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記事を作品として残せるクリエイターは素晴らしい 生きることは自己表現を楽しむことかもしれない 

私は、言語によって表現される芸術である文芸を書けません。ですから、記事を作品として残せないのです。ちなみに、この場合の文芸とは、小説や随筆、詩などを指します。

今回は、noteクリエイターとしての記事の作品性について考えてみました。




 精選版 日本国語大辞典


半永久的に残らない私たちの記事

note株式会社が永遠に存続することはありません。おそらくそれは人間の歴史の中で言えば極一部の期間でしょう。たいていの場合50年から100年程度会社が残ることはあっても、これが1,000年から10,000年残ることは考えられません。

もし仮にnote株式会社が無くなり、noteのサーバーが廃棄処分されれば、私たちの記事は無くなります。なぜなら、それらは紙という媒体に書かれたものではないからです。


真福寺収蔵の『古事記』(国宝。信瑜の弟子の賢瑜による写本)

私たちは1,000年前の古典に触れることができます。例えば、古事記や万葉集、枕草子などもその代表です。

あるいは、20,000年前にクロマニョン人が描いたとされるラスコー洞窟の壁画のように壁の絵を見ることもできます。<ただし、現代人がそこまでして自分の作品を残すことはありません。たまに、ブロック塀や外壁に見られる落書きぐらいが関の山でしょう。>

ラスコー洞窟の壁画 ウイキペディア


外壁に落書きされてしまった場合の消し方3選!

ということは、note株式会社が半永久的に残ってくれませんと、私たちが汗水を流して書いた記事もまた半永久的に残らないということです。

それでも、不思議なことに、私たちは何かを残そうとして日々記事を投稿し続けています。私もそんな一人です。

何かを残したいという不思議な意欲

以上のようなことを踏まえれば、私たちがしていることには全く意味がないように思えます。

しかし、それは違います。なぜなら、人には書く(描く)ことによって何かを伝えることができるからです。

例えば、私の記事を読んだ人たちは、少なからずその影響を受けます。そしてその影響は子や孫、親戚の子どもたち、関わった人すべてに対して、何らかの間接的な影響をもたらします。

つまり、媒体を通しての影響ではなく、伝聞の影響もあるということです。

なお、この場合の媒体とはメディアのことです。そしてメディアとは、情報の記録・伝達・保管などに用いられる物や装置のことです。

私の読者の中にも少なからず私の記事の影響を受けたという人たちはいます。ですから、仮にnote株式会社が無くなったとしても、記事が永遠に残らなかったとしても、現代に生きた私は何かを残せたのではないかと思うのです。

人が生まれてくる意味と生きる意味

私には人が生まれてくる意味がわかりません()。そして生きる意味もわかりません。ですが、その生きる過程で何かを残すべきだという強い衝動に駆られます。

私がこの世で一番羨ましいことは、女性が子どもを産めることです。なぜなら、それにより女性は子孫を残したという実感を持てるからです。残念ながら、種を植えるだけの男性はその実感を持てません()。

私にはその実感がないので、それ以外のことで何かを残したいと強く願うのです。

そして冒頭でも書いたように、私には文芸作品を書く能力がありません。それでいつも情報系の作品を書いていることになります。

随筆・随想(エッセイ)ならば書けるかもしれない

今日もまた何の予定と計画もなく、思い付くがままに記事を書いています。そして終着点を予想することもなく、ここまで書いています。

そして書きながら思ったのです。今書いているこの記事は随筆や随想の部類に属するのではないかと。ならば、今の私にも少なくともエッセイは書けるということになります。

書く(描く)ことは素晴らしい

私はいつも書きながらいろいろなことに気が付きます。そしてそれらの記事は自分が想定していたものとは違う方向に進むことも多いです。

それゆえ、私は時々自分が書く文章が生きているのではないかと感じることがあります。そしてそれは何かに導かれるように文字が浮かんでくるのです。自分の意思とは無関係に言葉が浮かんでくるとも言えます。

そしてそれこそがまさに私の自己表現の一種ではないかと思われます。

私は20代までは読み専門だったのですが、30代以降書くことが多くなりました。そして50代の今、noteで記事を書くことによって自己表現の素晴らしさを知りました。

生きることは自己表現を楽しむことかもしれない

私は先ほど人が生まれてくる意味がわからないと書きました。しかし、自分の人生を生きることが自己表現することであると考えるならば、生まれてくる意味の一つは、そんな自己表現を楽しむためと言えるかもしれません。

人は知らず知らずの内に自分を表現しています。「私は何も表現していないよ」という人がいたら、じっくり考えてみるべきです。自分の言動を一つ一つ丁寧に分析してみれば、それらの何割かは自己表現であることに気が付くはずです。

私は幸せなのかもしれない(笑)

今日もノープランでここまで辿り着きました。そして、この最終点に到達したということは私も幸せなのかもしれません。なぜなら、私も毎日自己表現を楽しんでいるからです。毎日投稿で記事の質が下がることはあっても、その楽しさは変わらないです。

<今日の3行日記>

昨日も今日も33℃を超えまして、これで今年3回目です。このペースですと昨年の33℃超え3回の記録を超えるかもしれません。ですが、湿度が低いのであまり暑くはないです。

イラスト素材:パンダちゃん2

最近はフリー素材のサイトがたくさんあって助かります。パンダのイラストも時々新規で追加されますので、今後もネタで困ることはなさそうです。


今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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