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エッセイ的なサムシング

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#エッセイ

血のはなし

血のはなし

よくある御盆前の會話

 久し振りに實家の母に電話をかけた。御盆休みにいつ歸るかと訊かれたので、決めてゐないと囘答した。先日、親戚の方が亡くなつたので、御線香をあげに行きたいと云つてゐた。弟も歸省してゐるタイミングだから、丁度よいだらう。

粉瘤の話

 そこで話は變はり、父の粉瘤のことが話題になつた。粉瘤とは。ひとことで云へばデキモノである。

 さう、私が昨年出した音源『メランコリック・ウェイ

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心の掃溜め

心の掃溜め

 普通、愚痴や惡口、文句、等々は他人に云ふべきでない、といふ通説がある。聞かされる人の立場になれば分かることだ。

 しかし今囘は敢へて、さういふ内容で書いてみる。讀者のことは考慮しない。

 私は時々、生きてゐるのが嫌になる。さういふ時、大體は夜、何か上手くいかないことがあつて、しかしそれを解決するのが困難で、それを發端にこれまでの不幸な生立ちや半生を囘顧し、そして未來に悲觀的な豫想が立ち…。と

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偏見シリーズ

偏見シリーズ

聲の大きい人

 不必要に聲が大きい人は、頭が惡い。ここでいふ頭の惡さとは、莫迦であるといふ意味である。

 一應、辯解しておくが、職種や學歴は關係ない。さういふことで人を判斷したくないし、この偏見には當てはまらない。

 大抵の場合、聲が大きい人は無意識のうちに大きい。或る説では、耳が惡く自分で自分の聲が聞きにくい所爲だといふ。

 或ひは、野良仕事や建設土木業に從事する勞働者などは、現場での意

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獨り暮らしの風呂

獨り暮らしの風呂

 廿歳前に實家を出てから、ずつと獨り暮らしの私である。大學生時代も仕送りは殆ど無かつたから、餘裕もなかつた。奬學金で授業料を拂ひ、アルバイト代で生活してゐた。
 見榮を張り、人前では大盤振る舞ひで酒を飲んだりしたし、良い服など買つて着たりもした。でも、人目につかないところでは生來の吝嗇が顔を出し、貧乏性が抜けなかつた。
 友人と飲みに繰り出せば、一晩で數萬圓なんてざらだ。梯子酒が良くない。あとは、

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赤マル時代

赤マル時代

 人其々、或る期間に於ひて極端に何かを好み、繰り返し嗜好する時期がある。そんなことはないだらうか。  
 例へば、私は或る時期にバー通ひ・カクテルを飲む遊びをした。居酒屋より凝つた御酒を飲んで、其處ら邉の人の話を聞いたりしながら過ごす時間が好きだつた。
 また或る時期には、日本酒ばかり飲んでゐたこともあつた。刺身の盛り合はせなどとともに、グッとくる夜があつた。
 別に酒の種類に詳しくなつたりはしな

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今の氣持ち(令和二年十月四日)

今の氣持ち(令和二年十月四日)

 今は昔、およそ八年前、私が高校二年生の頃に書いた詞に以下のやうなものがあります。

”誰かを愛することが生きる意味であり、誰かに愛されることが生きる喜びである“

此れは今見返しても、ナルホドなあ〜、と思ひますが、實際はだうでせうか。生きる意味とか目的なんて、本當にあるのでせうか。

 最近仲が良くなつた(と私は認識してゐる)女の娘(以下、Rとします)がをります。Rは某ガールズバーで私を接客した

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川澄氏と歴史 第一章 常陸大掾篇 承平天慶の亂

川澄氏と歴史 第一章 常陸大掾篇 承平天慶の亂

 日本といふ國の中で家系・血筋の話になると、決まつて擧がる言葉が「源平藤橘」でせう。此れはどういふ意味かといふと、現在の日本人の先祖は元を辿れば必ず此の四氏族のどれかである、といふことらしい。さういふ説を唱へる人もゐるみたいですが、本當にさうでせうか。さうかもしれませんね。



 794年に奈良から京都へ遷都したことで有名な桓武天皇といふ人がゐます。其の孫(曾孫といふ説もある)である高望王(以

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川澄氏と歴史 序章 導入篇

川澄氏と歴史 序章 導入篇

 現在或る場面に於ひて私は譯あつて大川澂雄と名乘つてをります。然し此れは本名ではありません。私は川澄といふ家に生まれ、育ちました。
 二つ以上の名を持つことは私にとつて都合が良く、其々全く違つた人間のやうに振舞ふことができます。

 まあ、そんなことはどうでも宜いのですが、今囘の主題は此の川澄といふ一族についてです。川澄氏の辿つた歴史を基として日本史(の極一部ですが)を語つてゆく、といふ壯大なテー

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家について 後篇

家について 後篇

 大學への進學が決定し、遂に私は獨り暮らしを始めることになりました(其れ以前の遍歴は前篇を御覧下さい)。既に此の時、實家での生活に滅入つてゐたし、早く自由な暮らしがしたいといふ願望がありました。

 私は宇都宮大學の建築學科へ入學しました。當時の私の漠然とした夢の一つとして、自分の家を自分で設計したいといふものがありました。其れが建築を志した所以です。希望も膨らんでゐました。
 ところが、此れも父

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家について 前篇

家について 前篇

 人の人生に於ける“家”の重要性は云ふまでもありません。衣食住と云ふぐらいです。
 然し乍ら、私自身が自分の家に滿足出來たことは殆どありませんでした。そんな私の“居住地遍歴”を、適當に綴つてゆかうと思ひます。

 私の父は銀行員です。なので頻繁に轉勤がありまして、昔は各地(とは云つても、父の會社は茨城縣の某地方銀行ですので、殆どは茨城縣内、關東から出たことはありません)を轉々としたものでした。

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