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(6) 空よりも、広いもの (2023.9改)

富山湾にフローティングパネルを浮かべ、パネル下海中部に生け簀、パネル上部に防水対策が施されたソーラーパネルが南の太陽に面するように立てかけられた。プルシアンブルー社の実証実験なので費用は同社持ちなのだが、生け簀の管理は新湊の漁協組合に委託された。
モリの後を受けて日本法人の会長職を引き継いだゴードンが、漁船に乗って現地視察していた。
漁協は成長魚であるワカシを生け簀に放った。
イナダ→ワラサ→ブリの順に成長してゆく。

試験運用とはいえ、縦横100m、1haの正方形に、1.5ha分の面積ソーラーパネルを搭載し、10ha分のフローティングパネル10枚を浮べると早速の夏日で、発電が始まった14000MW/h(1時間あたり)の発電量がコンスタントに得られた。4000世帯分の電力量なので、富山県60万世帯の電力を海上ソーラーで創出しようとすると、今回のテスト15倍のフローティングパネル1500枚1500ha分のパネルを用意する必要がある.。ソーラーパネルの県内での内製化比率を高めて、枚数を1200枚に抑えると不可能な規模では無くなる。

「いよいよ本格的に始まったな・・」
ゴードンは感無量となり、泣いていた。富山だけでなく、タイ、ベトナムでもこの日ソーラー発電事業、蓄電事業が始まる。PB Enagy社はガソリンの安売り会社ではなく、発電会社として3拠点で事業を始めてゆく。

また、金森県知事の住まいのある南砺市五箇山の村落で2ha分のソーラーパネルを畑の2.5mの高さに設置し、2400MW/h(1時間あたり)の発電量が得られた600戸分の電力量となり、8戸しかない村落はPB Enagy社に582戸分の電力を売る見込みがたった。
初期投資分を回収すれば、4-10月の平均収入が230万円となる見込みだ。鮎は驚いた。

「夏の時期ですから最高潮の発電量となりますが、畑のある農家さんは検討されてもいいのではないでしょうか。県内の各農協でリース販売のご説明、相談窓口を設けておりますのでご検討願います。
尚、余談ではありますが、村内の耕作放棄地や廃屋を個人的に買い取って今の5倍の10ha分のソーラーパネルを農場の上に並べることにしました。初期投資分を回収する20ヶ月後あたりで、県からのお給料を無給にするどころか、副知事の給料も私が払います。以上でございます」
と、金森知事は週1の記者会見で述べた。これは他県の知事への痛撃となる。

 ところ変わって、バンコクからチャオプラヤー川沿いにアユタヤまでゆっくりと上がってきた運搬船が、積んでいた大量のソーラーパネルを何台ものトラックに積み替えて、お隣のサラブリー県まで出発していった。

それより先、モリたちが昨日降り立ったドンムアン空港に隣接するドンムアン空軍基地に自衛隊のP3C輸送機3機が到着し、500台のバギーがトレーラー車に積み込まれていった。

モリたちが到着すると、地元サラブリー県の皆さんの歓迎式典が行われているそばから、プルシアンブルー社が購入した耕作放棄地31haの改良工事が始まっていた。雑草が草刈り機で刈り取られると数台の無人のバギーが土を掘り起こして、更に耕していった。

勝手に農地化が進む側から、2.5mの高さにソーラーパネルが取り付けられてゆく。午前中で2ha分の発電が始まると、タウ村の電気は今日からタダになると村長が誇らしげに語り、村人の歓声が上がった。

式典を終えたモリは一人で山の方へ向かって行った。
「イノシシ3頭を獲ったので村の若手を寄越して欲しい」と村で待機していた翔子に電話し、それを橘麻里がタイ語で村長に伝えた。
電気はタダになるは、今夜はイノシシが食えると村中が大騒ぎになる。

「オレ達は何処に向かえばいいでしょう?」
運搬用の一輪車や解体用のナタや山刀を持った若者が集まってくると、村の物見台に登っていた橘さんが「あれ見て、煙が見えるでしょう」とタイ語で言った。

「よっしや」「じゃあ行くか」と言って男たちが煙めざし出ていった。

「イノシシ3頭って、一時間しか経ってないんですけど・・」物見台から降りてきた橘さんが言うと玲子と翔子が笑う。
「あと、5つの村で何匹捕れるか見物ですね」と玲子がいうと、

「えぇ?訪問する村で毎回猟をするんですか?」と橘さんがいうと母娘が力強く頷いた。

「お金をバラ撒かず、村の人に喜んで頂く。私は最善の方法だと思います」
翔子が日本の役人達の耳に入るように言うと、農水省の事務次官は頭を垂れた。

プルシアンブルーのエンジニアにサチも混じって6人がチームリーダーとなり、タイ人スタッフ18名で6チームに別れてOJTを実施、田植えの終わっていない家に分散していた。
3チームが田植えを終えて帰ってくると、タイ人スタッフもマスターしたのだろう、トラックにバギーを積んで9つの農家へ向かった。

