業務用冷蔵庫 (1分小説)
32歳の主婦、美奈子は、夫に懇願して、業務用冷蔵庫を買ってもらった。
高さ・幅ともに2m、奥行き1m。
銀色の鉄製の観音扉を開けると、左が冷蔵室、右は冷凍室に分かれており、何百キロもの食材が、貯蔵できる造りになっている。
しかし美奈子は、その業務用冷蔵庫を、食材の保存用としてではなく、自身の老化予防用のマシンとして使うことに決めていた。
「豚肉でも長持ちするんだから、人間だって、老化予防ができるはずよ」
美奈子は、寝袋や毛布、飲料水、懐中電灯、いざという時の酸素ボンベを持ち込み、毎晩6時間、欠かさず、左側の冷蔵室で睡眠をとることにした。
寒くて凍えそうな時もあるが、美のためには、そんなこと言っていられない。
【20年後】
今年で52歳になる美奈子は、恐るべきことに、肌ツヤ、脂肪率、プロポーション、なにひとつ取っても、30代の頃と変わりがない。
若々しく美しい。街を歩けば、まだナンパにだって合う。
「やっぱり、老いは防げるのよ」
ある日美奈子が、いつものように冷蔵室に入ると、冷蔵室は“プンッ”といったきり、作動しなくなった。
20年間で、初めてのトラブル。
不安になった美奈子は、内側から扉を押してみたが、どれだけ強く力を加えても、扉は開かない。
助けを呼んだが、夫がいる2階には届かなかった。
手探り状態で、酸素ボンベを探す。
とりあえず、ボンベさえあれば何とか窮地をしのげるだろう。
それにしても電源が切れると、冷蔵室の中って、急に暑くなるものだな。
翌朝6時。
いつものように、夫が冷蔵室の扉を開けてくれた。
ホッとして、抱きつく美奈子。
「怖かったのよ、すごく」
夫の背中で、自分の両手が合わさった瞬間、手の平に妙な感触が残った。
ザラザラした感じ…?
もしや、シワ!
洗面台へ駆け込むと、鏡の中には、老けこんだ女の顔が映っている。
ひどい。これじゃ、浦島太郎だ!
「そろそろ、やめにしないか?今の君の方が、年相応でボクはステキだと思うよ」
振り返ると、夫が真顔で突っ立っている。
美奈子はこの時、初めて昨晩のトラブルの原因が分かった。
「電源を切ったのは、あなたね」
その日の夕食。
夫のスープに睡眠薬を入れることに成功した美奈子は、夫が椅子から崩れ落ち、完全に寝静まるのを見届けると、身体を業務用冷蔵庫まで引きずり、右側の冷凍室に押し込んだ。
寝ていたはずの夫が、うめき声をあげる。
美奈子は、左扉の冷蔵室を開け、酸素ボンベを取り出すと、夫の頭部めがけて、思い切り投げつけた。
「あなたが悪いのよ」
夫はやがて、胎児のように丸くうずくまったまま、動かなくなった。
美奈子が、プラグにコンセントを差し込むと、業務用冷蔵庫は、ふたたび音を立てて動き始めた。
【20年後】
美奈子は、今年で74歳。ひとり、寂しい老後を過ごしている。
「あなた、ごめんなさい。このごろ、むしょうにあなたに会いたくなるの」
あの日以来、業務用冷蔵庫には触れていないが、今、どのような状態になっているのだろう?
美奈子は、意を決して扉に手をかけた。
・・・ガチャ。
中には、ダボダボの服を着た、小学生くらいの男の子がうずくまっている。
少年は、抱えていた酸素ボンベを美奈子に手渡すと、無邪気に笑った。
「ひさしぶりだね。冷凍室の方は若返るみたい」
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