スクリーンショット_2019-06-12_3

短編小説を1ヶ月間毎日書いて思ったこと。


短編(超短編)小説を31日間、毎日書く。4月のある日、そんなミッションを自分に課しました。その動機は、ちょっと難しそうなことを達成して自己肯定感を少しでも高めたいという軽い気持ち。

1ヶ月はあっという間に過ぎました。結果として、31日目の「時の万華鏡店」で、31日間31短編のミッションは無事にクリア。今回、この挑戦で個人的に思ったことや感じたことを、気持ちがまだ温かいうちにまとめておこうと思います。


■難しすぎないゴールとルールを設定。それが良かったのかも。

日数に関しては、365日間という案もありました。でも、無茶な計画を立てるとだいたい3日で終わることは経験上わかっているので、真剣にやればギリギリ実現できそうな31日間という目標期間を設定。以下のようなルールにしました。

①ジャンルが偏りすぎないこと(SF、旅小説、ホラー、恋愛など幅広く)
②文字数は1000文字以上 
③書き溜めは原則禁止(仕事が忙しくても毎日書く)
④全作オリジナルの読み切り(続きもので話数を稼ぐのはNG)

ピンチは何度かあって。毎日違うネタで物語を書かないといけないルールなので、何も頭に思い浮かんでこないような日なんて結構きつかったです。あと2時間で日付が変わるというのに一文字も書けていなかった時はかなり追い詰められました。仕事の合間の時間を利用して書いているため満足に睡眠をとれない日もありました。

■そもそもなぜ「書く」のか。

そもそもコピーライターの私が小説を書き始めたのは、物語力のようなものを身につけたかったからです。大概の場合、人の心を動かすものには物語があります。いろいろな場面で活かすことができるはずだと思うのです。

拙い小説を毎日のように投稿していますが、物語を考えて書く行為って単純に面白いです。「文と物語で感動体験をつくる」なんていう偉そうな存在意義を掲げていますが、文章を書く仕事をしている端くれとして、人の心を揺さぶるような文章を書けるように鍛錬していきたいと思っています。コピーライティングと小説執筆はだいぶ違いますが、そのへんの話は別の機会にまとめます。

何かを書くということは自分の内側にある何かを切り刻んで言語化するということだと思います。伝えたいことや掘り下げたいことが豊富にあるうちはいいのですが、アウトプットしていくうちに、だんだんと自分の内側が空っぽになっていくような感覚におそわれます。自分はまだまだ浅いのです。そんなこともあり、日常生活でネタ探しの意識が生まれました。結構、ネタやアイデアはそのへんに転がっていたりします。

今後は短編小説に限らずさまざまなことを書いていきたいと思ってます。

■クオリティ・キープの問題にぶちあたった。

文章の完成度とか精度とか。毎日書くとなると、そのへんが弱くなってきます。限られた時間の中での執筆ですから。日によっては3000文字以上の短編もありましたし。

公開した後に読み返すと、誤字脱字、表記の揺れなどを見つけることなんてざらにありました。その他にも、不自然な台詞回しがあったり、物語の展開が唐突すぎたり、そもそも話の内容そのものがつまらないことに気づいたり、まあ気にし始めるといくらでも出てきます。

そこはもうある程度のところで割り切るしかない。とはいえ、毎日書いているから、時間がないから、多少雑になっていいなんて一度も思いませんでした。いや、一度くらいは思ったかもしれない(どちらにしても思っただけです・・・)。もちろん、もっと気軽に楽しんでいる人もいると思います。1〜2ヶ月間で1本だけ書くというなら、もっと濃度と精度が高いものが生み出せるかもしれません。

■俺の書いたやつ、誰も読んでないんじゃ?

どんなに文字数が少なくても、苦労して生み出した文章は我が子のようにかわいいもの。だから他人にも我が子のことをかわいいねといってほしい。SNSなどに子供の写真をのせて「いいね」と言ってほしくてしかたないママやパパと似ていなくもありません。

そんな例え話はどうでもいいけれど、やはり誰かからの反応が気になるのは物書きの宿命といえるかもしれません。暇さえあればダッシュボードや赤い数字を追うようになっていました。

当初は数字に一喜一憂する自分がいました。自分にとって渾身の文章を公開しても「スキ」や「ビュー」が伸びなかったりすることもあります。そんな時、慣れていないうちは自分を否定されたような気分になるものです。あ、私だけか。もともと大したことないのに、まともに書いたこともなかったのに、自分の書く小説は下手で内容が薄いなんて偉そうに思うわけです。

めげずに毎日続けることで気づきます。みんな他人の文章なんてあまり興味がないことに。やはり、自分の文章の一番の読者は自分自身。そういうふうに諦めにも似た気持ちでやっていると無反応耐性がついてきます。つまり、「無名の自分の文章を、誰もわざわざ探しには来ない」と自覚するのです。

だからこそ、たったひとつの「スキ」にどれだけ勇気づけられるか。たったひとつのコメントがどれだけエネルギーになるか。noteをやっている人ならみんな感じているはずです。ちなみに、読まずに適当に押された「スキ」も嫌いではありません。

■「50日連続投稿」にたどりついて。

ハッシュタグには「毎日note」を入れて投稿しています。昨日の投稿で「50日連続投稿」にたどりつきました。ちょうど500スキにも届きました。短編小説の数は40を超えました。50日連続投稿なんてnoteではぜんぜん珍しいことではありませんが、継続は力なりという言葉を信じて、どんなに忙しい日も仕事の合間を縫って書きつづけていました。

当たり前なんですけど、毎日書くということは、書くネタを毎日用意しなくちゃいけないですよね。んで、そのネタが見つかったら文章を起こさないといけない。さらにタイトルと画像も考えないといけない。これらを全部妥協せずにやるとなると、なかなか時間がかかります。慣れていない人なんて本当に大変だと思います。

こんな難しいことを毎日コツコツやりつづけて「365日連続投稿」を達成した人も結構いるみたいで。素直に尊敬します。さらにその投稿一つひとつのクオリティが高いのであれば、それは本当にすごいことだと思います。あ、「毎日」ではなく「ほぼ毎日」でもすごいことです。

ネタを考える企画力、どんなに忙しい日もやり続ける強い意志、尽きないモチベーションなど、様々な要素を兼ね備えていないと達成できないと思うのです。note以外の場、例えば仕事でもバリバリ活躍できる人だと想像します。

「続ける」って大変です。自分なんて50日ですけど、既にかなり消耗しています・・・。あと、義務みたいになってくるとそれはヤバい兆候です。少なからず「何かを書きたい」というモチベーションを毎日保っていないと継続できないでしょう。今は書き溜めもアリだと思っています。とはいえ、手段(連続投稿)が目的化しないように気をつけないといけないですね。

このまま、100日、200日、365日・・・といった具合にいければいいのですが、正直自信はありません。でも、達成した時にどんな景色が見えるのかすごく興味があります。


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。