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友人関係はシンプルに
「友達は大切にしなさい」
これを読んでいるあなたも親や教師から散々言われてきたであろう言葉。
この言葉に・・・。
だ、騙された!!
めっちゃ騙された!!!
素直に騙された!!!!
・・・。
いや。
勘違いしておりました。
僕、めっちゃ勘違いしていました。
「友達は大切にしなさい」っていう言葉では不完全。
「心から大切にしたい友達は大切にしなさい。」
こっちのバージョンで世の中に普及される
いらない何も捨ててしまおう(断捨離中)
断捨離をしている。
毎日、何かしらモノを捨てている。
何故、断捨離をしようと思ったか?
これは感覚的に脱皮に近いような気がする。
もちろん脱皮は未経験。
説明はできない。
なんとなくむずかゆくて、したくてたまらない、せざるを得ない。
そんな感じ。
何はともあれモノで溢れかえっていた部屋が少しずつ片付いてきている。
それと同時に今まで僕はなんてたくさんのモノに囲まれていたんだなーってやっと気づく
身体性を取り戻す(したい)
身体性を取り戻したい。
最近、このように強く思っている。
このように思う理由・・・。
純粋に身体がたるんでいる、と鏡をみて思うからだ。
たるんだ身体では身体性などへったくれでもない。
ただ僕は単にたるんだ身体を引き締めたいのか?
違う。
身体性を取り戻したい、と僕の心は訴える。
何故だろう?
自分を内観してみる。
どうやら身体性を取り戻すことによって人生の主体性を取り戻したい、みたいだ。
もう一度音楽を書いてみよう
今日は音楽のお話。
昔は音楽の記事をよく書いていたが、最近めっきり書かなくなった。
音楽が好きだから書く。
これが原点でありゴールだったはず。
いつの間にかその原点とゴールがブレてきてしまった。
音楽という手段を使って自分という名前をもっと知ってほしい。
収益を得たい。
そんな功名心が少しずつ、ジワリジワリと育ってきた。
少しずつ背丈を伸ばしていく功名心。
その育った功名心に気づいたとき素直に感
自分のためにも文章を書いてもいい
ノロノロと書いているこのnote。
最初の記事で書いたが自分のために書いている。
誰のためでもない。自分のために書いている。
これにはちょっとした反動的な側面がある。
人のために(という名目の上で)文章を書き続けた結果・・・。
めっちゃしんどくなった。
例えば一時期収益をあげようと頑張っていたブログ。
ブログは「自分の書きたいことを書いてはいけない」。
これが正しいかはわからないが、少なくとも
テレビもYoutubeもブログもつまんない
僕の家にはテレビがない。
テレビなしの生活になって約4年くらいになるだろうか。
これはひとえに生産性をあげるためである。
テレビという箱に僕の人生を1秒でも与えてなるものか。
というのは真っ赤な嘘である。
僕が住む地域はケーブルテレビのためテレビを視聴するのに毎月3000円払う必要がある。
それが僕にはなんとなくもったいなく感じていた。
引っ越しをするタイミングをいい機会だと思いケーブルテレビを
知り合いが自殺しました
タイトル通りのお話。知り合いが自殺した。海に身を投げたらしい。僕が顔を見知った人で自殺した人は始めてである。
知り合いといってもそんなに親しくはない間柄であった。(本当に知り合いっていう感じ)
だからその人の死を聞いても僕は悲しいという気持ちは思わなかった。むしろゴシップ記事を読み進めるような感覚が先行した。
その人は何故死んだの?その人はどんな方法で死んだの?そのときの家族の反応は?いろん