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(15)女子高生が同級生に将棋の駒の動かし方を教えたら、半年後に近畿3位になった話

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※記憶に基づいた実話だが、個人情報特定を避けてストーリーに影響がないところは改変するかもしれない。

※正確には8ヶ月後である。

4ヶ月後なう

第35回全国高校将棋選手権、女子個人戦。

1回戦シードの私はいよいよ2回戦でGさんと対局することになった。

自分で言うのもなんだが2回戦屈指の好カードで、開始前から京都でも静岡でもない県の顧問の先生方がちょくちょく様子を見に来ていた。
3回戦くらいまではまだ初心者の子が勝ち残っているので、駒を並べながら雑談しているところも多いが、ここだけはガチだった。
向こうは1局指してエンジンがかかっているのに、こちらは初戦なのは嫌だな、脳みそは回転しているのかな、と考えていた。もちろん緊張していた。

どっちが先手だったか忘れたが、とにかく対局は始まり、やはり角換わり棒銀になった。

対局中は盤面しか見ていなくて、Gさんがどんな表情だったかまでは覚えていない。
でも私が(こっちが後手として)△5四角を打つ変化にするなんて、きっと前日の対策でもやっていないだろう。一本取った気分でいた。
ただ、恐らく向こうは元々知っていた。すぐに▲3八角と指してきた。
少し手が進み、△3三金と上がったあとが問題である。それ以降の定跡手順を全く知らなかった。
その局面は飛車取りなのでどこかに飛車が逃げるのだが、飛車を逃げる場所によってこちらが選ぶべき手順が違うのを覚えきれなかった。
(※その後はこの手順を必死に覚える必要がない人生なので、20年以上経った現在も覚えていない)

飛車がどこに逃げたかも今となっては覚えていないが、これ以降は闇の中をかき分けていくしかない。
あとで知ったことだが、すぐ悪手を指したらしく、局面はずっと悪かったそうだ。自覚はなかった。

この定跡は居玉で中盤戦に入るので、お互いそのまま玉を囲わずに殴り合っていた。

最終盤、自玉も危ないかもとちらりと思ったが、私はGさんの玉を見ていた。きっと現実逃避をしていた。
金を打てたら1手詰だ。しかし、打ちたい場所には飛車の利きがあって、今は打てない。

飛車が動けば、1手詰にできる。

よし。

私は飛車の真ん前に、持ち駒の銀を打った。取ってくれれば1手詰だ。

Gさんは取らずに、飛車を横に逃げた。

私はまた銀を、飛車の真ん前に打った。これも取れば詰み。

Gさんはまた、飛車を横に逃げた。それまで勢いがよかった手つきが急に弱くなった記憶が、かすかに残る。

あっ。

2回目に打った銀の場所がちょうど良く、Gさんの玉には3手詰が生じていた。

私は持ち駒の金を打った。

「負けました」とGさんが言った。私もたぶん「ありがとうございました」と言ったはずだ。

勝った。Gさんに勝った。

呆然としていると、Gさんの顧問の加藤先生が「飛車を逃げなかったら勝っていたよ」と言った。

初めに飛車取りに銀を打った手。これは次に飛車を取って、ようやく攻めになる。銀を打っただけでは何でもない。
飛車を逃げずに攻められていたら負けていたらしい。
(形は忘れたが指摘されたらすごくわかりやすい手だった)

最後の最後で生じた大逆転だった。

自分の恩師から勝ち筋を指摘されたGさんは泣き出した。

それを見て、なぜか私も泣き出した。
ふたりともわんわん泣いたので異様な光景だっただろう。

他校の先生方には、なんで君が泣くねんとか、どっちが勝ったかわからへんかったとか、あとで言われた。
他の選手からも「勝ったの? 泣いてたのに?」と言われた。

Gさんもこの対局に懸けていたのを強く感じたし、このあと私も頑張らないといけないと責任感が押し寄せてきた。

正反対の感情だが、同時に「これで準決勝までは行ける」「高校竜王戦に行ける」と安堵した。
いろんな感情がごっちゃになって、涙が止まらなくなった。

(16へ続くはず)

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