村長が泣いている。

「「あなた達は仏さまの化身か?」と村長さんが申しております。「田植えがあっという間に終わってしまうなんて」ともおっしゃっています」

橘さんが団長である事務次官に伝えると、

「「私も初めて拝見したので驚いています」とお伝え下さい」
と言うので、それじゃ駄目でしょと思った橘は

「お役に立てて私達も嬉しいです。本当に良かった」と村長に伝えると、村長が事務次官の手を握りしめて頷いていた。

日本語が分かるタイのテレビ局の人が、橘にサムズアップしてみせた。

昼食の準備に取り掛かる。
村長の家の台所に一頭のイノシシを運んで、モリがカットして翔子と玲子の3人で調理してゆく。橘が通訳してムラの女性陣に作業を分担、指示していった。

「モリさんは料理も出来るんですね」
別のテレビ局のアナウンサーに英語で言われて「日本人の男は皆料理するんですよ」とタイ語で返して全国に流れてしまった。

出来上がったのは大量のトンカツと豚汁ならぬ、シシカツと猪鍋。そしてムラの女性陣による野菜料理の数々。

油と小麦粉、パン粉、ソースにカラシはアユタヤのスーパーで日本メーカーの食品を事前に発注、持参していた。

テレビ局のスタッフにも出して食べて貰う。一頭のイノシシはかなりの人数の胃袋を満足させる。「バンコクの日本料理のお店より、美味しいです!」とスタッフが言うと、翔子と玲子が満足げに笑う。

一頭分の肉は無くならないので、「残りの2頭と共に村で使って下さい」と橘が言うと、村人たちが三々五々コメや野菜を持って来て、
「持ってってくれ」と事務次官に次々と渡すと、事務次官も遂に感極まったのか、泣いてしまった。
「日本がここまで皆さんのお役に立てるとは、思いもしませんでした。感無量です」
というので橘は、
「村の皆様の温かいもてなしの数々に感謝いたします。計らずも私、感無量です」と訳した。

日本の一行は隣の村へ向かった。バスの後部座席の食料は次の村で2倍近くに膨れ上がる。
「寺に寄進しよう・・」明日もあると思ったモリはそう決断し、ホテルの前に寺に寄った。ワット(寺)などタイには幾らでもある。

この日、2つの村での活動内容は、タイ国営テレビを経由してタイ全国、世界中に放送された。

「電気がタダになり、その日のうちに田植えが終わって、狩猟から調理まで振る舞う日本人」の噂は瞬く間に拡がってゆく。

ーーー
アユタヤの店舗を予約して、貸し切りとしたのは元スッチーの2人による。洋食ビストロ店ということで無難だと思われた。自衛官の皆さんには各自が撮った動画や写真、タイの放送局の夜のニュース映像を見て貰い、理解してもらうと、
「参加してもいいですか?」という話になってきた。人手は足りているが多くても困る事はないし、明日は音楽番組の収録も控えているので、どうせ合流する。

「明日一日参加してもらって、明後日以降は皆さんにお任せします」と農水省の事務次官殿がジャッジを下した。

暫くすると、ギターを抱えた4人が出てきて、拍手喝采を浴びる。アコギ2,エレキ2の構成だ。ドラマーには声すら掛からない。

「こんばんは、ディープフォレストです。日本名は深森といいます。レ・ミゼラブルを書いたフランス人作家ヴィクトル・ユーゴーの日本語著作名、深森から貰いました。
徳島に深森という地名があるそうなので、いつの日かメンバーで行ってみたいと思います。

ユーゴーの言葉で私が好きな言葉を一つ紹介させて下さい。

「海よりも広いものがある。それは空だ。
空よりも広いものがある。それは人の心だ」

まさに、今日の活動のような言葉だと思うのです。利益を求めず、無垢な心で行動し続けた皆さんを表現しているような言葉ではないでしょうか。私達も明後日から参加させて頂きます。明日も参加したいのですが、ドラマー以外は番組収録に集中したいと思います。

ではバンド名決まって初めてお披露目する曲となります。メナム、作詞作曲したのはイッセイです」

アンプラグド仕様に由布子達がアレンジしてくれたのだろう。4ビートになった曲を夕夏がしっとりと歌い上げ、後半の盛り上がりで由布子と紗佳のコーラスが3重奏のようになって迫力を増す。・・最後に大河の流れは海に到達した。

作曲した本人が胸をえぐられる演奏だった。皆、立ち上がって拍手している。

メンバー4人がこちらに拍手し始めると、ヤバすぎる、涙腺が脆くなる。

「立ってセンセ」泣いてるサチに言われて、立ち上がって、メンバーに向かってサムズアップすると、4人も親指立てて返して来た。

この後、メンバーによる演奏は永遠に続く。
モリも亮磨のギターを借りて、3曲歌った。

密度の濃い日だったなと思って、何ものかに感謝した。

(つづく)

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