見出し画像

(16)女子高生が同級生に将棋の駒の動かし方を教えたら、半年後に近畿3位になった話

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27)

※記憶に基づいた実話だが、個人情報特定を避けてストーリーに影響がないところは改変するかもしれない。

※正確には8ヶ月後である。

4ヶ月後なう

1999年7月31日山形県天童市で行われた第35回全国高校将棋選手権女子個人戦、初戦にして最大の山場と見ていたGさんとの対局を制した私は、3回戦で福井県代表に、4回戦で北海道代表に勝った。
偶然にもふたりとも前年に仲良くなった子たちだったので「がんばってね」と言ってくれた。

ちなみに同じ京都府代表のM高の2人はひとりが3回戦まで進出。ひとりは初戦の2回戦で敗れている。

次は準々決勝。1日目の最終戦で、勝てばベスト4。
明文化されてはいなかったが、勝てば高校竜王戦に女子推薦枠で出場が決まる対局でもあった。

相手は群馬県代表の、名前を知らない子だった。
名前は知らなくても全国大会のベスト8まで来ているのだから、そこそこ実力はあるのだろうと思っていたものの、情報がない。
破ってきた相手に目立った強豪選手がいたわけでもなく、恐らく順当に勝ち上がってきたのだろう。

他校の先生もいくらなんでもそこまでは教えてくれない。
よくわからないままに席に座り、対局が始まった。

戦型は矢倉。棒銀しか知らなかったので棒銀をしたと思われる。

中盤、大きな疑問手があったようには思えなかったが、形勢は少しずつ苦しくなっていった。

なんとか逆転の手を探さないと。

そこで、自陣の角を飛び出す手が、とてもいい手に見えた。
それでも相手玉はまだ何も響かないのだけど、何かしなくては逆転しない。

えいやっ。と角を出た。

すると。

「えっ」と相手の子が、指を指してきた。

私は自陣を見る。

角がいた場所の少し右には私の玉がいる。

そして、角がいた場所の少し左に、相手の竜がいる。

つまり。

角が動いたことで、私の玉が取られる形になっていた。

「あ…………」

事態を把握する前に、本能的に、言わなければならないことがあると察した。とりあえず言った。

「負けました」

負けましたと言ってから、負けたんだなと思うまで、まだ少し時間がかかった。

つまり私は自玉に自分で王手をかける、王手放置のような反則手を指したのである。

あとから考えると、原因があった。
当時の私は左手をあごに当てて考える癖があって、その左腕で相手の竜が死角に入っていたと思われる。
普段はそんなことはないのだが、逆転するための攻めがないかと、かなり身を乗り出していたのだろう。

形ばかりの感想戦をして席を立ち、会場内でぼんやりと立っていると、M高の顧問の先生がやってきて、結果を聞いてきた。
言葉で言おうとしたが言葉にならず、わーーーっと泣き出した。
M高の先生はすごく困っていらっしゃった。

私はそれまで練習も含めて二歩や王手放置などの反則を一切したことがなく、生まれて初めての反則が、こんな大舞台だった。

~~おまけ話~~

数年後に大学生になってから同学年の群馬県出身の男子と話す機会があったが、この子は初段だったらしい。
名前を知らないだけで普通に強い子だった。
彼は「俺は準優勝だったのに高校竜王戦に出られなくて、群馬ではさっさと負けたあいつがなんで出られるんだよ~」と言ってた。
男子からしたら、そりゃそうだな。

~~以上、おまけ話~~

夕方になって団体戦の3人が戻ってきたころには気持ちも落ち着いていて、恥ずかしながら結果を報告して、まあまあよくがんばったとなぐさめられた。

2日目の対局があるのは全選手の中でごく一部だけなので、もう遊ぶだけだ。
特に個人戦に出ている子は学校ごとの縛りもないので、男子も女子も都道府県の隔てなく集まって遊んだ。
私は前年の大会で北海道代表の子たちと仲良くなっていたので、団体戦の3人とともに合流して、大富豪をした。
沖縄代表の子とか、山形とか神奈川とか三重とか、いろんな県の子と知り合いになった。
各地の大富豪のローカルルールを全て採用すると、わけがわからないことになった。

沖縄県代表の子が「こいつはナカマっていう名字なんだけど、本州にはないでしょ?」と言った。
私たちは「そんなことないよ~」と言っていた。

住所の交換とかしたけど手紙をやりとりすることもなく、ほとんどがこれを最後に会っていない。(みんなに書いてもらったアドレス帳も10年くらいして捨てた)
その住所交換の時に知ったけど、沖縄県代表のナカマくんは「名嘉真」くんだった。「仲間」くんじゃなかった。
まあでもナカマくんの顔は全く覚えていないし、なんなら「本州にはないでしょ?」と言った子は名前すら憶えていない。ごめんね。

その大富豪をした中に、以前から知り合いの山口県代表の女子がいた。
彼女は翌日の準決勝に残っていた。私が勝っていたら当たっていた相手でもある。
「めちゃくちゃ緊張する」と言ってた。その緊張がうらやましかった。

当時は女子の競技人口が少なすぎて派遣基準を独自に決めていた県があり、山口県の場合は「男子個人戦の予選に参加して準々決勝に入ったら女子個人戦の代表資格を得る」というルールだと言っていた。
その基準を満たしているだけでだいぶ実力があるのがわかる。
(この山口の子は大学進学後も将棋を続けて、何度か対戦したがほとんど勝っていない)

画像1

(宿にて。北海道と神奈川の子が写っている。私は何をしているんですかね…)

当時はカメラをいじったことなんて全然なくて、「写ルンです」で撮っている。だいたい1回の旅行でフィルム32枚撮りを使いきるような感じだった。
しかし写ルンですってこんなにちゃんと残っていてすごいね。

(17へ続く)

いただいたサポートは、教室・道場探訪の交通費として活用させていただきます。皆さんのサポートで、より多くの教室を紹介させてください!