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ありのままを愛せず整形手術を選ぶ私が【自分らしさ】を模索し続ける理由。

初めましての方も、いつもお話している方も、こんにちは。
化けたガールSUUの名前でYouTube
Twitterで整形の経験談を公開しています、SUUです!

11月にBodyの整形手術を受け現在ダウンタイム中
ずっと自分の「ありのまま」の姿を家族にも受け入れて貰えなかった私が
初めての整形手術を選んだ日は約15年以上も昔の事です。

今回はそんな私がどんな人生を歩んで来たのかを少しだけ
皆様にお見せしたいと思います。
結構重い部分もありますが私の一部であり今は毎日を楽しく生きています!
明けない夜は無かったし、何なら夜も良いよね。
くらいのスタンスなのでご安心を~

”今の自分を愛せずに苦しんでいる人へ”
”容姿について悩んでいる人へ”
私からのお手紙を送りますね。
(心に届いた人はRTや好きをくれたら嬉しいです)


これは私が【自分らしく】ありたいと思うまでの道のり

  1. ”ありのまま”を否定され続けた幼少期と救いの手

  2. 精神的な病を抱え毎日消えたかった自分を変えた整形手術

  3. 過去の自分を受け入れた時に見えた”人生”の見方

  4. 自分の在り方、心掛けている事

おおまかに上記4つの目次を付けました。
最初の1と2には家庭環境や学校での悲しい記憶、死やメンタルヘルス等ネガティブな題材を書きますので、上記の描写が苦手な方は3から読むのをお勧めします。


1.”ありのまま”を否定され続けた幼少期と救いの手

小学校5年か6年の頃

両親は私が小学生の頃に離婚し、私達は父子家庭で育ちました。
私には年の離れた弟妹がいるのですが、父と生活を始めたのはまだ妹が哺乳瓶で粉ミルクを飲んでいた頃でした。
学校帰りに保育園にお迎えに行き、芸能関連の仕事をしていた父は帰りが深夜なので私が夕飯を作ったりミルクをあげたりお風呂に入ったり子供達だけで過ごし眠る日々でした。

両親が不仲になるまでは自己肯定感も人並みで
あまり初対面の人にも気負いせず明るい性格だったのを自分でも覚えています。しかし、残酷な現実はすぐに私を包囲しました。

顔が気持ち悪い、性格が悪い等あっと言う間に学校でイジメの対象に上がり始めます。毎日何かしらの身に覚えのない言いがかりで仲間ハズレにされ
靴を捨てられ泣きながら上履きで家に帰る。そんな毎日でした…。
学校に嘘の連絡を入れ、朝家から出ると公園で時間を潰して帰る。
どこにも居場所が無かったので…

父方の祖母は頻繁に私達の面倒を見に来てくれました。
ご飯の作り方から女性の身支度の仕方など色々と教えてくれた祖母
しかし、祖母は容姿についての否定が日常で…
「別れたママさんは美人だったのにSUUはゴボウみたい」
「ママさんはパッチリした大きな目なのにSUUは目付きが悪い」
「黒くて猿みたいな顔」「ほんっとに笑ったら歯茎が見えて馬みたい」
可哀想にねぇ……不憫だねぇ……
これが毎日の会話でした。
(今思い返せば祖母自身が物凄くコンプレックスを抱えた女性だった)

家庭がこうなるまでは大好きだった陽気な父も日に日に変わって…
当時多忙だったストレスを長女の私にだけ向ける様になります。
父から毎日の様に暴力があり顔や腹を蹴られたり
「ブス過ぎる。大人になったら整形しろよ。自分の金で」
と罵られ、家事の精度について叱責されたりして過ごしました。
(洗濯物の畳み方や、部屋の掃除機の掛け方や風呂掃除の甘さ、料理の内容など)
いや…まだこの頃、中1…(笑)

…と、まぁいかに良くない家庭環境だったかはこの位に。
でも神様はこんな私さえも見捨てませんでした。
母方の祖父が本当に心の優しい人だったのです。
両親が離婚してからも私に毎月お小遣いや手紙を贈ってくれました。
どうしても限界になってしまった時は祖父に泣いて電話を掛けました…。
祖父に電話をすると車で6時間程の高速道路を走り、校門の前に駐車されたクラウンからサングラスを掛けた祖父がニコニコと手を振ってくれる。
私の下校時間まで祖父はずっと待ってくれていました。

いつも祖父が送ってくれたテレホンカードは私の防波堤で、祖父はいつも私のヒーローでした。
何回かあった警察を呼ぶ様な騒動や、実母と父のトラブルにも祖父はいつも私を守ってくれました。
祖父はまだ私の拠り所として、物事の考え方のコアとして今でもずっと心の中で生きています。
本当に大事にされていたな…と今でも思い出す度にパワーが満ちるのを感じるよ…


