記中心の勉強では正直、面白くないし、あとで役に立つことも少ないと経験から断言できます。

私が歴史に関心を持つようになったのは、幼い頃の色々な伏線もありますが、具体的には高校生の頃から歴史小説を好んで読むようになってから、でした。小説ですから、もちろんすべてが事実ではありませんが、歴史をストーリーとして吸収することができました

また、高校の日本史の先生がユニークな方で、キーワードを黒板に書き出しはしますが、流れを滔々と物語調で聞かせてくれるのです。これを聞きながら、「やっばり、歴史はストーリーだな」と実感しました。

当時、よく読んだ作家としては司馬遼太郎、池波正太郎、海音寺潮五郎、山岡荘八、子母澤寛といった歴史・時代小説の大御所たち。小説を楽しみながら、「人としてどう生きるか」という、若さゆえのもやもやした思いに対する自分なりの解答を模索してもいました。

小説である程度、時代背景を知ると、奈良本辰也、桑田忠親といった学者が書いた歴史本や、福沢諭吉『福翁自伝』、勝海舟『氷川清話』などにも手を出します。そんな世界に惹かれて、大学は史学科を選んだのかというと、そうではありません。史料を分析探求するよりも、人間の考え方、思想に興味を持ったからです。そのかたわら、やはり歴史は好きで本を読んでいました。人間に対する関心という点では、自分の中では同じなのです。

いずれにせよ、私にとって歴史は単なる暗記ではなく、ストーリーを知って、さまざまな人間から生き方を学ぶものでした。特定の人物の思いを追体験するために、ゆかりの場所に赴くことも好きでした。この部分は、今も変わっていない気がします。

点と点の間をつなぐように探っていく

こうした話をすると、歴史学者として研究していらっしゃる方々から、「小説や読み物の知識で、歴史を知ったつもりにならないでほしい。小説は所詮小説で史実ではないし、史料をきちんと読み込んで研究する積み重ねの上に、歴史というものはあるのだから」というニュアンスのことを言われることもあります。

もちろん、それはもっともなことです。歴史を研究するとは、膨大かつ判読しづらい古文書をこつこつと読み解き、あるいは地道な発掘調査の末に、少しずつ過去の事実を解き明かしていくものでしょう。そうした努力を営々と重ねる研究者の方々には最大限の敬意を払うべきです。

ただ、一次史料の解釈がすべてで、裏付けのとれない伝承の類や憶測はすべて排除するというのも、歴史学という学問の手法としては正しいのでしょうが、私が大切にしている歴史とは少し距離があるように感じています。

現代を生きる私たちもそうですが、自分の考え、行動のすべてを記録に残しているわけではありません。ブログやSNSの普及で、最近こそ記録量は増えてきているかもしれませんが、それでも、その内容は第三者が読んで差支えない、発表できる程度のものに限られます。心の奥底に秘めたものまで吐露する人は稀でしょう。

まして昔の記録から、どこまで特定の人間像が読み解けるか。いわば点と点の事実関係から、ある程度のことは探れるにしても、その時、何を考えていたかまでは書かれていないことが多いはずです。つまり点と点の間を補う作業が必要になると思います

たとえば明智光秀はなぜ織田信長を討ったのか。本能寺の変がどのような経緯の末に起きたかという事実の積み重ねは辿れても、光秀の最大の動機が何であったのかは推測するしかありません。だからこそ今も論争が続いているのでしょう。

光秀の人間像を探ることは、残された記録からだけでは限界があるのかもしれず、そこには同時代人が共有する価値観、教養、死生観といったものを踏まえながら考える必要があると思います。そうした上で、「光秀はこういう思いではなかったか」と想像することは、学問の領域からは外れるとしても、研究者ではない私たちの歴史への接し方としては、許されることではないでしょうか。また、「記録にないことはわからない」とするのは、間違いではないにせよ、真摯な向き合い方ではないのではとも私は思います。

戦国時代はおろか、戦前、戦中の頃と現代でも、日本人の価値観は大きく異なっています。それを無視して、すべてを現代の価値観、尺度で歴史を捉えることは、私は賛成しませんし、歴史に優劣善悪をつけることもナンセンスです

できるだけ、その当時の背景、価値観を踏まえながら、その人間の思い、考えを点と点をつなぐようにして探っていく。そうすることで、初めて見えてくるものがあるはずだし、歴史から多くのものを得ることができるのではと私は思っています。

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