2.精神的な病を抱え毎日消えたかった自分を変えた整形手術

さて、ある日父親に病院送りにされました☆
掃除機で腰や腹を殴られ意識朦朧…からの失禁
病院で「家庭内暴力」と言う言葉を初めて聞き、異常だったんだと気付きます。
筋がね入りのPTSD、うつ、パニック障害
当時は色んな投薬やカウンセリングも経験しましたが個人的に一番効いたのは物理的な距離を取る事でした。
実家は都心にあったので少し郊外で中学2年から一時1人暮らしに。

家事や自炊には慣れていたので1人の生活は楽勝でしたが毎日父の事を思い出してはオドオドして暮らしていました…まるであの頃は夜逃げの様な感覚だったかも知れません。

紆余曲折経て、20歳まで何とか生き逃げました。
相変わらず消えたい願望は発作の様に起きていましたが生き残りました。

そんなある日とある美容外科に巡り合います。
当時は整形手術の情報はまだ2ちゃんねる掲示板で仕入れる時代でした。
私はまず、母親の写真を持って数軒の美容外科を訪ねます。
お金は少しの間キャバクラで働いて貯めました。
当時の私の顔は良く無かったが若さとキャラクターで多少の指名はあり、整形手術をする為の費用はすぐに貯まりました。
二重の部分切開、鼻筋を高くするL型プロテーゼを同時にして
確か合計50万円ほどでした。

「ブス過ぎる。大人になったら整形しろよ。自分の金で」

By父の暴言

この手術を受けた日から何か人生の大きなハードルを越えた気になった。
父が言った通りに自分で貯めたお金で整形してやったぞ!
何かに勝ち誇ったかの様な不思議な達成感に包まれ父の呪縛に打ち勝った
一連の行動に過去の自分が今の自分に癒された感覚になった。

二重の部分切開は今でも良い状態で健在。誰に見せても褒められる。

一重の細い目は整形手術で二重に変わり
この時の目の手術は大成功!今でも私の一番好きなパーツです。
とにかく執刀医のセンスが爆発的だったし自分の期待以上の目が顔に現れて毎日のメイクが楽しかった。
ケチの付け所が一つも無い素敵な目にしてくれたし
私の人生を変えてくれた執刀医にはずっとずっと感謝しています。
いつか直接お礼を言えたら良いなと長年思っています。

目と鼻の整形をして少し自信を取り戻した頃の写真。この後ルフォー手術を知る。

目が二重になっただけで全て納得できると思っていた自分が甘かった…。

By自分

目が綺麗になった後に口元のバランスやガミースマイルが気になり始める。

そして、この後ルフォー1型+SSRO手術を受ける事になる。
約15年程は昔なので、まだ両顎手術やルフォーと言う手術が今ほどに審美的なジャンルではポピュラーでは無かった。
私は色々調べ、自分がこの手術を受ければ口元の凹凸が変化し顔の印象が大きく変わると確信した。
当時は顎関節症もひどく、父に打たれた時に顎が外れる事も多々あった。
痛みで食事もまともに取れない事もあり、ルフォー手術を受ける事に前向き過ぎる程の関心があった。

何度か死んだかも知れない局面を生き抜いたせいなのか…私の度胸は完全に据わっていた。
何の不安も恐怖感も無く、ルフォー手術を受け3週間ほどの壮絶な入院生活も全力で楽しみました(病室で仲良くなった同志に感謝)
当時の写真や詳細はまた後日書こうと思う。

その後、韓国で鼻中隔延長手術を受けた。写真は2021年

上顎の骨を切った後はもう整形手術を受ける事なんて無いと思っていた。
しかし、この手術後に小鼻は横にべちゃっと広がり…韓国で鼻中隔延長手術を受けた。
この韓国での鼻整形は高すぎるゴアテックスによってギリシャの石像の様な鼻に仕上がってしまい、半年後に修正手術を受けました。
これらの逸話はまた後日☆


3.過去の自分を受け入れた時に見えた”人生”の見方

ふとした時の自分の姿は残酷な現実を纏っている。

一通りの手術を終えた時
過去の出来事だけにフォーカスする生活からやっと抜け出した感覚を持てた。
まだまだ長い間、両親や弟妹とのトラブルはあったが、雨の日に両親に見捨てられ古巣の一軒家で泣き続けている子供の頃の自分のイメージ
そこに今の私が傘を広げ抱きしめてあげるイメージ
そんな優しい自分になりたいと思う瞬間がやってきた。
美談じゃなくても良い、自分以上でも以下でも無い。
等身大で醜い自分も、完璧なんかじゃない自分も許せる気持ちに気付いた。

この頃、過食嘔吐や摂食障害によって体重の増減が激しかった症状も落ち着き始めた。
誰だって1度しか無い人生を必死に生きている。
「可愛い」「綺麗」「美しい」は人それぞれで、体脂肪率や顔の造形に決まりは無い。
国や文化が違えば私の常識は誰かの非常識なのだと思う様になった。

こんな体験談をインターネット上や身近な人にもオープンにしているせいもあって「外見にばかり拘る様な人は内面が汚い」や「親に貰った体に傷をつけるなんて」と言われる事がある。

整形手術は詐欺行為と同じ、見た目を偽って生きるなんて犯罪だ

Byアンチ

私は自分の過去を全ての人達に認めて欲しい、受け止めて欲しいとは思っていません。
色々な価値観があるのは当たり前で私を嫌いな人とは付き合わないだけだ。

自分と違う事も受け入れる
自分と違う価値観も出来るだけ肯定的に考える
(最初から石を投げて来る様な人は別だけど)

整形手術については友達や恋人も賛成派。
もしも子供を産んだら顔が…等と聞かれますが(笑)
それを言える権利は夫婦になる関係性の人のみだと思っています。

第一に見た目が良いって何だろう?
肌の色が白い事?私は日焼けした肌が好き。
目がパッチリ大きく開いて丸っこい事?私は少しクールな印象が好き。
結局、他人からの評価も大切かも知れないけれど自分の中にある「好き」を追求する事が私の人生には快適であり程々に必要だ。

自分らしさ、個性。誰になりたい訳でも無い自分らしさを求め始めた時

目頭切開+目尻切開+タレ目形成の手術をした後のダウンタイム中の写真。

誰かの理想を追うのは苦しいけれど自分の理想を追うのは楽しい。

By自分

4.自分の在り方、心掛けている事

”今の自分を愛せずに苦しんでいる人へ”
”容姿について悩んでいる人へ”

”ありのまま”を愛せない事って今どきじゃ普通なんじゃないかな?
インスタントに誰かの悪口を言えて、本人に向ける事が出来る世界。
それが今のSNSだと思います…学生さんの場合はLINEグループとか。
傷つくよね。

私もたくさん容姿について嫌な言葉を言われた事あるし
男性から直接酷い事をされた事もあります。
でも一つ気付いた事があるんです。
それは全て「浅い関係」であり、あなたの事をあまりに「知らない」からこその悪口なんだと…
人って、誰かを好きだと思うともっと深く知りたいと思う。
深く知れば、例え自分の中の「いいな」レベルが100点満点中の
60点だったとしても愛着や親近感や理解が湧くというか…
それが理想の100点満点じゃなくても悪口なんて言えなくなる。

自分を開示する事って怖いし、誤解される事も度々ある。
でも関わらなければ、そもそも知る事も好きになる事も無い。
だから私は出来るだけ自分の事を相手に開示する事にしました。
それでも人は受け取り方が違うから期待しすぎない事も大事だと気づいた。

時には諦める事。あなたの味方は絶対にどこかに居ると思う事。

目の前のたった一つの結果だけに固執しない事も必要だ。

私の大きなテーマと言うか、スタンスとして
可能な限りは女の子の悩みとか、苦しみとかに寄り添いたいって常に思っている。泣いてる子は過去の私に重なる時があるし
私が困った時に助けてくれた人の様に私もなりたいと思う時があるから。
でも私は富豪じゃないし、出来る事は限られている。
そこで、YouTubeTwitterを始めました。

誰もがなりたい自分になっていいんだ!って思えます様に。

どんな自分になりたいですか?
誰に反対されても、あなたはあなたの好きな自分になっていい。
年齢も国籍も関係ない。
服装だってメイクだって髪型だって自分の好きを表現していい。
異性にウケない格好?誰かに笑われた?
そもそも外見はどうでもいい?
あなたの価値観、心が快適な方向へ歩いて良い。誰にも強制させない。
そんな事どうだって良いと思える日には何だか体が軽くなった気がするよ。

同じ24時間過ごすならツライ24時間を選ぶ?たまには24時間楽しく過ごさない?自分の考え方と行動で未来は決められる!と思えば楽になる。

By自分

結局、優しさや強さはパワー絶大!!!

人生の全ては上手く行かなくても
自分で少し踏み出せば楽しい景色も見えて来た!
誰かの悪口や噂話に時間を掛けるくらいなら、自分を変える時間や誰かを救う時間、自分を楽しませる時間に使いたい。
これが私の内面の大きな前進

これからも色々な体験談を話すのでチェックしてね☆
長い文章を読んで頂きありがとうございました。

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今後の更新もどうぞ宜しくお願い申し上げます!

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